通勤時間に、ポータブルDVDを活用しての通勤快速内鑑賞を、ウインドウズタブレットで執筆を行っています。 鑑賞中の直感的な感想をツイッターで 「実況」 → 鑑賞後、作品を俯瞰して 「未完成レビュー」 → そして推敲して 「完成! レビュー」 へと3回の過程を経て完成させていく様をご覧くさい
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完成! 「ディア・ドクター
2011-06-05 Sun 16:16

         ディア・ドクター





失踪した 医者・鶴瓶を巡って、


     【 現在という時制 】 においては、第3者による評価を元にして


            【 間接的人物像 】  を。

 
  

     【 少時制 】 では、医療に従事する姿を直接目撃することで 

                                
            【 主観的人物像 】  を。




それぞれ、
つの時制 によって提示される、この つの人物像 
足掛かりにして、
今作に発生していく


            【 失踪
謎 】 と 【 診断謎 】 。


      この つの 「謎」 を 推理する楽しさに満ちた鑑賞となりました。


また、


「問題提起」 は、する。

           ↓

 
           
でも、「暗
 ままわらせない。

                          ↓

                           しかし、「問題解決」 は、しない




       というユルイ立
居地が、何故かしら心地良じた

                              

                そんな不思議な映画でした。





無医村に赴任していた医者が姿を消し、彼に医療を支えられていた村人達や、行方を捜索する刑事、そして、共にこの村の医療に携わっていた看護士と研修医が彼を探すところから物語は始まります。


姿を消すことになる医者を 笑福亭鶴瓶 が
 

        “人間味溢れる” 部分基調にして



姿を消すことになる

         “謎” 部分しながら

                           
  演じていきます。



ベテランの看護士は余貴美子。 アカデミー外国語映画賞を受賞した 「おくりびと」 で演じた役柄を思い出しました。

「おくりびと」 では、主人公の モックン と、葬儀社の社長 山崎務 の2世代間を繋いでいく役どころでしたが、今作においても、 鶴瓶 演じる姿を消す医者と、都会的な匂いを発散させながら登場する若き研修医との、



   
 2世代間
隙間めていくどころ

                       になるのか注意していきたいと思ったのです。



       で、研修医は赤いスポーツカーに乗って 瑛太 がやって来たのです。
 



この医療スタッフに、村人達。そして、行方を捜索する刑事達を織り交ぜながらストーリーは展開していきます。 映画が進んでいく中で鑑賞者は、


【 現在
時制 】  において、 失踪した 医者・鶴瓶 に対する、
                第3者からの証言を元に、医者・鶴瓶 という人間の

 

                【 間接的人物像 】 を形作り、



【 少
時制 】  では、 看護士、研修医と共に農村医療に
                 従事していく姿を直接目撃しながら、医者・鶴瓶 の



                【 主観的人物像 】 を創出していくのです。



そして、
 
【 2
つの時制 】 の行き来で生成した、この 【 2つの人物像 】 を手掛かりにして、今作に発生していく 【 2つの謎 】 を追いかけることになるのです。



まずは、第1の謎   ”なぜ 医者・鶴瓶 は失踪してしまったのか?”  

という 【 失踪謎 】 に取り掛かる訳ですが、 
 【 少
時制 】  において、興味深いシークエンスがあったので、言及してみたいと思います。


老人の臨終の席において、延命機器を装着しようと提案する 医者・鶴瓶 に対して、


         その措置家人辞退。


その後、明らかに、その老人の介護を押し付けられていたと思われる、地味で薄幸そうなお嫁さんの


         えたような複雑表情

                              を今作は捉えたきたのです。

これは、


       
「長寿」 
という美辞ウラ存在する 

       「老人介護」  という問題  


                                                           姿を見せた瞬間だったのです。 

しかし、この場面で


「問題提起」 は、する。

           ↓

 
          
 でも、「暗
 ままわらせない。

                           ↓

                            しかし、「問題解決」 は、しない


                     
                    という、今作を貫いている ユルイ立居地 
                    発見したのです。  



「老人介護」 という問題が提起された次の瞬間、臨終したと思われた老人の口から、喉に詰まったモノが出てきたことによって彼は蘇生をするのです。
コメディーのような展開に亞然としていたら、偶然による、しかし、神がかり的なこの成果に興奮した村人たちが 医者・鶴瓶 を讃えながらお祭り騒ぎをするという、これまたドタバタ喜劇のような展開を見せていったのです。


「老人介護」 という 「問題提起」 はする。 

               
                  ↓


   でも、コメディー的な “蘇生” と、その後の  “お祭り騒ぎ” 
   によって、このシーンを 「暗
」 いままにはわらせない。 


                                 ↓


           しかし、「老人介護」 という 「問題解決」 は、しない 。        




このような、ユルイ立ち位置で、 「陰」 に曇りがちそうな流れを、半ば強引に 「陽」 に転換してきたのです。 
この様子を興味深く見ていたら、この ユルイ立ち位置 が実は、開始早々から提示されていたことに気付いたのです。 



「医師 失踪」 という 「問題提起」 があった。



               
  ↓


     でも、医者・鶴瓶 の飄々としたキャラクターが語られたことで、
     緩やかな気分を創出。
     そのシーンを 「暗
 ままにはわらせない。

 
                           ↓

               しかし、 気分は 「陽」 に転換しながらも、
              「医師 失踪」という 「問題解決」 は、していない。



前述の 「老人介護問題」 の後の "お祭り騒ぎ” は、実に、こんな風合いのもと展開されていたのです。 その一方でストーリーは、鑑賞者に対して 医者・鶴瓶の



  【 間接的人物像 】 を 【 現在
時制 】  において形作り、

  【 主観的人物像 】 を 【 少時制 】 で描かせていきます。




医者・鶴瓶 という人間を、このように多重的に表現してきたからには、
良好に築き上げてきた、彼の人間像が


        一気えされる 予感


                        を逆説的に持たざるを得なくなったのです。


と感じていたら、中盤以降、徐々にその 予見 が実現されることになるのです。


       病院を転々としてきた事実。
       父親の職業を偽っていた事実。


                      今は小さな事実が露呈されたに過ぎませんが、



    【 間接的人物像 】 と 【 主観的人物像 】 
という

              つの側面 から語られてきた 医者・鶴瓶 の人物像が、 
 

事実から

      きく乖離していく事 

                         鈍く、確実に、実感 させてきたのです。
 



今作は、このような前フリを経て、いよいよ 医者・鶴瓶像 が崩壊する瞬間を迎えてたのです。
その表現が大変、素晴らしい。 
 


今まで慣れ親しんできた、山村の風景から一転して、いきなり都会の高級マンションの外観が写し出されてきたのです。
カメラはゆっくりとズームインしていきます。
一部屋だけバルコニーに人がいて、そこにターゲットを定めているようです。
そして、その映像に電話の会話音がかぶさっていきます。
医者・鶴瓶 の行方を捜している刑事の声です。
どうやらこの部屋に 医者・鶴瓶 の母親が暮らしており、バルコニーで布団を取り込んでいるのが母親本人であることがわかります。
ズームインしていくうちに奥に、父親もいることもわかってきます。
電話の刑事は 失踪の件を伝え、情報を得ようとしますが、会話が母親とかみ合っていきません。
そのすれ違いは 鶴瓶 が医者であることの認識に集結してくるのです。
鶴瓶 が医者として働いていたことに驚きを隠せなく、思わず電話を切ってしまう母親。


その行為に、


            全
ての納得がいったのです 



そして、驚くことに、このシークエンスは、ゆっくりとズームインし続ける


            1カット だけで構成されていたのです


          
芳醇 1カット であったことでしょう
         

 
      ボクは、映像と音声が絶妙に絡み合うこの1カットを高く評価したのです。








【 現在
時制 】 においてニセであることが判明した途端、

           医者・鶴瓶   いや、
        ニセ医者・鶴瓶 

                       の奇行が映し出されていきました。



失踪前の 【 少時制 】  において、村の美老女である八千草薫の胃癌を隠し通し、他人の胃潰瘍の胃カメラ写真までわざわざ撮影して、


      彼女は胃癌ではなく、胃潰瘍であると

                           主張し始めるのです。



【 ニセ医者・鶴瓶 
失踪 】 という 「謎」 に刑事達の捜索によって、手掛かりが見つかった (患者の家族とのトラブル という言葉や、医者・鶴瓶 がニセ医者であったことが判明) してきたところに、 


      【 診療
謎 】 という


                新たな 「謎」 が生まれてきたのです。



この新たな 「謎」 が発生してきたことに呼応して、登場人物の心の中においては、
 

      新
たな感情

                    芽生えていたことが披露されました。



華やかな登場シーンとは裏腹に、それ以降、存在感が薄くなっていた 若き研修医 瑛太 が、研修期間が終了しても、この診療所に残りたいと、(ニセ)医者・鶴瓶 に訴えてきたのです。


      このような展開になるのは、
                        なんとなく感じてはいました。



登場当初は都会的な雰囲気を強調していたものだから、医者・鶴瓶 との


      ちょっとした 対立 や 葛藤 があるのかな?

      それを、ベテラン看護士埋めていく構造になるのかな?
 

                                   と期待していたのです。


しかし、そんな局面を待っているうちに、研修医・瑛太 が子供の往診に行った際の行為を目撃したことによって 

        そのえを放棄していたのです。


それは診察後、その子供が寝付けるように絵本を読んで聞かせる彼の姿 だったのです。


結局は、医者・鶴瓶 との対立や葛藤も、勿論、ベテラン看護士の見せ場も無く、若き研修医・瑛太 は飼い慣らされたごとく、この田舎に同化したいと言い出したのです。 

   余りにも素直すぎるストーリーに、


              拍子抜けしてしまいました。   

   
      (でもこの布石は、後ほど興味深い展開をもたらすのです。)



そんな空振りを放った今作ではありますが、いよいよ 【 少時制 】 において、ニセ医者・鶴瓶 が失踪する瞬間に至ったのです。
八千草薫の娘が、(本当の)女医という設定になっており、帰郷してきたその女医が母親の病状を確認するために、診療所を尋ねてきた来たのです。
そんな場面において、 ニセ医者・鶴瓶 は嘘を貫き通し、逆に女医の納得まで勝ち取ってしまうのです。
しかし、 女医の次なる帰郷が 1年後になると聞いて、


        「1年後って、あなた.......。   と絶句をするのです。


呆然としながら 「すぐ戻ります」 と言い残して バイクに飛び乗って


         そのまま失踪   してしまったのです


恐らく、

”このままの処置だと 1年後には女医の母親である八千草薫は死んでしまう。
 そして、その事実に娘であるこの女医は関わることがない”

     そんな将来的事実に対して、ニセ医者・鶴瓶 の中に


          何らかの感情 が生じたのでしょう。



必死になって、バイクで村から逃げていく ニセ医者。
途中で八千草薫に白衣を脱ぎ捨てる姿を見せ、
医薬品会社の人間に彼女の本当の資料を渡して、そして逃げていったのです。


この 【 失踪謎 】 
発生したシークエンスにおいて、今作は特徴的な演出を提示し、ボクの 映画的興味を刺激してきたのです。

それは  

  ニセ医者・鶴瓶 の失踪していく姿を


         「ロングショット」  「後姿」 

 
                             でしか捉えない演出だったのです。



  このような表現を用いることで監督は ニセ医者・鶴瓶 の


          
 表情
うことを

                           意識的けてきたのです



これによって今作は、ニセ医者・鶴瓶 は どのような気持ちでこの村を後にしたのか、
何故、胃癌を隠していたのか を 「謎」 のままに引き伸ばすことができたのです。 言わば

           「謎」 持続

                           成功することができたのです。

 その結果、

         胃癌した  「謎」 
         
失踪
真意 という  「謎」 

                               エサにして


            
       鑑賞者の気持ちを、終盤まで引っ張っていくことができるのです。


               上手
いな。  と感心したのでした。





医者・鶴瓶 が ニセ医者 であることが判明した後の村人の反応は、一様に 批判的なもので、
ここにきて、医者・鶴瓶 失踪後の 村人たちによる評価という

 
      【 間接的人物像 】 に、

                           激変が生じたのです。



一方の 失踪前の彼の医療の関わる姿を見てきたボクの
 

      【 主観的人物像 】 に対しては、
 

                 彼がニセでろうと基本的には変わることも無いのですが、

唯の1点、

      何故、胃癌を隠し通そうとしたか の

                診療謎 】 だけが、 纏わり付いているのです。




やがて、ニセ・医者 であることが判明した後の登場人物の発言で ボクの映画的興味を強く惹いてきた場面がやってくるのです。   刑事と 研修医・瑛太 との会話。
 
研修医・瑛太 は、医者・鶴瓶 に対して


          「違和感っていた 

                           と言い出すのです。


この言葉を聞いた瞬間に、ボクの頭の中にこそ、


          大きな 「違和感」 が


                           生じていったのです。


何故なら、過疎地の診療所に勤務している 医者・鶴瓶 と 都会からの 研修医・瑛太 との何らかの対位律は、今作の開始当初から、ボクが望みながらも、活用されなかった要素だったからなのです。

研修医・瑛太 は、医者・鶴瓶 の医療活動に従順にも同化し、ついには、研修後もこの診療所に残りたいとまで訴えるようになったではないですか。

この診療所に残ると言い出したのは 医者・鶴瓶 の医師としての姿勢に感銘を受けたからだと思うのですが、 医者・鶴瓶 が ニセ医者 であったことが判明した途端に、
 

        医者・鶴瓶 に 「違和感 
」、
 
                  「目
らせていた 

                                  とまで言っているのです。





             おもしろいな と思いました。





マンションの1室、母親へのカットズーム・アップ 】 や

【失踪
する ニセ医者・鶴瓶 表情排除したシークエンス と

ビジュアル表現で興味深い場面を提示してきた今作でありました。
しかしながら、登場人物の言動の中で、興味を惹かれる場面に遭遇しなかったものですから、

今作は吉田美和監督作品なのに........。 と、


          別 「違和感」 を

                        感じていたところなのです。


( と言っても、彼女の作品は 「ゆれる」 しか観ていないのですけれどね )

「ゆれる」 では表面上の人間関係と そのウラハラに心の奥底にある 「闇」 を常に感じていたので、

    研修医・瑛太 のこの言動の不整合の局面を見て、

            やっとたか  

                            喜んでしまったのです。


そのぐらい、研修医・瑛太 のこの発言は、ボクにとっては、映画的興味を刺激するものだったのです。
何故なら、医者・鶴瓶 と同化して、診療所に残りたいとまで訴えた 研修医・瑛太 が、 医者・鶴瓶に対して 「違和感」 を持っていたなどとは、とうてい思えなかったからなのです。
ましてや 医者・鶴瓶 は、 「医者の資格が無い」 とまで告白をするのですが、
 「違和感」 など微塵にも持たない 研修医・瑛太 は 
 

    「医者資格」 意味


    「医者
としての資格」 意味えて

               
自分の父親こそ、病院経営にしか興味を持たない

    「医者としての資格医者」 として、

                        
その対極にいる医者・鶴瓶 の姿勢を
                          讃えてさえいたのではないでしょうか?








             本心られないための小芝居





一言で言うと、そんなところなのでしょう。
 
研修医 と言えども、医大に受かって、医師免許を取得した訳なのですから、そんなプライドが言わせた言葉だったのでしょう。
心酔してしまった医者が、医大にも通わず、医師免許を持たない ニセ医者 であったわけですから、
ましてや、「医者の資格がない」 「ニセモン」 だと告白されても、その真意に近づけもしなかった訳ですから、プライドを守るための防衛本能が働いたとしても、おかしくはないのでしょう。

研修医・瑛太 に対するこの推測には確信を持っていましたが、次にインサートされたシークエンスが、ボクのこの考えを強固にしてくれることになったのです。

それは、夜の田んぼを掻き分けるようにして (ニセ)医者・鶴瓶 を探す、研修医・瑛太 の姿だったのです。 必死になって探している様子を見ると、 失踪当初の、まだ、鶴瓶がニセ医者であることが

            バレる時制のシーン

                               であることが予測されます。



研修医・瑛太 による  「違和感」 を感じ、 「目を光らせていた」 と言った 
 
    小芝居の直後に、

            ストーリー的脈絡もなく

            時制的にもがりもない


                          このカットが配置されたことによって、


    「違和感」 発言に対応した 研修医・瑛太 の

            心象すシーンにいない。

                            と、ボクには受け止められたのです。
 


刑事には、ニセ医者・鶴瓶 を慕っていたという 本心を悟られないように、 「違和感」 や 「目を光らせていた」 という言葉を吐いてはみたものの、



             良心呵責えかね

           
  贖罪気持ちをったからこそ、


今は姿が見えない (ニセ)医者・鶴瓶 を探すという行為がここに挿入されてきた。  
 

                                       と感じたのです。



その行為は、人を探すというよりは、物体を探すような仕草だったことも 興味深く感じたのです。 まるで 遺体 を捜すように思えたのです。
鶴瓶 が脱ぎ捨ててしまった

 

        
 「医者・鶴瓶 の
ヌケ殻」 を


                             探しているように思えたのです。


「違和感」 発言の直後に時制的に昔となる この 「探す」 シークエンスがわざわざ配置されたことで、研修医・瑛太 は 医者・鶴瓶 に

         「違和感」 などじていなかった。

                                 と確信したのです。 


今作はこのように人の言動においても興味深いシークエンスを訴求してきました。しかし、その後に続く、ニセ医者・鶴瓶 が 実家に電話を掛けるシーンは興ざめ以外の何物でもありませんでした。


【失踪する 
ニセ医者・鶴瓶 表情排除したシークエンス 
 という素晴らしい表現を示しておきながら、ここにきて彼の顔を映す

 
          必要性じなかったのです。  



  ( しかも、あのラスト・カットを用意しているのなら、
                           全くの蛇足に過ぎないのではないか? )



そして、秀逸だった マンションの1室、母親へのカットズーム・アップ 】 
において既に、母親や父親の存在を鮮烈に訴求していたのに、再登場させたメリットが


           
理解できずにいたのです。




そして、名門医科大学を卒業した 父親への コンプレックスを今さら言及されても、それまでの表現の中で充分に感じ取れていたのに......。
そして、父親の痴呆症状も、マンションの1室、母親へのカットズーム・アップ 】 において、ダイニングの奥で、母親と刑事の会話をよそに、ポカーンと座っている姿を見ることで、十分に推察することができたと言うのに。

 
      
 くをもって 蛇足 。


                         としか思えなかったのです。




【 「違和感」 発言 のちょっとした波乱 】 とその後の 
【 時制をこえた 「探
 心象カット 】   の秀逸さに比べて、



      【 公衆電話蛇足 】 は

                    記憶から消してしまいたいほど不要。
                    そう断言をさせて頂きます。



そしていよいよ今作は、2番目の 「謎」 である  診療謎 】 についての解答がなされていったのです。

何故、ニセ医者・鶴瓶は 八千草薫 の病状を 胃潰瘍であると 嘘をつき通したのか?
 
この謎は、八千草薫の娘である女医のこのセリフによって明らかにされていくのです。 失踪騒ぎが一段落して八千草薫は、今や娘の勤務する大病院に転院しているのです。その母親のことを思いながらつぶやく言葉。


      「あの先生なら、どんななせたのかな?.......。」

 



 そうか.........、胃癌 は発見された時にはもはや、

                        手遅れ の状態だったのか........。



その瞬間に、ニセ医者・鶴瓶 に対するボクの 気持ちが完全に元に戻って行ったのです。
 死んでいく 八千草薫 に


        精神的苦痛えないように

        胃潰瘍である 「嘘」 をついていたのだ。

 
                                  と 、理解したのです。
 


そして、彼の 【 失踪謎 】 もこのつぶやきによって解明されたのです、

ニセ医者 であることがバレたから失踪したのではなく、  
八千草薫の最期を 

       である女医看取ってもらいたい。

                                と、願ったからこそ、


       
胃癌事実がわかるようにしてしたのだ。

                                という思いに至ったのです。



この局面こにきて、今作に生じていたの2つの謎 、
【 失踪謎 】 
   診療謎 】 が、堰を切ったように、一気に納得していったのです。

ニセ医者 であることが判明した時点で、彼に対する、第3者からの 【 間接的評価 】 は地に落ちた訳ですが、ボクの彼に対する 【 主観的評価 】 は、  診療謎 】 に翻弄されながらも、この2つの謎を知りえた者の正当な反応として、変わることはなかったのです。



このように、今作における大きな鑑賞目的であった 【 2
つの謎 】 が解き明かされていきました。この後は、残りの時間を使って、どのよう内容を語りながら、どのようにして終結していくのかが、終盤にかけての鑑賞目的になっていきました。


そんな鑑賞目的に呼応するように、

      づかみにされながら、

                  記憶を呼び覚まされたシーンが提示されていきました。


それは、診療所が閉鎖された後のシークエンス、
ベテラン看護士・余貴美子 の息子が 喘息の発作に苦しんでいる場面において、
医療行為が許されない母なる看護士は、ただ、息子の背中をさするながら
「よくなーれ」 「よくなーれ」 とおまじないを念じるシーンが提示されてきたのです。

これは、ニセ でも 医療行為をしてくれる者の存在が、この無医村には


     いかに有難がたかったのか

                        を再確認した瞬間だったのです。



そして同時に、中盤に挿入されていたエピソードを思い出したのです。
村の青年が事故で診療所に担ぎ込まれた際、
処置に戸惑っている (ニセ)医者・鶴瓶 に対して、この ベテラン看護士 は救急救命室にいたその経験から、処置法を (ニセ)医者・鶴瓶 に詳細に教示をするのですが、 そのシーンにおいて、


     
 看護士医療処置をすることができない


                         そんなジレンマを伝えていたのです。


いくら豊富な医療知識があったとしても、医療処置が許されない看護士である母にとって、 たとえ 

   ニセ であっても医療処置をしてくれる者の存在は


               
きない 

                               であったのです。


医療処置が許されない母に出来ることは、息子の回復を願いながら、背中をさすり 、効き目がおぼつかない 「よくなーれ」 という呪文を唱えるしかなかったのです。



       非常に、さる シークエンスだったのです。



【 2
つの謎 】 を解明した今作は、作品全体の問題意識の再訴求に充実の時間を当ててきたのです。
と感心していたら、理解不能な 駅でのシークエンスに繋がっていったのです。

この局面に際して  公衆電話蛇足 】 と同じことを言いますが
【失踪する ニセ医者・鶴瓶 表情排除したシークエンス からは、
ラストのあのタイミングになるまで、


  ニセ医者・鶴瓶 の存在を匂わす表現は、



         
 一切、必要ない


                             と強く主張いたします。



そんな蛇足なシークエンスを経て、今作は、



        今作真骨頂境地えていくのです。




娘が勤めている病院において、八千草薫 が気だるくベッドに寝ているところに、
お茶をサーブする病院係員がやって来ます。
お茶を受け取る彼女がその係員の顔を何となしに見た表情が、驚きの表情に変わりました。  

 

     「 ......?..... 、         !   」     と。 


     「 ..何?..... 、 そうか!  」       と、 ボクが気付いた瞬間。



                     その係員は ニセ医者・鶴瓶 であったのです。


給仕服に身を包んだ 元ニセ医者・鶴瓶 が目の前にいたのです
最初は驚きの表情の 八千草薫。 そこには警戒の色も伺え、ちょっとした緊張の時間を迎えたのです。
しかし、次の瞬間 


     今作真髄ともうべき瞬間


                              やって来るのです。



元・ニセ医者、 現・病院係員の 鶴瓶 は 八千草薫 が自分のことを認識した瞬間に、どうしてもこらえきれずに


            なつこい笑顔せ、    
 

    その笑顔につられて、八千草薫 も思わず


           
 カワイらしい笑顔
になったのです





一言のセリフも交わされることもなく、
笑顔だけでワダカマリを払拭し、通じ合えた二人の心。

今作は、ホッコリ としたこの絶妙のタイミングを図って、
 

  
                   プツッ と



                            終わっていったのです..........。





          
 に、今作らしいわり
だな
 


                そう思いました。





今作の序盤、 医者・鶴瓶 の失踪という、ちょっと重い始まり方をしながらも、医者・鶴瓶 の飄々とした性格に救われもしたのです。 しかしホッとしても 「失踪」 という問題が消えたわけではありませんでした。

また、老人のご臨終の席において 老人介護の重い現実を見た思いになったら、いきなりの蘇生で、しばしの笑顔になっても、 「老人介護」 という問題が消えたわけではなかったのです。  

八千草薫 が末期の胃癌というシリアスな局面において、鶴瓶 の登場に、思わずホッコリとしながら今作は終わるのですが、よく考えてみると、胃癌が無くなったわけではないのです。 
 

いずれも独特世界観で、 「陰」 から 「陽」 への転換がなされていったのです。



「問題提起」 は、する。

           ↓

 
          
でも、「暗
 ままわらせない。

                         ↓

                          しかし、「問題解決」 は、しない

 


         このユルイ立居地が 何故心地よく、


   今作
のこの終結方法も、納得のいくものになっていたのです




しかし【 現病院係員・鶴瓶 の笑顔につられて微笑 八千草薫 】 
                                で今作が終結していくのなら、

何度も主張するように、

【失踪
する ニセ医者・鶴瓶 表情排除したシークエンス 
以降は
姿は勿論、存在を匂わす表現までもを、


          自粛するべきだった 
 
                    
                        と声を大にして言いたいのです。



第3者による評価という情報が制限された 【間接的事実】 だけを頼りに、ニセ医者・鶴瓶 の本性を模索し続け、
あのラストの一瞬だけに実体を表す存在感のみで、

       元・ニセ医者、
       現・病院係員 鶴瓶 の 【主観像】 を


             鑑賞者創出できた刹那、


                      
今作は終りを告げていく.......。 



            そんな終わり方にして欲しかったのです。



きっと 鶴瓶 は 医者としては無理だったけど、病院係員という身近で等身大の立場で、八千草薫 を



               看取ったのでしょうね。 




          そう思うと 静かに心が熱くなっていったのです。










失踪した 医者・鶴瓶を巡って、



    【 現在という時制 】 においては、第3者による評価を元にして


 

            【 間接的人物像 】  を。

 
  

     【 少時制 】 では、医療に従事する姿を直接目撃することで 

                                
            【 主観的人物像 】  を。




それぞれ、
つの時制 によって提示される、この つの人物像 
足掛かりにして、
今作に発生していく


            【 失踪
謎 】 と 【 診断謎 】 。


      この つの 「謎」 を 推理する楽しさに満ちた鑑賞となりました。


また、


「問題提起」 は、する。

           ↓

 
           
でも、「暗
 ままわらせない。

                          ↓

                           しかし、「問題解決」 は、しない




        というユルイ立
居地が、何故かしら心地良じた

                              

                 そんな不思議な映画でした。





       ディア・ドクター2



       ディア・ドクター3





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