通勤時間に、ポータブルDVDを活用しての通勤快速内鑑賞を、ウインドウズタブレットで執筆を行っています。 鑑賞中の直感的な感想をツイッターで 「実況」 → 鑑賞後、作品を俯瞰して 「未完成レビュー」 → そして推敲して 「完成! レビュー」 へと3回の過程を経て完成させていく様をご覧くさい
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完成! 「八日目の蝉」
2012-12-17 Mon 21:18
1 





懸念材料を逆手に取って、鑑賞動機に結び付けた



     演出手腕は、かに見事
  
          
                      でした。



しかし、15年の時を隔てて同時に展開する2つの関係性をパラレルに推進することができず、しかも、構成要素の取捨選択に迷いを生じたが為に



     訴求点不明瞭


                   となってしまったのは、
                   大変、残念なことでした。
 


主人公をド真ん中に据えて、彼女自身を語り尽くすべきっだったと考えます。
そうすれば、



     終盤せてくる感情噴出に、



              何のわだかまりなく、
              ドップリと
身をまかすことができたはずです。    
  



随所に見せる確かな演出を鑑みると、



  トータルバランス十分配慮がなされた 
逸品



                               となるべき作品でした。









赤ちゃんを誘拐された母親と、赤ちゃんを誘拐した女の独白から幕開けをした今作は、
しょっぱなから 

 

       雰囲気っている。

 

        主人公である女は不倫相手の赤ちゃんを誘拐したのです。

 

この独白で興味深かいのは、妻と愛人の人間関係。お互いの存在を認識し、

 

     妻側愛人して攻撃的態度  


                            を取っている点。

  

毎日、不倫の抗議電話で愛人を罵倒するという。しかも、夫婦間の性生活の自慢も聞かされていたという。 



   
 愛人堕胎によって子供めないになり、

    妻出産をする。  

 

                      そんなあからさまな
                      対比となっているのです。



今作はこの冒頭部分だけで、加害者である愛人に同情の念を持たざるを得なくなるよう、仕向けてきました。

 

 愛人は不倫相手宅の留守に忍び込み、赤ちゃんを抱きます。
そうすることで、不倫関係清算の踏ん切りにするはずでした。

 しかし、その思いを崩壊させる、奇跡のカットに続いていったのです。

愛人が抱き上げた瞬間、ニコッと赤ちゃんが大きな笑顔を見せてきたのです。
絶妙のタイミング。
赤ちゃんがまるで意思を持っているかのようでした。


愛人はその笑顔を見て
 


      められた、
      された


                と感じたと語っています。


堕胎で赤ちゃんを殺してしまったことや、不倫をしていた負い目を、

この笑顔は許してくれた、
 

                と。 

 
 

       慰め と  し。


愛人は赤ちゃんの存在に 救済 を見い出だしたかったのではないでしょうか。
救いを懇願するが故に意識が超越していった愛人は、その女の赤ちゃんを
カオル と呼び掛けるのです。 カオル とは、愛人が亡き子に名付けるつもりの名前だったのです。


赤ちゃんを抱きしめ、そぼ降る雨の坂道を走しり降りて来る愛人の姿は、  

 

     しくも、ろしい  
 
                   カットでした。

 

 

  

          彼女は、誘拐をしたのです。

  

 

 

場面は突然、カオルが20歳頃に成長した現在の時制に飛んでいきます。

成長したカオルは、ぶっきらぼうな女になっていました。
そこにカオルの誘拐事件を追うフリーライターの女がからんできます。
この女にも カオル同様の不器用さを感じたのです。
過去と現代のカオルを巡る物語が進行していく中  

 

      懸念2つの設定

                  同時出現してきました。



1つ目

成人したカオルの場面において。カオルが妻子ある男性と不倫関係にあるという設定。
育ての親である愛人と同じ境遇にもってきたところに

  

       ありがちな  「世代間連鎖」 
 
                        という流れを感じ、

                        
 
         警戒をしてしまったのです。

 

この後、カオルが不倫相手の子供を妊娠する展開になるのか要注意です。
 




2つ目
は、

カオルを誘拐した直後、逃走する愛人が 「エンジェルホーム」 という新興宗教的な自給自足集団に身を寄せるという設定が提示されたのです。

「エンジェルホーム」 とかいう極端な舞台を提示してきたことに、 


    本来テーマボヤけてしまのではないか


                             と不安になったのです。  

 

 

               が.....

 

 

 心配した通り、
 カオルは不倫相手の子供を身籠り、

 「エンジェルホーム」 は現実離れした集団の様相へ。


こんな有様になってしまった今作の行く末を悲観した瞬間、
突如として
 

     予想だにしなかった関係性

                        提示 されていったのです。

 

この展開は、今作に対して諦めの気持ちを抱いたボクに、大きな驚きをもたらしてくれました。しかもそれは、ボクが諦めの気持ちを持つことになった2つの要素が絡まっていたのです。


今作には、カオルに取材をかけてきた女性フリーライターが登場してきたのですが、
2つの警戒要素のうちの1つ 「カオルの妊娠」 をキッカケにして、その女性フリーライターとカオルは心を通わせてゆくのです。

二人とも真っ直ぐで、世渡り下手なところが似ているなと思っていたら、

そのフリーライターは何と、エンジェルホーム」 でカオルと


        姉妹のようにしてった。 

                        と言いだすのです !





  この予想もできなかった展開

               不意たれて、んでしまったのです。



「カオルの妊娠」 によってフリーライターの存在感が急増した矢先にこの展開。
しかも、舞台は 「エンジェルホーム」 なのですから、 ボクの警戒心をことごとく逆手に取って、



        きにえていったのです



みるみるうちに、今作に対する期待がまた、大きく膨らんでいくのを感じました。



強い縁を感じたカオルとフリーライターは、取材旅行として、エンジェルホーム跡地を訪ねていきます。
今や廃墟になってしまったその場に佇むと、いつしかカオル達がこの施設を逃げ出して行った日のことが映し出されていきました。
愛人は誘拐犯であることがバレる事を恐れて、エンジェルホームを逃げ出して行くのです。

 

     あれ? と思いました、

 

せっかくカオルとフリーライターの関係性に興味が持てたところなのに、その共通体験であるエンジェルホームを早々と抜け出して、このスチュエーションを活用しないことを残念に思ったのです。

 そして同時に、あれだけ嫌っていた 「エンジェルホーム」 だというのに、カオルとフリーライターの興味深い関係性が提示された瞬間、エンジェルホームを後にすることを心底残念に思う 。そんな


       ガラッわった自分態度

                          にも、興味を持ちました。



エンジェルホームを離れてしまって、カオルとフリーライターの関係性は発展しないのかと心配していたところ、この二人はもっと深い方向に展開してくれたのです。

  それは、取材旅行中のホテルでのこと。
  不倫相手の子供を産む決心をしたカオルに対して、
  自分もその子の母親になりたい、と言い出すフリーライター。
  そして、自らは、男性恐怖症で、普通の結婚が望めない人間なのだ。

                              
                                 と告白するのです。

 

 フリーライターの存在がここまで大きくなるとは思いもよらず、うれしくなってきました。

 「カオルの妊娠」 「エンジェルホーム」 と、反感を持ってしまった素材を

 
  
     ものの見事に料理して、
 

             フリーライター必然性創出 したのです。

 

エンジェルホームという女性だけの特殊な環境で育ったが故に、男性に恐怖心を持ち、しかし、カオルの妊娠によって


      そのコンプレックス克服する


                        そんな方向に動き出した彼女に、
                        大いに興味を惹かれたのです。



前向きな感情を持ちながら鑑賞を続けていくと、 二人の取材旅行は小豆島へと続いていきました。

エンジェルホームを出た愛人とカオルの行き着いたところなのです。
今作はその地での愛人とカオルの生活を語ってくるのですが、
ここにきて

   彼女のことを愛人と呼ぶことに
 

             違和感てきました

 

何故なら、映画は 母と子の心通うストーリー を語り始めてきたからなのです。
愛人は、キョウコと名乗っていました。


    キョウコとカオルは小豆島に流れてくるのです。

    小豆島には、ささやかな幸せがありました。


地元の人の優しさに触れ、カオルにもちょっと歳上の友達ができたのです。
そんな穏やかな日々の中で、今作はささいな。でも、シリアスな予感を訴求してきました。

歳上の友人たちが小学校に入学したのです。微笑ましいシーンではあるのですが、


        一抹しさがよぎりました。



何故なら、このキョウコとカオルの二人は、

 

        小学校入学というれの
                    してえることがない。 

 

                   観客は察知しているからなのです。



そう。二人の関係性は義務教育という戸籍管理が始まる前にしか、存続することができないのです。 年上の友達の小学校入学という微笑ましいシーンによって、今作はこの二人が親子でいられる時間が

 

            かであること 

 
                        そっと訴えかけてきたのです。



このような小技を楽しみながらも、またしても、不満の気持ちが湧きあがってきました。

何故なら、小豆島に舞台が移ってからは、もっぱらキョウコとカオルのつましやかな生活が提示されてきたために、現在の時制に生きるカオルとフリーライターの存在感が急落してしまったからなのです。


  小豆島に来る前には、フリーライターの役割に大いに興味を持たせてきたくせに、

  小豆島では、一転して母子にフォーカスを当ててきた

    そんなアンバランスさが
 

               になって仕方なかった のです。



   現在のカオルとフリーライターの関係性と、
   逃走中のカオルとキョウコの関係性が


               並列いておらず、
               連動配慮がなされていないことに



         もどかしさを  感じてしまったのです。




小豆島に舞台を移してからは、映画の主題はカオルを巡る 「母性」 を語ってくるものと推察していたのですが、上記の通り、
  


            母たるキョウコの、カオルに対する 「母性」  

                       が語られても、現在を生きる
 

     カオルの我が子への 「母性」 も
     カオルに託したフリーライターの 「母性」 も 
 

                                    一切語られる気配がないことに、

 
 

               疑問じていたのです。 




そんな不満を抱えながらも、小豆島を訪れたカオルの存在意義が大いに発揮される時がやって来たのです。

それまで無感情で小豆島を訪れていたカオルですが、記憶を呼び覚まされたのでしょう。突然、
 

         かれたように 

                 1つの場所目指のです。



それは小豆島の穏やかな日々を過ごした民家だったのです。 その民家を目指すカオルの表情に様々な声が被さってきました。それは、小豆島の暮らしの中でカオルたちを優しく支えてくれていた人々の声だったのです。

それまで無感情だったカオルの表情に 


           
意思じました。

 

                     あの頃の記憶がまざまざと蘇ったのでしょう。
                       ボクはそんな彼女の覚醒に、
                     徐々に心を動かされていきました。




しばしの高揚感の直後、しかし、 


          きなしさの 
  

                        叩き込まれたのです。 


小豆島の我が家は売り物件となっていたのです。
お世話になっていた大家さんを始め、幼少時に楽しい日々を共に過ごしてきた心優しき人々の存在感も見つけることができませんでした。
 

 

       それだけ 年月無為っていた

                           
                                    のです。

  

4歳時のカオルとキョウコを巡る島の人々たちとの心暖まる生活を表現しておきながら、 現在の時制のカオルの素っ気なさが気になっていたのですが、

その素っ気なさは、 この場面における



     「覚醒」 と 「落胆」 を
 

                        必要だったのだ、

                                    と思えてきました。



映画は4歳時のカオルとキョウコが小豆島を離れる場面へと続いていきます。
素性があらわになりそうになっての再びの逃行となるのです。

島を出て行く前に、二人はある行動をとるのですが、その行動とは、写真館で二人の姿を撮影することだったのです。


ボクはこの時点で
 

      二人れがことを 
 

 

                     りました。

 

 
何故なら、この島のあのコミュニティにおいて、写真館で写真を撮るということは、小学校の入学を示していたからなのです。

カオルのちょっと年上の友達が小学校に入学するシーンがここにきて輝き出すのです。 全員が小学校入学を祝して写真館で撮影していたことを思い出しました。

そして同時に、義務教育という管理が二人の関係性に終止譜を打つ予感 
 

                                    も思い出したのです。
 

 

         「入学 = 写真館」    という式と、
         「入学 = 別離」     という式が並列しており、

 
そこから    「写真館 = 別離」   という予感が

 

                        ボクの心の中に発生していったのです。

 
 

 

            きっと別離いはずです。
 
 

 

 

物語は何の収穫もないまま小豆島を去ろうとする現代の二人へと続きます。
そして、フェリー乗場でまた記憶の断片が蘇ってくるのです。

カオルは駐車場の一角に不安に佇む4歳時の自分を見るのです。 

このフェリー乗場で逮捕されたことによって、4歳時のカオルとキョウコの別離がなされていきました。

4歳時の別離の場面を思い出したカオルは、また1つの場所を目指します。
それは別れを予感させた写真館でした。
写真館のショーウィンドウを真っ先に覗くカオル。
 

     えっ!まさか!! 

                   と、ボクは大きな期待を持ったのです。 



しかし、その大きな期待は淡くも吹き飛んでいきました。

そのショーウィンドウには別離時に撮影した二人の写真なんて、飾ってあるわけもなかったのです。



         あーガッカリ!

 

小豆島で、何一つ、カオルの痕跡を探しだすことができなかったくせに、唯一の存在の証しである記念写真が、



    ひっそりとショーウィンドウに飾られ続けていた。
 

                        そんなカタルシスを夢見たのです。



 残念ながら、ボクが夢想したような展開にはなりませんでしたが、この写真館での出来事が今作のカタルシスを形成していくことには違いはありませんでした。

カオルは別離時に撮った写真を初めて目の当たりにするのです。

4歳時の自分と、記憶があやふやになりかけていたキョウコの姿カタチ、そして顔を。
あやふやなイメージと化していたものは、


   
確かに実在したという

         リアルな触感 のようなものとなり、

                    カオルの脳内を駆け巡ったことでしょう。

 

           封印していた全ての記憶が噴出 したのです。

 

そして、写真を撮影する一瞬前、キョウコから託された
「大好きよ。」  という愛の言葉をカオルは、

 

         まざまざと思い出したのです。



キョウコの愛情を今、まさに再認識をし、心を揺さぶられたカオルは、長い年月、心の奥底に押し込めていた言葉を一気に吐きだします。



    「この島に戻りたかった、

            ずーと島に戻って来たかったんだ ! 」    と。



しかし、実父母に気兼ねして、島への想いを封印し、半ば強引に無関心を装っていたのです。
これでカオルの


       でのない表情

                      合点 がいきました。



彼女の無感情の裏には、このように 


                複雑気持が 

                                             隠されていたのです。




別離時の写真に触れて、全ての記憶を取り戻したカオルは、この島での全ての生活を、
そして自分も、母であるキョウコを愛していたことを、



                     しっかりと 自己認識 をしたのです。

 

そんな、ありのままの自分自身を発見していく展開の中で、今作は次なる展望を持って終結していきました。

母から愛されていたという事実を認識したカオルは、その気持ちを、お腹の我が子に伝えていくのです。


指名手配をされて自由とお金が無い中でも、幸せをもたらしてくれた母と同じように、
自分も我が子を慈しみたい。
そんな感情を昂らせたカオルの姿を映し出して、今作は終結していったのです。



心の扉を閉ざしてきたカオルが赤裸々な自分を取り戻すに至るエンディングは、
心を振るわされるものがありました。

ここで母たる


      キョウコの 「母性」 が
      カオルによって継承されていく様


                         を見ることになるのです。


いびつな形状ではありますが、ありがちな 「世代間連鎖」 の域を超えた


       感情 を得ることはできました。




しかしながら、鑑賞し終えたボクの率直な感想は、



         「テーマをしっかり訴求してしかった


                         という言葉に集約されてきたのです。



成人したカオルと行動を共にするフリーライターの存在感が急騰したかと思ったら、
一気に急落したり、
結局は「エンジェルホーム」は必要だったの? と思えたりと、
不必要と感じる要素に時間と労力を費やしていたと思えてしかたがなかったのです。


発展させる気がなかった枝葉を省略して、 


             ストーリー本筋丁寧ってしかった、 


                                                                             と思ったのです。



例えば、

【成人したカオルの無感情ぶりと、そうならざるを得なかった、奪還後のカオルのギスギスした生活】   や、

【小豆島のささやかでも、暖かい触れあいのある幸せな生活。そして、いつか必ずやって来る別離への恐れ】  そして、

【逮捕後の16年間、一度も会うことはなかったが、それでも心の片隅で気持ちを通わせていた 「親子」 のストーリー】

などといった要素をしっかりと訴えていれば、ラスト、写真館でのキョウコの言葉 、
「大好きよ にもっと素直に反応できたかもしれなかったのに...。
そして、ラストカットの長廻しの一魂が、表面的で技巧的なもので終わらずに、

 

カオルの 「魂解放」 と 「自己奪還」 を

         力強く訴求してきたことを

                  直感的理解 することができたはずなのです。




そう、ラストカットは大変興味深いものでした。

別離時の写真によって記憶が覚醒したカオルは湧き出る感情に突き動かすされるように写真館を飛び出します。

  走って、走って、そして、

ラスト2分45秒の長廻しの中に、映画のこれまでの1時間 21 分間を黙り通してきた

 

【 誘拐されていた4年間が、その後の16年間よりも、何よりも愛しかった 】

 

                               という自分の真実を吐き出し、



自分の 「母」 を初めてリアルなものとして認識したことがきっかけとなって、
今度は自分がその 「母」 となる覚悟を決めていたのです。

そんな

    まぐるしい展開を、

                  執拗にカメラは追いかけ、
                  たったの 1カット表現してきたのです。



このように、技巧的にもコンセプト的にも秀逸なカットであるはずなのに、映画の中に配置されると、


         その

                  なわれていったのです。




              
不思議なことでした。





素晴らしいパーツがあるにもかかわらず、それを輝かせることができなかった原因が

ボクには


       
作品自体バランス


                      である、とどうしても思えてしまうのです。





やはり、ここでも同じ言葉が出てきてしまいます。


      テーマをしっかりと訴求するべき

                              だった。 と、





そうすれば、ラストカットに寄せてくる様々な感情に    

                    素直
反応できたはずなのです。 



そして、技巧的なだけではない、コンセプトだけではない、


       感情さぶるを、


                  今作は提示することができたはずなのです。







懸念材料を逆手に取って、鑑賞動機に結び付けた



     演出手腕は、かに見事
  
          
                      でした。



しかし、15年の時を隔てて同時に展開する2つの関係性をパラレルに推進することができず、しかも、構成要素の取捨選択に迷いを生じたが為に



     訴求点不明瞭


                   となってしまったのは、
                   大変、残念なことでした。
 


主人公をド真ん中に据えて、彼女自身を語り尽くすべきっだったと考えます。
そうすれば、



     終盤せてくる感情噴出に、



              何のわだかまりなく、
              ドップリと 身をまかすことができたはずです。    
  



随所に見せる確かな演出を鑑みると、



  トータルバランス十分配慮がなされた 
逸品



                               となるべき作品でした。 




 











八日目の蝉2 


                                        八日目の蝉3

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