通勤時間に、ポータブルDVDを活用しての通勤快速内鑑賞を、ウインドウズタブレットで執筆を行っています。 鑑賞中の直感的な感想をツイッターで 「実況」 → 鑑賞後、作品を俯瞰して 「未完成レビュー」 → そして推敲して 「完成! レビュー」 へと3回の過程を経て完成させていく様をご覧くさい
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完成! 「ラスト・ショー」 
2006-09-04 Mon 23:47

              ラスト・ショー


                                                8月23日(水) Vol.1


「アイ・ラブ・ルーシー」や「じゃじゃ馬 億万長者」「名犬ラッシー」に見る、健康的でモラルに富み、希望に満ちた50年代黄金期のアメリカは ここには


           ない。


テキサスの裏ぶれた町で、スポーツも恋愛も うだつの上がらない高校生と、どこか疲れちゃった感じの大人しか出てこない映画。古き良き時代のアメリカを語りながら、ブラウン管から流れていたそんな作られた日なたには目を背け、日陰の部分に敢えてフォーカスした映画。 と思いつつ観ていたら、うだつのあがらない高校生と、この高校生の体育コーチの奥さん。いわゆる、どこか疲れちゃった大人が不倫を始めまてしまいました。まーこれぞ、「日陰の恋」ってやつかな。


渋みのあるモノクロ画面が “滅びの美学” を今後、示していくであろうこの映画の雰囲気を如実に語ってくれています。また、バックミュージックも当時揺籃期であっただろうロックを排除して、カントリーミュージック! で構成。時代の先端ではない、後方に停滞しているもどかしさを表現していきます。明日以降、「ラスト・ショー」という題名やこの世界観から勝手に  “滅びの美学”  なんて断言してしまいましたが、このキーワードに接近するのか、遠ざかってしまうのか、こわごわ、傍観です  



                                8月27日(日) Vol.2 最終回の1/2



全部観終わりましたが、書きたいことが長くなってしまいましたので、2回にわけて記したいと思います。まずは1回目。


残念ながら 「滅びの美学」 を見つけられることはできませんでした。 しかしここには、度重なる「喪失感」 とあやふやで不確かな 「救い」 があったのでした。
父親のように慕ったサムの突然死、 親友の元カノに翻弄されてしまった恋、 この恋が原因で壊れてしまった親友との友情、翻弄されてしまった恋 それ自体の消滅、弟のように可愛がっていた精神薄弱の少年の交通事故死、と、ことごとく彼の人間関係が削がれていくのです。まるで、高校時代という、人生における輝かしいくも保護された時代が終わった瞬間に直面する “社会の現実” を、「喪失感」 という言葉で代弁しているかのようでした。


古き良き時代を背景に、高校卒業によって、仲間が離れ離れとなる物語、といえば、「アメリカン・グラフィティ」 を思い出しますが、この「アメ・グラ」 が60年代のアメリカンPOPに乗って、軽快に18歳の希望溢れる青春が語られるのに対し、この映画は、カントリーミュージックにまとわりつかれながら、閉塞的で変わりばえの無い人間関係を引きずりつつ、決して軽快ではないエピソードが綴られていく物語なのです。
作家性、作品コンセプトの違いによってこのような相違点が見受けられるのは当然とは思いますが、
「ラスト・ショー」 が1971年の公開。
そして 「アメ・グラ」 が2年後の1973年の公開
であることを鑑みて、そんな個別の問題だけではない、アメリカ映画史という大きなうねりの中にその解を求めてみました。この問いを解くキーワードが


       “アメリカン・ニューシネマ”。


“アメリカン・ニューシネマ” とは1967年の 「俺たちに明日はない」 を皮切りにそれまでの煌びやかで、楽天的なハッピーエンドのハリウッド的世界感に対抗して、若手映画作家達が  “孤独”   “挫折”   “性”   “死”   という、今までは積極的に語られなかった題材を活用して1970年代初頭までに制作された作品群を指し、「イージーライダー」 や 「スケアクロウ」  「真夜中のカーボーイ」 などが代表例としてあげられるアメリカ映画史上の重要なムーブメントなのです。
「ラスト・ショー」  はこれらのトレンドが支配していた時期の1971年の公開であり、しかもその系譜に位置づけられる作品だったのです。このような既存の価値観に一石を投じた監督達は


      「第7期ハリウッド世代」


と呼ばれており、一方の「アメ・グラ」 は再びハリウッド本来のエンタテインメント性を蘇らせた


      「第8期ハリウッド世代」


のジョージ・ルーカスの手によるものだったのです。 たかが2年という差ではありますが、そこには、時代を仕切る隔壁が大きく存在していたわけです。

 ふー、まずは半分を掲載しました。1971年と1973年の相違点を説明し、しかし「ラスト・ショー」 と  “アメリカン・ニューシネマ”  との間にも相違があることを語り、その相違点2点が今作のラストシーンにどのように作用して、その結果どのような感想を与えたのか について語ってまいりますので、次の機会をどうぞ、お楽しみに!
 


 9月2日(土) Vol.3 最終回の2/2


 「ラスト・ショー」 の最終回の文章を書きましたが、長い構成となってしまったので2回に分けてアップすることになりました。今回はその残りです。ホントの最終回。


 “アメリカン・ニューシネマ” の流れであることで、「アメ・グラ」 と世界観を大きく違える今作ではありますが、実はその “アメリカン・ニューシネマ” の世界観からも、遠く距離を置く映画ではないかと感じました。


           理由は2つ。


まずは1つ目。今作には「俺達に明日はない」や 「イージーライダー」 といった “アメリカン・ニューシネマ” の代表作をダイナミックに推進する “無軌道な衝動” と、その終着点である “刹那的な死” という重要な要素が全く存在しないことに、強い興味を持ちました。これにより今作には、華々しくも痛々しい “映画的な死” をもって物語を終結させ、主人公達の人生をペシミズムな感傷で語る “アメリカン・ニューシネマ” の流儀が無視され、あくまでも冷静に (否、 冷徹に) 彼らの人生を客観的に観察する目が、あったのです。


           もう1つは、


“アメリカン・ニューシネマ” の主人公達のほとんどがアンチヒーロー的なキャラクター設定で、様々な土地を転々と “流れて” 行く、ロードムービー的な展開があったのに対して、今作はテキサスの片田舎に “縛られた” 青春像を描いているが為に、舞台をただひたすら小さなコミュニティに集約されていく閉塞感があるのです。発展性と閉塞感。この世界観の違いにも興味を覚えたのです。
上記の2点をまとめると、 “アメリカン・ニューシネマ” の、特徴である 「衝動・移動」 から抽出される  【動】  。そして、今作の 「冷徹 (冷静) ・ 閉塞 (静止)」 から導き出される  【静】 という二極化した言葉を浮上してくるのです。そうなのです、今作はアメリカン・ニューシネマの神通力である 【動】 とは正反対の 【静】 に支配されているが為に、 “アメリカン・ニューシネマ” の系図にはあるが、その本流とは自ら距離を置く傍系的立場を維持し、しかも、その世界観の徹底において、孤高の位置にある映画として認識することができると思ったのです。 この主人公は度重なる “喪失感” に、一度はこの町を外に向けて逃げ出そうとはします。しかし、結局はこの町に唯一残っている関係性にすがりついてしまうのです。他の “アメリカン・ニューシネマ” の主人公達のように、“流れて” いくことなど、できるわけもなく、逆に1ヶ所に “縛られる” 閉塞感に自らを貶めてしまうのです。 町に残った唯一の関係性、それが、中年女との不倫関係だったのです。ブロンド美少女に翻弄されることになる恋を優先させたが為に、ないがしろにされてしまったことに、感情の発露を抑えきれない中年女。しかし、彼女も結局は彼を受け入れ、あやふやで不確かで、偽りの “救い” を基にしたこの関係に溺れていくことになるのです........。  これがこの映画の終わり方......。  

アメリカン・ニューシネマに見る “滅びの美学” を誇張する “刹那な的な死” なんてものはここには、当然、在りようもないのですが、何の発展性もないこの町と、何の希望もないこの関係性に半永久的に監禁・拘束されてしまう彼と彼女の末路を考えると、あたかも、1ケ所に拘留されて、朽ち果てていくのを待つ終身刑囚であるかのように感じてしまいました。そして、(監獄において) “生きながらにして死する彼ら” が背負っていく “長期的に進行し続ける死” に対し、哀れみの気持ちを強く持ちました。

じわじわと内臓に応える鈍いボディブローのような映画だった。


 


                    cap028_1.jpg


   
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