通勤時間に、ポータブルDVDを活用しての通勤快速内鑑賞を、ウインドウズタブレットで執筆を行っています。 鑑賞中の直感的な感想をツイッターで 「実況」 → 鑑賞後、作品を俯瞰して 「未完成レビュー」 → そして推敲して 「完成! レビュー」 へと3回の過程を経て完成させていく様をご覧くさい
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完成! 「桐島、部活やめるってよ」
2014-01-08 Wed 22:07

桐島1 







ありきたりな日常でも


      
視点場所をずらしながら、 
そして、
     時制ねながら配置     していくことで、


                
その日常が重要性びてくる。




    そんな今までにない表現をまざまざと体験をしました。




そして、極・私的嗜好である 



         「現実虚構融合」


                          までもがなされていったことは



                    望外でした。







今作を鑑賞することで


新しい感性を呼び覚まし、そして、自分の嗜好をも満足した。


            極上映画体験  


                                           を味わうことができたのです。










導入部、いきなり今作は


                        興味深展開を見せ始めました。


 「金曜日」 と書かれたテロップから始まり、高校の放課後が映し出されてきたのですが、


            さしたる展開がないままに、 
                             「金曜日」 というテロップが表示されたのです。



あれ? さっきとは違う 「金曜日」 が始まるのかな ?
と観察していたところ、第2回目に提示されたこの 「金曜日」 は、どうやら、今まで見てきた 「金曜日」  と全く同じ日のようなのです。
そして、第1回目の時制の 「放課後」 よりもちょっと前の、「終業ホームルーム」 から始まっていたことがわかるのです。

この特徴的な構成によって、第1回目の 「金曜日」 で何とはなしに出てきた登場人物の役割を少々、理解することができたのです。
その中で主人公である神木隆之介くんが  「いけてない」 映画部員であることが印象に残りました。
( ボクは高校時代に自主映画を制作していたので、彼にシンパシーを感じていくこと
  になるのでしょう。 )




今回、第2回目の「金曜日」は4人の女子を追いかけていくのですが、興味深いことに、第1回目の 「金曜日」 で見た場面が


              視点から
                                       映し出されてきたのです。


第1回目の 「金曜日」 の時制に、第2回目の 「金曜日」 が追い付いたことになります。   
   
               「ちよっと」 面白な。  
                                                と思いました。


一つの出来事を違う視点から語り、そして、時制をズラすことで、物事を多面的に表現してきたこの手法には、大いに興味を惹かれました。

( ここで思い出すのは大島渚の怪作 「日本の夜と霧」 やハリウッド娯楽映画の
  傑作 「バックトゥザフューチャー2」。 
  いずれの作品も、一つの出来事を違う視点で再提示することで、その出来事を
  多面的に語ってきたのです。そして、この手法の最高峰は 「羅生門」 
  であることは疑いの余地はないでしょう。 )


手法は興味深いのだが、「ちょっと」 と表現にしているのは、映し出して来るものが


                ありきたりな放課後の情景 
                                                          であることに    

     
                      戸惑いをじたからなのです。


「日本の夜と霧」 のように、「破防法」 運動盛んなころの学生寮スパイ事件の真相解明や、「バックトゥザフューチャー2」 のように、パート1のクライマックスシーンが進行しているさ中、別の思惑か絡んでくる。など、今作には、そんな


                    劇的な要素が存在しないのです。



題名にある桐島クンはバレー部のスター選手で、その彼に何らかの異変が生じていることはわかります。
しかし、登場人物をありきたりな放課後で、何とはなしに登場させているため



映画は始まっているのに、ドラマがいていないことに 
  

             居心地のようなものを
                                                  感じ始めていました。





          
味は惹かれるのだけれど、掴みどころがないのです。





この映画の世界観に乗っていけるか不安になったところ、いきなり今作はドラマチックな予感を見せたのです。
桐島クンのガールフレンドに、彼の異変を告げようと友人が呼びかけた刹那、驚いたように振り向く彼女。
よし、ドラマが動き始めた。と思ったら矢継ぎ早に提示されたテロップが 

  「金曜日」 .........。       


   
              
 やられた。



                 第3回目の 「金曜日」 が始まっていったのです。




第3回目も、勿論、第1回目や第2回目と同じ日の 「金曜日」。
時制はほぼ第2回目と同じ 「終業ホームルーム」。
そして、語ってきた視点を前回と変えてきたのです。
劇的な事件が発生していないにもかかわらず、しつこく  「金曜日」 の放課後にこだわってきた演出陣のこの執着に対して、過去3回の  「金曜日」 を整理しておくべきと思いました。
 

   第1回目の 「金曜日」 は放課後、主人公の映画部を導入部にして主に桐島クン
  がいないバレー部を追いかけていました。 

   第2回目は桐島クンのガールフレンドを含む4人の女子を追いかけました。 

   そして、今回の第3回目の 「金曜日」 は同じクラスの吹奏楽部の女子と桐島クン
  の男友達をターゲットにしています。



第3回目の 「金曜日」 にきて初めて桐島クンが 「部活を辞めたらしい」  ことが伝聞レベルで提示されてきました。
映画が始まって  22分20秒も経過してから、やっと題名の状況
「桐島、部活やめるってよ」  に追い付いたのです。

この時間になるまで桐島クンの登場がないことと、これまでの一筋縄にいかない進行を考えると、



                きっと桐島クンは

                 この映画には実像として登場することがない。


                                                                        と確信しました。



そんな確信が生まれてから、今作特有の楽しみ方かわかってきたようでした。


3回に渡ってありきたりなパーツを
 
              視点と場所をずらしながら、そして、
                時制を重ねながら配置していくと、




不思議なことに、

              それぞれのたわいのない行いが
              重要なことのように思えてきたのです。




ありきたりな行為を

              視点をずらし、時制を重ねながら 
       複数回提示することによって、




そのありきたりな行為が

                印象深く、
                そして興味深く

                                    ボクの胸の中に入り込んで来たのです。




それによって、ありきたりな日常の中の

                ちょっとした視線や表情
                そして会話から、



        登場人物の気持ちを

                                 理解することができたのです。


これこそが、ありきたりな日常を複数回提示してくる映画を楽しむコツであると思えてきたのです。
劇的な展開が望めず、掴みどころがない映画だなと戸惑っていたところ、 

  
            ありきたりな日常重要性びてくる。  

   
                       そんな、今作特有しみを見つけたのです。



さて、次はどのような視点でこの日常的な 「放課後」 を輝かしてくれるのかな? と楽しみにしていたところ、
第4回目の 「金曜日」 は 「放課後」 ではなく 「朝礼」 から始まったのです。1日の始まりから観察することができた為、それまで推測の域を超えることがなかった些細な数々が有機的に繋がっていったのです。


            パズルの小さなピースが埋まって、

                                                      全体を掴めたようでした。



そして何よりも、今回の 「金曜日」 は画期的な展開をみせてきたのです。


            「放課後」 が

                                  わってしまった のです。



幾度となく 「放課後」 が始まっていたものですから、あっけなくその「放課後」 が終わってしまったことに、ある種の喪失感のようなものさえをも感じました。
そして、驚くことに


                 「金曜日」 も 
 
                                          わりをげていったのです。



              「繰 の映画手法が  


                                           終了したのです。





「月曜日」 となった今作は、桐島クンが 「いない」 ことによって生じた 「差異」 を提示してきました。映画は  「繰り返し」 の導入部を終えて、新たな局面を迎えていたのです
それは2回目の 「金曜日」 で主役となっていた桐島くんのガールフレンドを含む4人の女子の関係に表れていきました。
桐島くんの不在によって 「土曜日」  の試合に出場することができた男子部員への侮蔑をきっかけに、感情の 「軋轢」 が生じていったのです。ボクはこの展開に興味を持ちました。
「女子4人の軋轢」 は、仲良しだと思っていた彼女達の気持ちの中にも 「負の感情」 が存在し、それを仮面の中に隠し持っていたことを意味していました。
桐島くんが 「いない」 ことで生じた補欠選手の出場という 「差異」 が、女子4人の 「軋轢」 へと拡大し、人間の内面に迫まってきたのです。


そして面白いことに



     「いない」  ことで生じる変化、について、



鑑賞者はその者が  

   
        「いた」   事実を見ていないのです。



     「いた」   かどうか認識していない者が  
     「いない」  ことで生じる差異を



                                         考察することになるのです。




通常ならば、こんな不確かで地味な作業に気が重たくたるところですが、ありきたりな 「金曜日」 を何回も経験させられて、忍耐強くなった身としては、朝飯前のことでした。
決して顔を出すことがない 「桐島」 くんがキーワードとなって、ストーリーが展開する今作において、
ありきたりな 「金曜日」 の連続で構成された導入部は、
鑑賞者の感性を 

  
          「今作モード に馴化させる為に  

                                     効率良機能していたのです。



    徐々にではありますが、今作のリズムに調子が合ってきました。



しかし、「女子4人の軋轢」 を提示した以降の今作は、特徴的な時制表現も既になくなり、ありきたりな進行となっていきました。その中で残念なことが発生してしまいました。
桐島クンが登校してきたのです。
勿論、桐島クンが画面に登場するような無粋なことはしません。学校側に不登校の説明に来たようなのです。そして以降も画面に一切、登場しない流れのようです。

しかし、この桐島クンが登校してきたエピソードに対して、ボクはすっかり落胆してしまったのです。

  今作が終わりを告げるまで

         桐島クンの実存がわからない状態 
 
                  を維持して欲しい と切望したからなのです。


桐島クンの実在としての行動は映画が始まる前の時制、具体的に言うと 「金曜日」 が始まる前だけに留め、クラスメートから彼についての伝聞を聞かされるだけの存在であってほしかったのです。
ですから、現在の時制で彼の実在を客観的に認知できる行為は一切、慎んでほしかったのです。

そんなことを考えていたら、ある人物が脳裏に焼き付いてきました。



    実在がわからず、それでも、皆から一目置かれる存在。

    彼の言動は他者からの伝聞のみ知れてくる。


                    もうおかりですか?



その伝聞は パウロ とか ヤコブ っていう奴らが記録して、聖書という1冊になっている、

大袈裟な例えですか、桐島くんが

         自身実在 を超えた
         シンボリックな存在 となって、
         「神格化」 され、 め られている。  

                                                                   と感じたのです。


                    だから実在は、
         
現在進行ではられてほしくない。

                    そんな願いが芽生えていたのです。



     最初から最後まで、桐島くんは登校することなく、 

                               
          
その実在不明
 
            語られる内容は全て今作まる時制  
                                       

                          であって欲しいのです。


それ故、現在進行形の時制で彼が登校してきたことに落胆の念を禁じ得なかったねです。
キリシマとキリスト。最初の2文字は同じでしょ?

冗談はさておき、桐島くんの実在が伺い知れる 「登校」 という要素が、桐島クンの 「格」 を大幅にスポイルしてしまったと思えたのです。




桐島クンのカリスマ性が損なわれてきたその一方で、今作の主人公、神木クンの活躍が見えてきました。
顧問の反対にあっても、断固、「宇宙ゾンビ」 ものの映画を撮り始めていったのです。元映画研究部員としては、嬉しい気分になってきました。
しかし、映画部の活躍に胸踊らせながらも、


       映画がやや停滞気味になってきたことに、

               警戒心を持ち始めたのです。


相変わらず、高校生達の平凡な日常を追っているのですが、「桐島クンの登校」  という、ボクにとっては大事件が起こったにもかかわらず、何ら新しい展開がなされないことに不満感が芽生えてきたのです。
ありきたりな 「金曜日」 ではありましたが、4回も続けて見せられたことで映画的興奮を見い出した身としては、そして、「大事件」 が無視され何の工夫も無いまま、ありきたりな日常を見られていることに物足りなさを感じていたのです。
そんな停滞感に覆れた時、


        突如としてドラマが

                 したのです。



 桐島クンが (再び) 登校して、(何故かしら) 屋上にいる。という


      情報が飛び交い始めていったのです。


バレー部、友人、ガールフレンドが一斉に屋上を目指して階段を駆け昇っていきます。
屋上にいる桐島クンを目指すそれぞれの姿を追いながら、今作はバックに部活中の吹奏楽部のオンタイムの演奏を重ねてきたのです。
その時、思い出したのです。バックの音楽を奏でる吹奏楽部部長の女の子にとっては、淡い恋心が壊れた直後であったことを....。

「ありきたりな日常」 と見飛ばしてしまった彼女の気持ちを、今更に気付いた瞬間だったのです。
桐島クンが登校し、彼を渇望していた者が階段を駆け上がる。そんな今作のクライマックスに彼女を訴求してきたことで、ふいに、


「ありきたりな日常の積み重ねの中に、当事者にとっては大事な想いが隠されている。」
                      そんな事に気付かされたのです。


これは  「ありきたりな金曜日」 を見せつけられ飽き飽きし、それでも何度も見続けるうちに 「隠された想いや関係性」 を発見できたことに似ていました。


しかし、この場面では、繰り返しの手法を用いず、何の作為性もなく 「ありきたりな日常」 を提示してきたので、ボクは


「ありきたりな日常の積み重ねの中に、当事者にとっての大事な想いが隠されている」

                      ことを見抜けずにいたのです。



      
残念。




そして、このタイミングで彼女の音楽を採用したことで、


     本作の終結い ことを感じたのです。



なぜなら、第3番目の 「金曜日」 で彼女に与えられた 「彼女がいる男の子への儚い片想い」 という役回りを演じ切って、



     彼女のストーリーが終結した

                 と感じたからなのです


そして、本作のクライマックスに流れる吹奏楽部の音楽がまるで、



     儚く散っていった 「自らの片想い」 への

                 葬送曲を奏でている

                        とボクには感じられたからなのです。



吹奏楽部部長という彼女の役割が終結し、他の登場人物の日常も次々と終わりを告げていくに違いない。と思ったのです。
その証拠として本作の登場人物は、揃いも揃って、桐島クンを目指して屋上に駆け上がっているのです。まるで全員一致の終着点への一番乗りを競っているようです。
そして、我が映画部は一足先に、その屋上で 「宇宙ゾンビ」 の映画を撮影しているのです。そこに登場人物の面々が集結するのですから、



        
ドラマが生じないわけがありません。




ガールフレンド、クラスメート、クラブ仲間と、桐島クンを求めて様々な関係性を持つ生徒が一同に会しました。しかし、当然のように桐島クンはそこにいるはずもなかったのです。
屋上にいたのは我が映画部。ちょうど、撮影の真っ最中。

桐島クンがいないことに苛立って、映画部の小道具を蹴飛ばす者まで出てくるありさまでした。








やはり、このシーンにはクライマックスに相応しい、映画的カタルシスがありました。ここには

    「王道」 と呼べる万人受するドラマ手法と、
    ボクの 極・私的嗜好 ど真ん中の表現

                                                 が含まれており、


              至極境地 を見たのです。




で、何が起こったかと言いますと、映画部員達の反抗がなされていったのです。
屋上で 「宇宙ゾンビ」 映画を撮影していたところ、みんなが乱入。小道具を蹴り飛ばされた彼らは、バレー部に謝罪を求めるのです。
今まで軽んじられてきた不満が爆発、傲慢な態度を取ってきたバレー部員に小道具蹴り飛ばしの謝罪を求めたのです。


       「抑圧されていた弱者が立ち上がる」。

       万人受するドラマ手法をまずは当ててきたのです。


そんな定番な作為性を認識した上で、敢えてそのドラマを楽しんでいたら、素晴らしいことに、




       うレベルの映画的興奮

                    が待ち受けていたのです。



桐島クンの不在によって生じた 「女子4人組の軋轢」 が、「映画部の逆襲」 をキッカケとして女子同志のビンタという暴力沙汰に発展していったのです。


         めちゃくちゃしくなってきた!



今作のオープニングにおいて、ありきたりな 「金曜日」 を何回も見せられることによって、

           日常埋没している
         コンプレックスちょっとした反感

                                               が炙り出されてきたのですが、


それらの 「負」 の思いの数々がこの屋上で噴出し、大きな 「動」 のエネルギーに一気に変換していくことを感じたのです。
「バレーボール部内の軋轢」 「女子4人組の同性愛的なニュアンス」 「放課後バスケット男子や、クラス内の男女関係」 等が
 
     「暴力」という

                     可視化された力 になる予感に痺れたのです。


「日常の中の小さな不整合」 が 「暴力」 に集約・爆発するこの予感は、


            あたかも 台風 になぞらえるべき 

                                                        と思いました。


南の国での日々の静かな 「海水の蒸発・上昇」 が、いつしか莫大な電子を帯び、膨大な水蒸気を蓄積。
そして一気に台風として温帯地域を蹂躙する。
さぁ 「小さな不整合」 達よ、雷を轟かせながら、強風と豪雨でこの日常をぶち壊してしまえ!!
と、まるで神にでもなったかのような気持ちで、彼らの様々な気持ちが 「混沌」 へと昇華する様を期待していたのです。
しかし、今作はそのような展開をしてくれはしなかったのです。


     もっときな 「映画的興奮」 をもたらせてくれたのです!



もっと大きな 「映画的興奮」
それはボクの極・私的嗜好に関わってきたのです。




ボクもかつては映画研究部員で自主映画制作に没頭したものでした。
大学時代に制作したのが、自主映画を制作している少年少女達の物語。
制作している映画にリアリティを持たせるために、映画のストーリー (偽装誘拐) を現実でも起こして、そのクライマックスをドキュメンタリーとして写し込むことで映画のラストシーンにしよう。 という骨子でした。


そして映画的表現として目指したのが


        「現実虚構融合」 


                          だったのです。


それを 「宇宙ゾンビ」映画を監督している神木クンはこの場で実現させようというのです。
「女子4人の軋轢」 による平手打ちがなされた直後、突然神木クンが8ミリフィルムカメラを構え出し、こう言うのです。  

   
            
 「こいつら全部、喰い殺せ!」


    愕然としました。背筋に雷が通って行ったような衝撃を覚えたのです。


今まさに台風が吹き荒れるというこの瞬間に、「宇宙ゾンビ」 の扮装をしている映画部員に

              「こいつら全部、喰い殺せ!」

                                              と言い放ったのです。


その指示は、

             いま目の前に展開する 「混沌」 と、
             彼の頭の中にある    「映画」 を

                                融合させる行為 であったのです。


その場に居合わせた者達を、「宇宙ゾンビ」 役の映画部員に襲わせ、その現実を記録することで、「映画」 のクライマックスを創り上げようとするのです。
それはまさしく30年前、ボクが学生時代に試みた


           「現実虚構融合」


                                 がなされる瞬間に他ならなかったのです。



「ドキュメンタリータッチでいくんだ!」 の言葉で 「宇宙ゾンビ」 の扮装をしていた映画部員達は瞬時に彼の真意をくみ取り、そこに居合わせた者達にゾンビとして襲いかかるのです。
その様を一つ残らず8mmフィルムに収めようとする神木クン。
その姿を見て、ボクは言いようのない熱い想いに包まれたのです!



そして、この極上のクライマックスで更に、気持ちを揺さぶられたシークエンスがありました。
神木クンが淡い気持ちを持った同級生の女の子がゾンビに襲われる場面で、彼の妄想が拡大されていったのです。
首を噛まれて鮮血を飛び散らせ、肉を食い千切られていく。
まるでスプラッタームービーの様相を呈したのです。
彼の同級生の女の子への淡い気持ちはただの偶然の重なりで、何もなく終わりを告げたのですが、


      彼女に対する 「気持ちの崩壊」 が、
      彼女自身の    
「肉体崩壊」



                     へと転化されていったことにも、

                                     ボクは大いに反応していったのです。



「抑圧されていた弱者が立ち上がる」
 という 「王道」 と呼べる万人受けするドラマ手法から始まって、
隠されていた 「負」 の思いが 「暴力」 という可視化された力になる 予感 を経て、
「極・私的嗜好」 である 「現実と虚構の融合」 がなされる興奮を味わったのです。


そう、幾重にも張り巡らされた


         「映画的カタルシス」 に


                ボクは完全圧倒されていったのです。



      この複合的な幸せの中で今作は終わりを告げていきました。




と このレビューを終結させたかったのですが、この一筋縄でいかない映画はスンナリと終わってはくれませんでした。この後があったのです。
この後のシークエンスについては、それなりの意義を汲み取ることはできます。
しかし、


極私的な嗜好を満たしてもらい、至福の境地を味わった身としては、


     この最高瞬間わるべきであった

                           と強く主張したいのです。



申し訳ありませんが、

ラスト13分は

       ボクの記憶から抹殺させて頂くことで、

                      今作を傑作と認定したのです。








ありきたりな日常でも


      視点場所をずらしながら、 そして、
     時制ねながら配置     していくことで、


                
その日常が重要性びてくる。




    そんな今までにない表現をまざまざと体験をしました。




そして、極・私的嗜好である 



         「現実虚構融合」


                          までもがなされていったことは



                    望外でした。







今作を鑑賞することで


新しい感性を呼び覚まし、そして、自分の嗜好をも満足した。


            極上映画体験  


                                           を味わうことができたのです。










桐島2 




               桐島3
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