冒頭、「イラン近代史」がアニメ調に提示され、イラン革命を期にアメリカ大使館がいかに「襲われるに相応しい場所」であったのかが、分かりやすく説明されていたのです。
石油利権欲しさの内政干渉。
↓
パーレビー国王という傀儡政府で大儲け。イラン国民は極貧生活。
↓
ホメイニ師という新たなリーダーが力を集約。
イラン革命が勃発
↓
傀儡の国王パーレビーは命からがらアメリカに亡命。
↓
イラン国民はパーレビーの返還を求めてアメリカ大使館に殺到。
当時の実際の映像を活かしながら緊迫した状況を表してきました。
イラン国民の怒りは臨界点に達し、柵を乗り超えてアメリカ大使館に乱入。その混乱の中、6人の大使館員達が難を逃れ、カナダ大使私邸に潜伏。
という設定となっています。
今作の主人公は、この潜伏者6人をイラン国民に気付かれずにアメリカへ連れ戻すことが任務となります。
元々、興味深いストーリーなのですが、このミッションに
ハリウッドの人々が関与し始めたあたりから
急速に面白くなってきました。
救出チームはカナダの映画ロケハン隊としてイランに乗り込み、逃走している6人を吸収してイランから脱出するという筋立てのようてす。
(こんな危険な情勢にも関わらず、イランに入国するのは金と名誉欲にかられた映画制作者くらいなもの。なのでしょう。[笑])
脱出計画を遂行する上で、主人公が相談した映画関係者のセリフ 。
「映画制作の証拠をデッチ上げるぞ」
の一言で
この映画か本格的に動き出したことを実感しました。
正真正銘の映画ロケハン隊がイランを訪れたことにしなければならないのです。その為に老プロデューサーに 「偽」 映画制作を依頼することになります。
この人物が面白い。
「俺がやれば、“偽” でもヒット作だ」 と豪語し、まるで本物の映画制作のように脚本を物色し始めるのです。そこで見つけたのが
「アルゴ」 という題名のシナリオ。
まさしく、時代背景の1979年にふさわしくSF冒険モノなのです。
「スターウォーズ」 の洗礼から2年。そういえば当時、安っぽい2匹目のドジョウを狙った作品が乱立していましたっけ。
「アルゴ」は舞台背景が 中東によく似た設定であったために 「偽」映画として候補に上がったのです。そして、イラン側をしっかりと欺くために映画制作の事実を作っておく必要がある。そこで
先の老ブロデューサーの御仁が大活躍。
シナリオ使用権をハッタリかましながら手中にしていくのです。
シナリオを獲得し映画ポスターも制作。しかしこれでは、警戒を強めた イラン当局を誤魔化すことはできない。本当の映画制作クルーがイランに入国したと思わせなければならないのだ。
誰かが言った。
「 世間を騙すならマスコミを利用しよう」と。
これによって盛大な制作記者会見を実施。
キャストが衣装を着て本読み、ちょっとしたお祭り騒ぎになってくれました。
しばしの高揚感の後、いよいよ主人公は6人の潜伏者を救いにイランに入国していくのですが、気がつくとボクは今の時点まで、主人公に全く興味を持つことかできなかったのです。
主人公は 「人質奪還のプロで妻子とは別居」。 これぐらいしか覚えてないのです。不思議なことでした。
ボクの気持ちは主人公のことよりも、大使館占拠の社会的背景や、老プロデューサーのキャラクターの方に興味が向かっていたのてす。
それだけ主人公の実在感を感じとることができなかったのです。
そんな彼が 「単身」 イランに入っていきます。
これも意外でした。
てっきり 「チーム」 でイランに入国し、その数に紛れて6人の潜伏者も脱出するものと誤解していたのです。
どうやら今作は、「1人で」 イランに入国し、「7人で」 出国してくるという、奇想天外なことをしでかすようなのです。想像以上に荒唐無稽なプランに対して、どんな頭脳プレイを見せてくれるのか
今作に対しての期待が「いきなり」
膨らんでいきました。
イランの潜伏先で落ち会う7人。しかし、映画ロケハンを騙った主人公の脱出プランに不安をぶつける逃亡者達がいたのです。このように主人公と逃亡者達の対立軸を提示してきた今作は、本格的にドラマが動き出したようなのです。
しかし、シナリオでは「ドラマは動き出した」のでしょうが、ボクの気持ちの中は違和感でいっぱいになっていたのです。
ドラマがどうしても噛み合わない のです。
主人公と潜伏者達6人の対立がどうしてもリアルなものと受け留めることができないでいたのです。
何故か?
主人公と逃亡者達6人が同じ時代に生きる人間には思えなかった。ことが要因だと感じました。潜伏者達6人を始めとする登場人物はことごとく1970年代の髪型やファッションに包み、2013年の現在から見ると、時代錯誤の「カッコ悪さ」を醸し出しているのに対し、
主人公は例外だったのです。
主人公が初登場した時にイヤな予感はしていたのです。
6人にはトンボ眼鏡や大袈裟なひげを生やかせて、70年代をちょっと苦笑気味に演出。しかし、イケメンであるところの今作の主人公はヒゲこそ生やかしてはいるが、あくまでも二枚目。現代に生きる人のようにスマート。
(それもそのはず、今作の主役であるベンアフレックその人が今作の映画監督なのです。どうやら彼は客観的なバランスを取れなかったようです。)
70年代を厚盛りにされされている 6人と二枚目の主人公が同じ空間にいるだけで違和感を感じ、前述の、主人公に対して興味を感じ取れない苛立ちも加わって
主人公と潜伏者の葛藤を 「リアル」なものと認識することができない、そんな
「致命的な乖離」 が
ボクの気持ちの中に生じていったのです。
引き続き、ネガティブな発言が続きます。
ボクはちょっと前、今作に対して
「1人でイランに入国し、7人で脱出してくてくるという、奇想天外なことをしでかしてくれるようで、想像以上に荒唐無稽なプランに対して、どんな頭脳プレイを見せてくれるのか期待が膨らみます。」
と、発言をしましたが、
残念ながら 「頭脳プレイ」 などというものは今作には
微塵にもありませんでした。
驚くことに、偽装パスポート7人分と帰国の飛行機予約だけの無策な状態でイランに「単身」乗り込んで来たようなのです。
その無策ぶりが炸裂したのが帰国便に乗り込むべくやって来た空港において。
出国審査の際、2日前の入国カードが (当然ながら主人公の) 1人分しかなく、潜伏者6人分は存在するはずもないのに、文化イスラム指導省発行の「ロケハン許可証」 を振りかざして何とか強行突破しようする、
場当たり的な行動にでるありさま、
なのです。
そして、2日前の入国カードが1人分だけで、潜伏者6人の入国証明がなされていないにもかかわらず、文化イスラム指導省発行の 「ロケハン許可証」 を見せられただけで、何の疑念を持たないまま出国を認めてしまうイラン出国審査官の
お間抜けさ、には呆れかえってしまいました。
しかし、ストーリーはお約束通りに、革命防衛隊という、武装エリート集団に別室に隔離されてしまうのです。
やっと、ハリウッドの面々の施策が彼ら7人の窮地を救うことになる予感に、再び期待感を持ったのです。
(この期待は是非とも叶えてもらいたいものです。)
早速、7人は偽記者会見の成果である、「アルゴ」 の雑誌掲載記事を革命防衛隊に見せて対抗をします。それでも引かない革命防衛隊は、とうとうアメリカにある制作事務所に探りの電話を入れる事になったのです。
きっと、事務所に控えているあの老プロデューサーがはったりか何かをかませて、革命防衛隊を打ち負かせてくれるはず。との期待がにわかに増大していったのです。
から回り気味の今作にやっと
映画的カタルシスがやって来る
と期待したのもつかの間、
その見せ場を軽くスルーしていったのです。
せっかく、前半で興味深いキャラクタを育ててきたというのに、「通り一辺倒」 のヤリトリに終始してしまい、映画的カタルシスなどというものは存在しなかったのです。
結局、時間スレスレに飛行機に乗り込めることは分かっているのですから、如何に観客をハラハラさせるか、もしくは、スカッとさせるかが制作陣の腕の見せ所なのに...。
(見せ場をつくることなく) まんまと革命防衛隊の疑いの目を掻い潜って飛行機に搭乗する7人。
何の感情も持てないまま
今作が終わろうとしていることに焦りを感じていたら、こだわりのシーンに続いていったのです。
案外、革命防衛は骨のある奴らでした。映画ロケハン隊が潜伏者であることが判明してからの彼らの働きは大いに今作を盛り上げてくれたのです。
離陸しようとする旅客機に自動車で対抗しようとするのです。滑走路をカッ飛ばして離陸の妨害を企てるのです。突如として一級のアクション映画となっていきました。
しかしなから、革命防衛隊の猛追にも、すんでのところで飛行機は飛び立ち、主人公はまんまと6人の潜伏者の救出に成功したのです。メデタシ、メデタシだったのです。
そして、映画はまるで 「アメリカングラフィティ」 のエンディングロールのように登場人物それぞれの帰還後のブロフィールをテロップで紹介してきたのです。
この一連の流れを見てボクは
失笑を禁じ得ませんでした。
何故なら、今まで一切 「人を語らずして」 何故かエンディングロールでは 「人を語ったつもり」 になっている製作者の態度が可笑しくてたまらなくなってしまったのです。
主人公からして「人を語れず」に不毛な気持ちを鑑賞者に与えておきながらの突然の 「アメグラ」 エンディングなのですから、これは
悲惨な喜劇くらいにしか思えなかったのです。
残念です。
さて、ここからは一転、映画の悪口を一切言わずに、映画の良いところだけを探していきます。そして、その魅力点を発展させるべく、自分自身が今作の監督にでもなったかのように
妄想を繰り広げていきたいと思うのです。
今作を鑑賞して最も興味を惹かれたのは、「偽」映画制作に携わったハリウッドの面々でした。特に老齢なプロデューサーはその存在感から大きな印象を持ちました。
このキャラクターを活かしたい。と強く思いました。
「アルゴ」の台本を買い叩いた際に、相手から「過去の人」呼ばわりされていたことを思い出しました。輝しき過去を持ちながら、今は時代に忘れられつつある存在となった彼にとって、この「偽」映画制作こそが
自らの「存在意義」を再発見する
重要なキッカケ
にしたいな。と強く思ったのです。
老プロデューサーにしてみれば 「アルゴ」 は舞台が中東に似た場所という理由で「偽」映画に採用しただけの台本でした。しかし、記者会見などを仕込む内に愛着が湧き、台本の改訂に着手。本気で「傑作」をモノにする気運になって欲しいと思ったのです。
「傑作」は、しかしながら「偽」の映画である為、クランクインすることはありませんでしたが、主人公達がイランから脱出するまでの間、本物の映画制作と見まごうくらいに没頭する姿を写し出したいのです。
「偽」映画制作に注力しているそんな老プロデューサーの今作におけるクライマックスは、イランの空港で主人公達7人が革命防衛隊に足留めを食らっている時にやって来るのです。
そう、革命防衛隊からの映画制作事務所の実在確認電話を受ける時です。
きっと老プロデューサーのことですから、
「俺たちは今、全世界がひれ伏すような傑作をモノにしている最中だ!」 と
啖呵を切りながらイラン革命防衛隊の疑いをヤリ込めてくれるはずなのです。ここで観客たちは
溜飲を下げることになるのです。
映画制作は叶えられませんでしたが、革命防衛隊の疑念を振り払う決定的な役回りを演じたことで、輝いていた日の感情を再発見、心機一転、映画制作への情熱を呼び覚ますことで
「再生される彼」 であって欲しかったのです。
キャラクター的に興味を持った老プロデューサーの修正はこれで納得。
次なる修正点は、
潜伏者を救出するために 「映画制作をカモフラージュ」 に使ったことをもっと訴求したいと思いました。
ボクの極私的嗜好の映画テーマは「現実と虚構の融合」。映画制作という「虚構」が関わってくるのですから、この流れに
強引に引き込んでいきたいと思います。
「現実と虚構の融合」を表現するために活用したいと思ったことが2つありました。
1つ目は冒頭のイラン革命を説明する「イラスト」。 今作の時代背景をわかりやすく説明していました。
2つ目が「偽映画」をプレゼンするツールとして活用されていた「絵コンテ」。
今から思うと、イラン革命を説明する「イラスト」は映画の「絵コンテ」を模していたのです。
事実の説明として活用されていた「イラスト」。
虚構の映画世界を説明する為の 「絵コンテ」。
この2つを「現実と虚構の融合」を図るために活用したいと思ったのです。
要所にイランから脱出していく現実世界を説明する「イラスト」を配置し、その現実世界に呼応するカタチで、「偽」映画 「アルゴ」のストーリーを「絵コンテ」で提示していきたいのです。
「現実」に起こっていることと、
「虚構」である「アルゴ」のストーリーとの
似通っている 「相似点」と、
全く違っている 「相違点」
を同じ「画」という表現で際立たせていく。
そんなボク好みなアイディアが湧き出してきたのです。
今作は事実をベースに制作されたので、これから発言していく妄想は完全にその枠をズレていきます。
それ故、これからのレビューは、今作を「事実に構想を得て妄想を繰り広げた映画」に作り変えることを目的に、無責任に語っていきたいと思います。
「偽」映画制作に使われた「アルゴ」は中東に似た星を舞台に、悪の大王をやっつけるストーリーとなっていました。そこで、「偽」映画のシナリオを現実世界でこれから主人公達が経験していくストーリーに同調させてしまえば、「画」を使って様々な場面で
「現実」と「虚構世界」の
「相似」と「相違」を
表現することができる。
と思ったのです。
ボクは、「偽」映画 「アルゴ」のストーリーに、「スターウォーズ」にある「お姫様救出」というファクターを加えていけば、
「現実と虚構の融合」が近づく
と思ったのです。
悪の大王の城に侵入した「偽」映画 「アルゴ」の主人公は「美しいお姫様」に廻り合い、一方の現実世界でイランに侵入した主人公は、潜伏生活に疲弊しこの救出プランに不満を顕にする「ウザイ救出対象者」がいる。
そんな 「相似」と「相違」を盛り込みながら、現実世界では潜伏者6人の救出劇が進行し、「偽」映画「アルゴ」では「お姫様救出」が虚構の世界で展開。「現実」と「強行」が絡み合って
「現実と虚構の融合」 がなされることを画策していきたいと思ったのです。
現実の救出劇はあくまでも地味で、なるべくイラン当局に怪しまれないように出国することが目的でいた。しかし、「偽」映画 「アルゴ」の主人公はその地味な現実とは対称的に
派手に豪腕を唸らせて悪の惑星からの脱出。
を演出したいと思います。
この「現実」と「虚構」の2つの脱出劇に、先の老プロデューサーにとどめの1発を炸裂させたいのです。
現実(においての妄想)では、前述のように国際電話での言葉による攻撃によって革命防衛隊に一矢報い、主人公を助けるのですが、
映画(においての妄想)では、思いっきり華々しいものにさせたい。
「エイリアン2」のクライマックスで出てきた、リプリーが操作した作業用ロボットに乗って御大 (に酷似のキャラクター)が登場し、敵をやっつけるのも良いかもしれません。
ボクの妄想の中では、
現実世界においては 「口撃」で、
「偽」映画 「アルゴ」では直接的「攻撃」で
革命防衛隊や悪玉という敵に「虚構と現実」の両側面において同時に勝利するストーリーを夢見たのです。
現実の救出作戦の成功と同時に「偽」映画 「アルゴ」のエンディングがシンクロして、今作「アルゴ」自体が集結していく幕引きを強く望むようになったのです。
これこそがボクが嗜好する
「現実と虚構の融合」
がなされた映画となる方法だと感じたのです。
今回は、オリジナルの映画の良さを理解することがてきず、
如何にしてボクの好きな映画に改造していくかに注力したレビューとなりましたが、
こんなレビューは妄想だらけの邪道には違いありません。
でも、「たまにはいいかな。」と思いつつ、レビューを終えることにします。
発想は スバラシイ。
映画制作を隠れ蓑にした 実話の人質奪還計画。
しかも、そこにハリウッドの面々が関わって来たところから
加速度的に 面白くなって来ました。
しかし
「人を語らず」 して、何故か、「人を語った」 つもりでいる
今作の姿勢には 大いに疑問 に思ったのです。
そんな落胆を期に、 ボクは
人質奪還=「現実」 と、 映画制作=「虚構」 の要素を絡ませて、
自らの極・私的嗜好である
「 現実と虚構の融合 」
を 夢見る
“妄想” の世界に引き籠って しまったのです。
冒頭、「イラン近代史」 がアニメ調に提示され、イラン革命を期にアメリカ大使館がいかに 「襲われるに相応しい場所」 であったのかが、分かりやすく説明されていたのです。
石油利権欲しさの内政干渉
↓
パーレビー国王という傀儡政府で大儲け。 イラン国民は極貧生活。
↓
イラン革命が勃発
↓
傀儡の国王パーレビーは命からがらアメリカに亡命。
↓
イラン国民はパーレビーの返還を求めてアメリカ大使館に殺到。
当時の実際の映像を活かしながら 緊迫した状況
を表してきました。
イラン国民の怒りは臨界点に達し、柵を乗り超えてアメリカ大使館に乱入。 その混乱の中、6人の大使館員達が難を逃れ、カナダ大使私邸に潜伏。
という設定となっています。
今作の主人公は、この潜伏者6人をイラン国民に気付かれずにアメリカへ連れ戻すことが任務となります。
元々、興味深いストーリーなのですが、このミッションに
ハリウッドの人々が関与し始めた あたりから
急速に面白くなってきました。
救出チームはカナダの映画ロケハン隊としてイランに乗り込み、逃走している6人を吸収してイランから脱出するという筋立てのようてす。
( こんな危険な情勢にも関わらず、イランに入国するのは金と名誉欲にかられた映画制作者くらいなもの。 なのでしょう。 [笑] )
脱出計画を遂行する上で、主人公が相談した映画関係者のセリフ 。
「映画制作の証拠をデッチ上るぞ」
の一言で
この映画か本格的に動き出したことを実感しました。
正真正銘の映画ロケハン隊がイランを訪れたことにしなければならないのです。 その為に老プロデューサーに 「偽」 映画制作を依頼することになります。
この人物が面白い。
「俺がやれば、“偽” でも ヒット作だ」
と豪語し、まるで本物の映画制作のように
脚本を物色し始めるのです。そこで見つけたのが
「アルゴ」 という題名のシナリオ。
まさしく、時代背景の1979年にふさわしくSF冒険モノなのです。
「スターウォーズ」 の洗礼から2年。そういえば当時、安っぽい2匹目のドジョウを狙った作品が乱立していましたっけ。
「アルゴ」 は舞台背景が 中東によく似た設定であったために 「偽」 映画として候補に上がったのです。 そして、イラン側をしっかりと欺くために映画制作の事実を作っておく必要がある。 そこで
先の老ブロデューサーの御仁が大活躍。
シナリオ使用権をハッタリかましながら手中にしていくのです。
シナリオを獲得し映画ポスターも制作。 しかしこれでは、警戒を強めた イラン当局を誤魔化すことはできない。 本当の映画制作クルーがイランに入国したと思わせなければならないのだ。
誰かが言った。
「世間を騙すならマスコミを利用しよう」 と。
これによって盛大な制作記者会見を実施。
キャストが衣装を着て本読み、ちょっとしたお祭り騒ぎになってくれました。
しばしの高揚感の後、いよいよ主人公は6人の潜伏者を救いにイランに入国していくのですが、気がつくとボクは今の時点まで、主人公に全く興味を持つことかできなかったのです。
主人公は 「人質奪還のプロで妻子とは別居」。 これぐらいしか覚えてないのです。不思議なことでした。
ボクの気持ちは主人公のことよりも、大使館占拠の社会的背景や、老プロデューサーのキャラクターの方に興味が向かっていたのてす。
それだけ主人公の実在感を感じとることができなかったのです。
そんな彼が 「単身」 イランに入っていきます。
これも意外でした。
てっきり 「チーム」 でイランに入国し、その数に紛れて6人の潜伏者も脱出するものと誤解していたのです。
どうやら今作は、「1人で」 イランに入国し、「7人で」 出国してくるという、奇想天外なことをしでかすようなのです。想像以上に荒唐無稽なプランに対して、どんな頭脳プレイを見せてくれるのか
今作に対しての期待が 「いきなり」
膨らんで いきました。
イランの潜伏先で落ち会う7人。しかし、映画ロケハンを騙った主人公の脱出プランに不安をぶつける逃亡者達がいたのです。 このように主人公と逃亡者達の対立軸を提示してきた今作は、本格的にドラマが動き出したようなのです。
しかし、シナリオでは 「ドラマは動き出した」 のでしょうが、ボクの気持ちの中は違和感でいっぱいになっていたのです。
ドラマがどうしても 噛み合わない のです。
主人公と潜伏者達6人の対立がどうしてもリアルなものと受け留めることができないでいたのです。
何故か?
主人公と逃亡者達6人が同じ時代に生きる人間には思えなかった。ことが要因だと感じました。 潜伏者達6人を始めとする登場人物はことごとく1970年代の髪型やファッションに包み、2013年の現在から見ると、時代錯誤の 「カッコ悪さ」 を醸し出しているのに対し、
主人公は例外 だったのです。
主人公の彼が初登場した時にイヤな予感はしていたのです。
6人にはトンボ眼鏡や大袈裟なひげを生やかせて、70年代をちょっと苦笑気味に演出。 しかし、イケメンであるところの彼はヒゲこそ生やかしてはいるが、あくまでも二枚目。 現代に生きる人のようにスマートなのです。
( それもそのはず。 今作の主役である ベン・アフレック その人が今作の映画監
督。 どうやら彼は今作に対して、客観的なバランスを維持することができなか
ったようです。)
70年代を厚盛りにされされている 6人と二枚目の主人公が同じ空間にいるだけで違和感を感じ、前述の、主人公に対して興味を感じ取れない苛立ちも加わって
主人公と潜伏者の葛藤を 「リアル」 なものと認識することができない、そんな
「致命的な乖離」 が
ボクの気持ちの中に生じていったのです。
引き続き、ネガティブな発言が続きます。
ボクは先ほど、今作に対して
「 1人でイランに入国し、7人で脱出してくてくるという、奇想天外なことをしでかして
くれるようで、想像以上に荒唐無稽なプランに対して、どんな頭脳プレイを見せて
くれるのか期待が膨らみます。」
と、発言をしたのですが、残念ながら 「頭脳プレイ」 などというものは今作には
微塵にも ありませんでした。
驚くことに、偽装パスポート7人分と帰国の飛行機予約だけの無策な状態でイランに 「単身」 乗り込んで来たようなのです。
その無策ぶりが炸裂したのが、帰国便に搭乗するべくやって来た空港。
イランからの出国審査で、2日前の入国カードが (当然ながら主人公の) 1人分しかなく、潜伏者6人分は存在するはずもないのに、
文化イスラム指導省発行の 「ロケハン許可証」 を振りかざして何とか強行突破しようする、そんな
場当たり的な行動 にでるありさま、
なのです。
そして、2日前の入国カードが1人分だけで、潜伏者6人の入国証明がなされていないにもかかわらず、
文化イスラム指導省発行の 「ロケハン許可証」 を見せられただけで、何の疑念を持たないまま出国を認めてしまうイラン出国審査官の
お間抜けさ、には
呆れかえってしまいました。
しかし、ストーリーはお約束通りに、革命防衛隊という、武装エリート集団に別室に隔離されてしまうのです。
やっと、ハリウッドの面々の施策が彼ら7人の窮地を救うことになる予感に、再び期待感を持ったのです。
( この期待は是非とも叶えてもらいたいものです。 )
早速、7人は偽記者会見の成果である、「アルゴ」 の雑誌掲載記事を革命防衛隊に見せて対抗をします。 それでも引かない革命防衛隊は、とうとうハリウッドに設置した映画制作事務所に実在確認の電話を入れる事になります。
きっと、事務所に控えているあの老プロデューサーがはったりか何かをかませて、革命防衛隊を打ち負かせてくれるはず。 との期待がにわかに増大していったのです。
カラ回り気味の今作にやっと
映画的カタルシス がやって来る
と期待したのもつかの間、
その見せ場を軽くスルーしていったのです。
せっかく前半で、老プロデューサーという興味深いキャラクタを育ててきたというのに、「通り一辺倒」 のヤリトリに終始してしまい、映画的カタルシス などというものは存在しなかったのです。
結局、時間スレスレに飛行機に乗り込めることは分かっているのですから、いかに観客をハラハラさせるか、もしくは、スカッとさせるかが制作陣の腕の見せ所なのに...。
(見せ場をつくることなく) まんまと革命防衛隊の疑いの目を掻い潜って飛行機に搭乗する7人。
何の感情も持てないまま
今作が終わろうとしていることに焦りを感じていたら、こだわりのシーンに続いてくれたのです。
案外、革命防衛は骨のある奴らでした。映画ロケハン隊が潜伏者であることが判明してからの彼らの働きは大いに今作を盛り上げてくれました。
自動車で滑走路をカッ飛ばして、旅客機離陸阻止を企てるのです。
突如として一級のアクション映画となっていきました。
しかしなから、革命防衛隊の猛追も、飛行機はすんでのところで飛び立っていき、主人公はまんまと6人の潜伏者の救出に成功。 メデタシ、メデタシだったのです。
やがて、今作は 「アメリカン・グラフィティ」 のエンディングロールさながらに、登場人物それぞれのイラン帰還後のブロフィールテロップを映し出しながら終結していったのです。
今作は終わっていきました。
しかし、ボクはこの一連の流れを見て
失笑を禁じ得なかった のです。
何故なら、
今まで一切 「人を語らずして」
何故かエンディングロールでは 「人を語ったつもり」 になっている
製作者の態度が可笑しくて
たまらなくなってしまったのです。
主人公からして 「人を語れず」 に、不毛な気持ちを鑑賞者に与えておきながらの
突然の 「アメ・グラ」 エンディングなのですから、 これは
悲惨な喜劇 くらいにしか思えなかったのです。
残念です。
さて、ここからは一転、映画の悪口を一切言わずに、映画の良いところだけを探していきます。そして、その魅力点を発展させるべく、自分自身が今作の監督にでもなったかのように
妄想を繰り広げていきたい と思うのです。
今作を鑑賞して最も興味を惹かれたのは、「偽」 映画制作に携わったハリウッドの面々でした。 特に老齢なプロデューサーはその存在感から大きな印象を持ちました。
このキャラクターを活かしたい。
と強く思いました。
「アルゴ」 の台本を買い叩いた際に、相手から 「過去の人」 呼ばわりされていたことを思い出しました。 輝しき過去を持ちながら、今は時代に忘れられつつある存在となった彼にとって、 この 「偽」 映画制作こそが
自らの 「存在意義」 を再発見する
重要なキッカケ
にしたいな。 と強く思ったのです。
老プロデューサーにしてみれば 「アルゴ」 は舞台が中東に似た場所という理由で 「偽」 映画に採用しただけの台本でした。 しかし、記者会見などを仕込む内に愛着が湧き、台本の改訂に着手。 本気で 「傑作」 をモノにする気運になって欲しいと思ったのです。
「傑作」 は、しかしながら 「偽」 の映画である為、クランクインすることはありませんでしたが、主人公達がイランから脱出するまでの間、本物の映画制作と見まごうくらいに没頭する姿を写し出したいのです。
そんな 「偽」 映画制作に注力している老プロデューサーの今作におけるクライマックスは、イランの空港で主人公達7人が革命防衛隊に足留めを食らっている時にやって来るのです。
そう、革命防衛隊からの映画制作事務所の実在確認電話を受ける時です。
きっと老プロデューサーのことですから、
「俺たちは今、世界がひれ伏す “傑作” をモノにしている最中だ!」 と
啖呵を切りながらイラン革命防衛隊の疑いをヤリ込めてくれるはずなのです。ここで観客たちは
溜飲を下げることになるのです。
映画制作は叶えられませんでしたが、革命防衛隊の疑念を振り払う決定的な役回りを演じたことで、輝いていた日の感情を再発見、心機一転、映画制作への情熱を呼び覚ますことで
「再生される彼」
であって欲しかったのです。
さて、キャラクター的に興味を持った老プロデューサーの修正はこれで納得。
次なる修正点は、
潜伏者を救出するために 「映画制作をカモフラージュ」 に使ったことをもっと訴求したいと思いました。
ボクの極私的嗜好の映画テーマは
「現実と虚構の融合」 。
映画制作という 「虚構」 が関わってくるのですから、この流れに
強引に引き込んでいきたい と思います。
「現実と虚構の融合」 を表現するために活用したいと思ったことが2つありました。
1つ目は冒頭のイラン革命を説明する 「イラスト」 。
今作の時代背景をわかりやすく説明していました。
2つ目が 「偽」 映画 のプレゼンツールとして活用されていた 「絵コンテ」 。
今から思うと、イラン革命を説明する 「イラスト」 は
映画の 「絵コンテ」 を模していたのです。
事実の説明として活用されていた 「イラスト」 。
虚構の映画世界を説明する為の 「絵コンテ」 。
この2つを 「現実と虚構の融合」 を図るために活用したい。
と思ったのです。
要所に、イランから脱出していく 現実世界 を説明する
「イラスト」 を配置し、
その現実世界に呼応するカタチで、 虚構映画 「アルゴ」 のストーリーを
「絵コンテ」 で提示していきたいのです。
「現実」 に起こっていることと、
「虚構」 である 映画 「アルゴ」 の内容との
似通っている 「相似点」 と、
全く違っている 「相違点」 を
同じ 「画」 という表現で際立たせていく。
そんなボク好みなアイディアが湧き出してきたのです。
今作は事実をベースに制作された映画ですので、これから発言していく妄想は完全にその枠をズレていきます。
それ故、これからのレビューは、今作を 「事実に構想を得て、妄想を繰り広げた映画」 に作り変えることを目的に、無責任に語っていきたいと思います。
「偽」 映画制作に使われた 「アルゴ」 は中東に似た星を舞台に、悪の大王をやっつけるストーリーとなっていました。
そこで、
現実世界で主人公達7人が体験していく事実と、
「偽」 映画のシナリオを、 シンクロ させてしまえば、
「画」 を使って様々な場面で
「現実」 と 「虚構世界」 の
「相似」 と 「相違」 を
表現することができる。
と思ったのです。
そこで、ボクは 「偽」 映画 「アルゴ」 のストーリーに、「スターウォーズ」 にある 「お姫様救出」 というファクターを加えていけば、
「現実と虚構の融合」 が近づく
と思ったのです。
悪の大王の城に侵入した「偽」 映画 「アルゴ」 の主人公は 「美しいお姫様」 に廻り合い、
一方の 現実世界 でイランに侵入した主人公は、潜伏生活に疲弊しこの救出プランに不満を顕にする 「ウザイ救出対象者」 がいる。
そんな 「相似」 と 「相違」 を盛り込みながら、
現実世界では 「潜伏者6人の救出劇」 が進行し、
「偽」 映画 「アルゴ」 では 「お姫様救出」 が虚構の世界で展開。
「現実」 と 「虚構」 が絡み合って
「現実と虚構の融合」 がなされることを
画策していきたい
と思ったのです。
現実の救出劇はあくまでも地味で、なるべくイラン当局に怪しまれないように出国することが目的でした。 しかし、「偽」映画 「アルゴ」 の主人公はその地味な現実とは対称的に
派手に豪腕を唸らせて悪の惑星からの脱出。
を演出したいと思います。
この 「現実」 と 「虚構」 の2つの脱出劇に、先の老プロデューサーにとどめの1発を炸裂させたいのです。
現実 (においての妄想) では、前述のように国際電話での言葉による攻撃によって革命防衛隊に一矢報い、主人公を助けるのですが、
映画 (においての妄想) では、思いっきり華々しいものにさせたい。
「エイリアン2」 のクライマックスで出てきた、リプリーが操作した作業用ロボットに乗って御大 (に酷似のキャラクター)が登場し、敵をやっつけるのも良いかもしれません。
ボクの妄想の中では、
現実世界においては 「口撃」 で、
「偽」映画 「アルゴ」 では直接的 「攻撃」 で
革命防衛隊や悪玉という敵に 「虚構と現実」 の両側面において同時に勝利するストーリーを夢見たのです。
今作の終結については
現実の救出作戦の成功と同時に
「偽」 映画 「アルゴ」 のエンディングが シンクロ して、
しかも、今作 「アルゴ」 自体が終結していく幕引きを
強く望むようになったのです。
これこそがボクが嗜好する
「現実と虚構の融合」
がなされた映画となる方法だと感じたのです。
今回は、オリジナルの映画の良さを十分に理解することがてきず、
いかにしてボクの好きな映画に改造していくかに注力したレビューとなりました。
確かに、こんなレビューは妄想だらけの邪道には違いないでしょう。
しかし、「たまにはいいかな。」 と独善的に思いつつ、レビューを終えることにします。
発想は スバラシイ。
映画制作を隠れ蓑にした 実話の人質奪還計画。
しかも、そこにハリウッドの面々が関わって来たところから
加速度的に 面白くなって来ました。
しかし
「人を語らず」 して、何故か、「人を語った」 つもりでいる
今作の姿勢には 大いに疑問 に思ったのです。
そんな落胆を期に、 ボクは
人質奪還=「現実」 と、 映画制作=「虚構」 の要素を絡ませて、
自らの極・私的嗜好である
「 現実と虚構の融合 」
を 夢見る
“妄想” の世界に引き籠って しまったのです。