通勤時間に、ポータブルDVDを活用しての通勤快速内鑑賞を、ウインドウズタブレットで執筆を行っています。 鑑賞中の直感的な感想をツイッターで 「実況」 → 鑑賞後、作品を俯瞰して 「未完成レビュー」 → そして推敲して 「完成! レビュー」 へと3回の過程を経て完成させていく様をご覧くさい
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完成!「血と骨」
2006-08-20 Sun 10:06

                      20060817000800.jpg


8月15日(火)  第1回目


「真っ黒な画面に韓国庶民の歌声が聞こえ始めると、さっと早いフェイドインで移民ひしめく船の甲板を俯瞰で捉えた画面が映し出される」
これがこの映画の導入部である。
大正末期の、韓国から日本への移民船の甲板上に青年時代の主人公がいる。やがて、移民たちは目的地の大阪が遠くに姿を現したことに歓声をあげ始める。しかし、希望を胸に日本へとやって来た彼らの前に広がる大阪の風景は、風光明媚な光景なんかではなく、もくもくと黒煙を吐き出す工場群の遠景だったのだ。」


このファーストシーンだけで、この映画は傑作に間違いない。と確信したのでした。時はまさしく「富国強兵」の時代。ヒステリックなほどの工業化重視、効率重視、生産性重視 の国策の元、"よそもの”の彼らは「安い労働力」としかみられない時代で、先行き多難な彼らの未来を的確に予見した秀逸のファーストシーンだったのです。


この素晴らしいファーストシーンから、この映画はどのように展開するのかなと楽しみにしていたのですが、横暴、横柄、不埒なあのオヤジの傍若無人なる振る舞いの数々を見せられる一方なのですよ、これが.......。
しかも移民船に乗っていた青年が、どのようにして、あのオヤジになっていったかの明確な説明がないので、ファーストシーンを手放しで賛同した身としては早くも戸惑いを感じてしまっております。


ファーストシーンに登場するあの青年に「大日本帝国・富国強兵」というファクターが作用してあのオヤジが出来上がるわけですから、大正、昭和にかけて、韓国・朝鮮の移民の人たちを「大日本帝国」はいかに扱ったのかは予測をすることができます。しかし、あくまでもマクロ的?な理解なので個人的レベルでのオヤジの生成要因をこの映画が語ってくれないことに、納得のいかない思いでいるのです。


北野 武 のオヤジぶりは 凄まじく、激昂する異常さは格別、ドロ臭い格闘は最高!でした。しかしこのオヤジの存在が強烈すぎて、題名の「血と骨」を受け継いでしまう子供達の悲劇やジレンマの表し方が中途半端な感じがしてしまった。そこで血族という存在よりも、戦争未亡人で オヤジの二号となる キヨコ の生涯の方に興味を引かれていくのでした。お姫様と呼ばれるほどの美貌を持ちながら、夫が戦死し、生きる為にオヤジの二号さんとなる。そして突然の脳腫瘍発病における寝たきり生活。そこにオヤジの三号さんの出現。三号さんに排泄物の世話まで受ける屈辱に耐えながらも、結局はオヤジに殺される。それも濡れた新聞紙を顔の上に乗せられての窒息死。オヤジに勝るとも劣らない凄まじい人生でした。


明日以降も、このオヤジの傍若無人さを見せつけられるとなると、いくら 北野武の演技が素晴らしいといっても気が重いのは確かです。


8月19日(土)  第2回目


あのオヤジに“生”を与えられた血族の中で、最もその人生を翻弄さてしまった者は、夫の家庭内暴力で死を選ぶ花子ではなく、ヤクザに命を奪われるオダギリ・ジョーでもなく、勿論、温泉街に逃げ込むこの映画の語り部であるはずもなく、
終盤において、3号さんに生ませた幼くも哀れな男の子だったのです。
オヤジが体の自由を失ってからは別居していたこの男の子を、姉と無邪気に遊んでいたところを、力ずくで誘拐。北朝鮮に無理矢理連れていくのです。目的は、奴隷としてオヤジの老後の世話をさせる為....。
男の子の首根っこを掴まえて、まるで子犬を押さえつけ、引きずりまわすかのように、あの男の子を母親から、愛から、日本から、豊かさから、自分の老後の為だけに、引き離し強奪するカットは、そのあまりの身勝手さにヘドが出そうなほどの嫌悪感を覚えた。
老後の世話をさせる為に、国籍を放棄させ、日本で暮らせる権利を剥奪し、彼を守っている全ての加護を断ち切った上で、奴隷として支配し、酷使し、虐待する(これらの行為は直接表現はされていないが、オヤジが男の子をどのように扱うかは十分に推察することができる。)  このような“いのち”を徹底的に愚弄する行為に対し、ただただ、強烈なおぞましさと強固な憎悪だけを感じた。


それから何年たったのだろうか、北朝鮮の寒村で、成長したあの男の子がオヤジの墓を掘る。いつも通りメシを食っていると、死の床でオヤジが初めて大阪を目の当たりにした時の夢を見ながら息を引き取る。しかし何の感慨も無く、メシを続ける男の子。そこには何の感情もなく、日常の“メシを食う”という行為が淡々と行われるだけなのだ。
これがこの映画のラストシーン。
死を目前に横たわるオヤジに向かって、あの男の子は恨みを叫ぶわけでもなく、ただ墓を掘り、メシを食う。そこにあるのは様々な感情が出尽くした後の静寂なのか、無為に過ぎ去ってしまった膨大な時間に対する諦観なのか、この圧倒的な静寂の前に、煮えたぎっていた僕の憎悪が静かにそして完璧に制圧をされてしまった。


秀逸なファースト・シーンと
圧倒的に静寂なラスト・シーン。
その間にある傍若無人な行為で構成された映画だった。

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完成!「ミリオンダラー・ベイビー
2006-08-15 Tue 10:39

ポータブルDVDプレイヤーによる 車内鑑賞レビュー        


ミリオンダラー・ベイビー




8月2日(水)  第1回目

地味です.....。

主役が二人の爺さんと、アスリート系の30過ぎの女性なのですから.......。でも、年輪を思わせる、二人の爺さんの阿吽の人間関係は絶妙で、ついつい引き込まれます。また、今日、奇しくも、亀田選手の疑惑?の世界タイトルがありましたが、選手とマネージャーの関係とか、それよりも、女性ボクシングの世界をかいま観れて、知らない世界を目撃できて、楽しいです。

         プチ・ロッキー的

な高揚感も期待通り用意されており、まずまずの出だし、地味ながらも、顧客満足は満たしておりました。
しかしビッグタイトル戦まで昇りつめる描写が、時間的に割愛されている気が、どうしてもしてしまい、ロッキーの様相を呈しているこの物語にきっと、成功モノ以外のオプションが用意をされているものと、穿った観方をし始めてしまいました。このまま、女性版ロッキーの道を淡々と後追いするのか、サプライズがかくれているのか、これから始まるビッグタイトルの行方に注目です。でも、評判に聞く映画なので、きっと、うれしいサプライズがあると信じて明日に託すことにします。

        あっ!きっと何かあるな!  

映画のタイトル画像をアップしようと、ジャケットを見てみると、これがわかりやすいことに、登場人物の表情が冴えない写真をわざわざ選んでいるのですよ。

楽しくないサプライスがありますね、絶対。


8月9日(水)  第2回目 最終回

「甘かった............。」

サプライズどころの話しではなかった。
驚愕の展開がビッグタイトル戦での、たった一発の反則パンチによってもたらされたのでした。
この一撃によって、この映画はそれまでかぶっていたウサギの仮面を脱ぎ捨て、過酷な自分の本性をあらわにしてきた。
その世界観の前には「プチ・ロッキー的な高揚感」なんてものは、そのシビアさをお膳立てする為の小道具でしかなかったのだ。

一撃がもたらしたもの、それは、脊椎損傷による、全身マヒという運命。
身体を極限までに躍動させるボクシングという行為から、一転して、永続的な肉体の棺おけにマギーは押し込まれていくことになる。
そしてその極度な停滞が行き着いた末の、血液循環悪化による片脚の切断。停滞どころではない、肉体の削減という生々しい事態が待っていたのだ。「プチ・ロッキー的な高揚感」を味わってしまった観客にとっては、同じ肉体が経験するこの過酷な運命の前に誰しもが愕然となる。

さらにこの映画は“肉体”の問題から“存在”という根源的な問題へと突き進んでしまう。自らの存在を自らの意思で消滅させる「尊厳死」という権利。宗教的な教えの前に老トレーナーが逡巡している間に、自分の意思を反映してくれる唯一の器官となってしまった“舌”を噛み切っての自殺未遂。
何という「負」への凄まじいまでの疾走感なんだろうか! この尋常ではない暴力的なまでに強靭なマイナス方向の力によって、
私はこの映画における 自分の立ち位置を完全に見失ってしまった。
自分の気持ちを平穏に保ち、折々の局面に対応する平常心と客観性を保つことなんて、到底できなくなっていたのだ。

はかなくも映画が企てた罠に陥り、無残にも映画の餌食となってしまった身としては........、

もう何も語ることができない。


8月9日(水)  第3回目  最終回の次の回

「ミリオンダラー・ベイビー」のレビューを完了しましたが、最終回のレビューにおいて、映画レビュー繋がりの バニーマンさんから、

 「監督のクリント・イースト・ウッドが、
      “この映画は 父と娘の恋愛(ラヴストーリー)だ”
                 とインタビューでコメントしたそうです。」
   
との書き込み情報にインスパイヤーされて、「最終回の次の回」として特別にレビューを続けます。

        なるほど.......。

老トレーナーの命名によるマギーのニックネーム
 “モ・クシュラ” は 
 “愛する者よ、お前は私の血” と訳すのですが、
 “私の血” が意味するところは

         “娘”

なのだろうと、このインタビューから強く思いました。

息子や娘のことを表現する時に
“血を受け継ぐ”とか“血を引いた”などと日本では言いますが、
この表現を強引に転用すると、老トレーナーはマギーに対して“自分の娘”
という思いで接していたことがわかります。

「父と娘の恋愛(ラヴストーリー)」 とのことですが、
究極的に相手を“思いやる気持ち”の物語なのでしょう。
あの二人は血は繋がってはいませんでしたが、
親子のように深く思い合う二人による、“魂の触れ合い”をこの映画は語っていたのです。
いや、そんな生ぬるい言い方ではダメだ、二人の

      “魂が強くぶつかり合う”

映画だったのですね。

愛するが故に、その命を苦渋の選択の末、終わらせてあげる映画。
そして、信頼している人に、無限地獄から、死をもって解放してもらう映画。

そんな深く濃密な人間関係の物語だったのです。

悲劇的な語り口に深く動揺して、その中心にある、“魂の物語” に言及できないでいたのでした。
反省.......。

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完成! 「狂った果実」 
2006-08-05 Sat 11:41
 

                                                    狂った果実
 


通勤時間を活用して、ポータブルDVDプレイヤーを使っての地下鉄内鑑賞にいそしんでいます。

分割しての鑑賞であるため、感想文も分割となっています。





                    第1回目  7月21日


日本というこの貧しい国から、遠く数万マイルも離れて、
“生活”という無粋な言葉とは無縁の場所に位置する、


    「湘南」 という 独立王国。


この映画はそんな別世界に住む、特権階級に属する方々の物語なのです。

鎌倉の大きな家に住み、逗子・葉山をフィールドにモーターボートや水上スキーに興じ、オープンカーで横浜のナイトクラブに乗りつける。
半世紀も前の“太陽族”と呼ばれる先進的な青春像がそこにあった。


“奔放で弟想いの 兄・石原裕次郎” と “真面目でウブな 弟・津川雅彦” の関係に、


      美女


が登場。弟が想いを馳せながらも、裕次郎兄貴も参戦。
女一人をめぐっての男二人の微妙な関係が築き上げられていく。
おっと! 裕次郎兄貴が謎の美女に急接近! しかも、謎の美女にはワケありな様子、これから、これらの天上人にどのような葛藤が降りかかるか楽しみなところです。




              第2回 7月25日   




「狂った果実」とは “謎の美女” のことだったのですかね?

彼女の本性は、外国人の夫を持つ、二十歳の、しかも、男あしらいを十分に心得た人妻だったのです。

“謎の美女”が、“奔放で弟想いの兄・石原裕次郎”に言うことにゃ。
「浮気はいくつかはあったけど、“真面目でウブな弟・津川雅彦”とは真剣なの」
「結婚する前にするべきことを、“真面目でウブな弟・津川”としているだけなのよ」との見解をのたまわります。1956年当時の道徳観念で考えると、彼女の感覚はやっぱり、


       「狂
った


という表現になるのでしょうかね?


あっ、いや、1956年当時、狂っていたのは、実は、“謎の美女” だけではなかったのでした!
“奔放で弟想いの兄・石原裕次郎”。 その人も、期待通り、しっかりと狂っていてくれたのです。

この “謎の美女” の本性を “真面目でウブな弟” に黙っておく代わりに、俺と浮気をしろ と迫ってきたのです。
何という “弟想いな兄” なのでしょうか......。

結局、“謎の美女” と “兄・裕次郎” は 深みにはまっていくのですが、そこに、彼女の夫や“ウブな弟・津川”の存在がからんでいくのです。



    
あれ....ちょっとてよ.....。



いきなりこの映画の雰囲気が湿っぽくなってきやしないか?

「湘南」 という カラッとした租界にいる気がしないのです。ヤバイぞ、ありきたりな悶々とした 国産映画に成り下がってしまう。と危惧したのも束の間、
“真面目でウブな弟” と “謎の美女” が日常的な買い物途中で、出くわしてしまうのです。
 

     ダメ じゃん! 


弟と彼女が出会う場面がこんなありきたりなテンションではダメですよ。弟にとって彼女は1ランク上の 憧れの存在 であるはずなのに、非常に気楽に、ありがたみもなく出会わせてしまったところに、この映画の 「変節」 を見たような気がしてなりませんでした。

この瞬間から北原三枝は “謎の美女” の高みから、恵梨 という そこいらにいる女 へと価値を下げてしまったと感じました。他の国産映画と一線を画してきた、ドライでクールなセンスが揺るぎ、“謎の美女” のこの庶民化とともに、急落してしまったのではと、非常に残念な気持ちで一杯です。

このまま雑多な国産映画の、「うらみ、つらみ、」 という湿気の多い映画にならなければ良いな と願ってやみません。
 



              
                   第3回目 7月30日




“衝撃的” と評されたこの映画のラストシーンの行動起因は、「東海道四谷怪談」の古典作品にも見られる、「理不尽な迫害・攻撃」 に対する 「うらみ・つらみ」 という非常に日本的な感情によってもたされていたのでした。

「湘南」 という別天地の住人を登場人物に起用しても、1956年当時、新進気鋭の作家を抜擢してさえも、容易に 「日本」 という呪縛から解放されることは無かったわけです。 そうです。 この映画は確かに、日本国・神奈川県 という非常にドメスティックな環境で、しょぼしょぼと終わろうとしているのです。
“真面目でウブな弟” は 「理不尽な迫害・攻撃」 なんてものは受けておらず、もっと軽い 「疎外」 程度ではありますが、 

 “ダメージを受けた側が執拗に、そして寡黙に加害者を追い詰め、死をもって復讐を果たす” 

というお話の骨子を考えると、


    これってもしかして


「四谷怪談」!? っと思ってしまった、勿論、彼は “幽霊” であるわけもないのですが.....
(しかし、ラストの表現を考えると、生死の順番が逆になっただけなのかもしれない...死して復讐をするか、復讐してから死すか....その違いだけだったのかも.....。)



    湘南! 太陽族! 



という言葉が飛び交う、華々しさから、
中盤以降、 “奔放で弟想いの兄” が “謎の美女” に心底惚れる役であったことを唐突に思い出すあたりから、映画は「道行き」 的な前近代的悲劇傾向を帯び、捉え方によっては、演歌的・浪花節的な様相を呈してしまうのです。  
 くー 残念!


狂ってしまったのは、彼女や彼、そして暴走をする弟ばかりではなかったのです。
不格好きわまりないこの “アンバランス” を生み出してしまった、この映画のプロット自身こそが、
実は、 誰よりも狂っていたのです !!



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完成! 「見知らぬ乗客」 
2006-08-03 Thu 00:56

                   見知らぬ乗客




通勤時間を活用して、ポータブルDVDプレイヤーを使っての地下鉄内鑑賞にいそしんでいます。

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                    第1回目 7月18日(月) 

 

「裏切られるかも?」 という心持ちです。

「交換殺人」という言葉が出て来た序盤は、どのようにしてブルーノはこの 「交換殺人」 をガイに承服させるのか?
どんな知的駆け引きで、ブルーノの思惑に屈服させるのか?
と、この悪役の弁舌さわやかな能力に、映画の行く先を託したのですが、
あれ!? 「交換殺人」 の契約調印も成されない内にガイの奥さんをブルーノは殺してしまいました。

         
           なぜだ?


と思いました。が、きっとこの殺人を交渉ネタにブルーノは緻密な知能戦や、実力行使をも含めて、
「交換殺人」 を拒めない状況に追い込んでいくはず、息を呑む攻防が繰り広げられるはず、と思い込んでいたら、
「早く親父を殺してくれっ!」 と言わんばかりに、家の見取り図と拳銃を送りつけ、ストーカーのようにつきまとうだけなのです。
昨今の2時間サスペンスドラマに慣れている身としては、「何の精神的圧迫にもなって無いじゃん!」 と


          不満噴出。


心理的駆け引きが希薄であることが露呈するにつれ、1番最初の言葉
「裏切られるかも?」 という不安に苛まされているのです。

一縷の望みとしては、ブルーノが殺したガイの奥さんはメガネを掛けていたのですが、同じようにメガネを掛けている女の子に対し、フェチ的傾向? が見受けられるので、異常者としての知的な展開が難しいのなら、「殺人を犯した」 ことによるフェチ的嗜好性を思う存分、発揮してほしいなと思うだけです。
(せいぜい) がんばれブルーノ!!


                  第2回目 7月19日(火)


         見事 「裏切られました!」


ブルーノの知的方向への停滞は予測通りでしたが、クライマックスのメリーゴーランドでのシークエンスは実に素晴らしく、この映画に対する 「無理かな?」 と思われていた大方の世論を見事に 「裏切って」 くれたのでした。

そもそも、オープニングの車内シーンが非常に素晴らしく、これから始まる 「交換殺人」 というトリッキーなサスペンスに相応しい高貴さを持ち、ブルーノがあたかも上級犯罪人であるかのような幻想を見せてしまったのです。まーこれがそもそもの誤解の元凶ではあるのですが.....。
結局ブルーノは 「小悪党」 の領域を超えることはなく、心地よい迷宮など、望むべくも無かったわけです。そんな諦めムードにあの
 

       メリーゴーランド攻撃。


一度、侮った相手からの、いきなりのカウンターパンチであったわけです。
冷静になって考察すると、ブルーノが犯した早すぎる殺人が、「遊園地」 において行われたところから、このうれしい 「裏切り」 が 始まっていたのですね。



       「 楽しい ・ うれしい 」


という気持ちを共鳴させる象徴的な場所での、殺人という極北の行為から始まり、その現場にあるメリーゴーランドという、「楽しい・うれしい」
を共鳴させる装置が、一発の銃弾で、


       恐怖拷問器具


へと豹変する様は、日常や常識の中に、表裏一体となって潜んでいる、「恐怖・危険」 を端的に表していたのです。 
えっ!


      「日常恐怖」  ですって? 


ということは.............
 

ブルーノはほどほどの小悪党でちょうど良かったのでは?、と唐突に思い返してしまいました。
ブルーノというどこにでもいるような、ほどほどの小悪党が、ガイとの偶然の出会いを契機に、ストーカー的な、執拗で常識を超えた関わり合いを、憑り付かれるようにエスカレートさせてしまった、という映画だと思えばよいのでしょうか?
これって.........、

かもね...........。



                                           見知らぬ乗客2 

 

                                         見知らぬ乗客3 

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完成! 「ウォーターボーイズ」 
2006-08-03 Thu 00:52

20060803005131.jpg



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                    第1回目 7月11日(火)





「行動」 を起こす時には、その起因となる “キッカケ” というものが、必ず存在すると思うのです。

この映画の訴求点は、宣伝コピーの「男のシンクロ!?」 そのもので、シンクロに没頭する男子高校生の物語なのですが、そもそも、あの5人の男の子がシンクロを始めることになった “キッカケ” の突き詰めが甘いので、



       冒頭から 「ぬるい!」 

                          と思ってしまいました。


この映画が動き出す “キッカケ” となる、真鍋かおりとの人間関係をもっと丹念に描くべきであったと、声を大にして主張したい。
また、文化祭での公演を辞退したのにもかかわらず、再び引き受けることになる “キッカケ” の表現も、非常に 「ぬるい」 ため、彼らの活動の薄っぺらさばかりが気になってしまいました。

人が動くこと、人が集うことの土台には、しっかりとした理由がないと、リアリティに欠けてしまうと思うのです。それが、理屈まみれなものでもいいし、感情的なものであってもいいし、本能的なものでも、勿論いいのです。
兎に角、


       行動える “理由”

                          というものがあって欲しいのです。


残念ながらこの映画は、行動に至るための、しっかりとした “理由” や “キッカケ” に対する配慮が成されていないため、この映画の存在理由である「男のシンクロ!?」 の必然性が欠如した状態で走り始めてしまったのです。
明日以降、足元を確認しなが動いて欲しいな。





                   第2回目 7月12日(水)




     ヤッター! 



やっとこの映画に“キッカケ”や“理由”という、行動の元となるものが出現いたしました。

ニュース画像にシンクロ5人組が放映され、彼らの人気が急上昇した途端、入部希望者が殺到するのです。テレビで紹介されたことで、 「その祭りの渦に入り込みたい」 という欲求が膨れ上がった末の行動なのです。「行動」 の“ キッカケ” がかなり不確かなこの映画において、何て素直にその 「行動」 を受け入れられたことか!

こんな普通な理由があったからこそ、追加入部組を含めたみんなが、本番に向けて練習する姿に

 

     ついつい、まれてしまうのです



こんな普通なことが、やっと2日目に成されたこと、大変、もったいないなと感じております。

本番を明日に控えて、さあー、佳境へと映画は進みます。この勢いで終盤を纏め上げて欲しいものです。




 

                   第3回目 7月15日(土)


 

今、彼らのパフォーマンスが終了致しました。

 


   うーむ、もったいない.......。



高校時代、僕も持っていただろう、ハツラツとした眩しい時間が、そこにはありました。しかも学園祭という、特権的時間の中でも、よりによって最高潮に達した瞬間に、彼らのピークが到来したことに、嫉妬さえも感じてしまいました。

僕の高校時代は映画研究部員として8mm映画を作ってきたのだけれど、 “作り上げる”  “人に見てもらう” という観点では全く同じ行為になるわけで、高校3年生の時に作った映画を、色々な人に見てもらい、後夜祭の時に 「最優秀クラブ賞」 の発表を受けた時の高揚感が、まざまざと思い起こされました。


もったいない.......。 と嘆いたのは、そんな終盤の見せ方が高度に結実したにもかかわらず、そもそもの映画の出発点である、


 

   シンクロ開始必然性脆弱


                       を、やっぱり思い出してしまったからなのです。



しかも、しょうがないな、とは思いつつ、その脆弱性を作ってしまった 真鍋かおり が当然のごとく顔を現す予定調和的な作りに、反発を感じたのも確かです。

でも良かったですよ。前半まるっきりダメだった、“キッカケ” の敷設ですが、 「シンクロの大成功」 という大団円を導き出す  “キッカケ”  に関しては、立派に仕掛ることができたのですから。

夜のデートでの火事発見 → 消化活動によるプールの水不足 → 桜木女子高校のプールを借りてのシンクロパフォーマンス。

めっちゃベタな展開ではありますが、心地よく結末への必然を作ってくれました。



    ハツラツとしたしい時間



               映画の中で、そして自分の回顧の中で、しっかりと輝いたのでした。 

 



             ウォーターボーイズ2 

 

 

             ウォーターボーイズ3 

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完成! 「殺しの烙印」 
2006-08-03 Thu 00:33

殺しの烙印

 

通勤時間を活用して、ポータブルDVDプレイヤーを使っての地下鉄内鑑賞にいそしんでいます。

分割しての鑑賞であるため、感想文も分割となっています。




                       第1回目 6月30日(土)


時間の省略など、大胆な手法で、普通っぽくしないのが鈴木清順流というところかな。
今後このニュアンスが全体にどのように影響を及ぼすかが興味のあるところだ、なぜなら、この映画が原因で鈴木清順は永らく監督業から干されることになるんだよね。


     かにひねっていてしい


でも物語を語ることをスキップしてしまっているように思えた。感覚的にこんな表現方法は興味深いことはもちろんだが、映画を貫くストーリーはしっかりと伝えてほしいなと、ちょっと警告を発してしまいました。
宍戸錠は案外渋くて、主役でも持ちこたえられそうだな。
鈴木の世界を宍戸がどのように振舞うか明日以降注目したい。





                       第2回目 7月4日(月)


いやー、こまったな、殺し屋のハードボイルドなお話しを、こだわりの語り口で見せてくれる映画かな? 
なんて勝手に考えておりました。真理アンヌが登場してきたあたりから、


     ATG 観念映画っぽく


なってまいりまして、ちょっと置いてけぼりを食らっておりましたところ、いきなりの上映施設に舞台が移っての展開。
スクリーンに真理アンヌのお顔が映し出され、それに突進していく宍戸錠。おっと!2作連続(前作は 「ムーラン・ルージュ」 )の 


     【 「現実」  「虚構」 の 融合 】


に涙を流してしまうのか?! と思った瞬間に、降車駅に滑り込んだのでした。希望を明日に託して本日の車内鑑賞は終了、ハードボイルドからATGへ、そして明日はどうなるのでしょうか? 楽しみであり、ちょっと怖い。




                      第3回目 7月6日(水)



     「 これがNo.1やり口。敵をじらし、疲れさせ、殺。 」



これがこの映画のやり口だったんだー!!

これは殺し屋のランキング抗争の映画だったのだ。宍戸は殺し屋ランキングNo.3の男。この男を利用してランキングNo.1が目障りなNo.4とNo.2を消し、最後はNo.3である宍戸の命を狙う というお話であった。

No.1は彼の「変なコダワリ」のヤリ口にのっとって、宍戸とプチ同棲?までをして 「敵をじらし、疲れさせ、殺す。」 ことを実行しようとするのだ。

そんなこの映画のキーワードは 「変なコダワリ」。 それを特徴づけるシーンが埠頭での決闘シーンだ。
宍戸が自動車の下に潜り込み、ウィンチを車の先頭に取り付ける、ロープは進行方向にいる敵に向かって伸びて、途中に滑車をかまして、また自動車に向かってUターン。先端のロープを宍戸が力一杯引っ張ると
な、なんと、滑車・ロープ・ウィンチの作用で、自動車が敵に向かって前進して行くではないか!  宍戸はロープを引っ張りながら、ホフク前進をする、自動車の下に隠れているので、敵からの銃弾を避けながら、ライフルを撃ちながら、確実に敵に接近していくのだ。


    という映画的興奮!!。


この映画は 「変なコダワリで形成されたムダ」 が一杯に散りばめられている特権的な映画であると結論づけたい。いや、この映画自体が 


    「 変コダワリ形成されたムダ 」 


そのものではないかと、そんな稀有な存在ではないかと思えてくる。この 「ムダ」 を快く楽しめるか否かが、鈴木清順を解雇するか否かのボーダーラインだったのだろう。
当時の日活上層部の判断は、歴史が雄弁に語っている。

僕なら、ドキドキしながらも続投を許していたかな。いや、そんな勇気は無かったろうな、きっと........。

 

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