
鮮やかな色とユニークな形状に溢れた楽しい映画でした。
しかし、それだけでは終わらない、実に奥深い映画であったと思いました。
その説明はおいおい行うとして、 今作では以下の3点に強く興味を引かれました。
[ ① チョコレート工場 と チャーリーの家 の 配置と形状 ]
[ ② 歓迎の人形劇 の 大炎上 ]
[ ③ チャーリー の 「DO NOT」 の 姿勢 ]
これらの側面に注目してレビューを進めたいと思います。 序盤では
[ ① チョコレート工場 と チャーリーの家 の 配置と形状 ]
にまず興味を持ちました。
緩やかな丘のテッペンに巨大なチョコレート工場が鎮座ましまして、その丘を一気に降り切ったところにチャーリーの家がポツンとあるのです。
チョコレート工場の煙突が尖塔にも思えて、まるでイスラム寺院たる “モスク” のような威厳を放つ一方で、貧乏人チャーリーの家は水平と垂直が全て狂った “究極のあばら家” として表現されており、そんな漫画的な対比に何故かしら興味を覚えたのです。
そう言えば、どこかでこんな光景見たような気がするのですが........。 そうそう、「東京ディズニーランド」 ででした。
高く縦に そびえる シンボル が
「シンデレラ城」 で、
デフォルメ された チャーリーの家 が
「トゥーン・タウン」
になぞらえたのです。チャーリーの家は非常に貧しいが、まるで 「トゥーン・タウン」 のような “遊び心” に満ちた見え方をしているため、悲壮感が漂っていないのが大きな救いとなっています。
そして、両家の爺さん、婆さん4人が勢揃いする大きなベッドの存在も、貧しいながらも気持ちを寄せ合っている家族がそこに暮らしていることを端的に表現していました。
この超近代的で立派な「シンデレラ城」と、貧しいながらも強い絆で結ばれた 「トゥーン・タウン」 の対比がどのようにこの映画に関わってくるのかを楽しみながら鑑賞をしたのでした。
今作で最も評価したいと思ったシークエンスが、工場主であるウィリー・ウォンカが登場する際に発生した
[ ② 歓迎の人形劇 の 大炎上 ]
でした。5組の “幸運な” 工場見学者をお迎えするカラクリ人形による歌と踊りが展開されるのですが、演出に使われた花火が出火元となって、可愛らしく歌い踊っていた人形たちが、次々と醜く焼き爛れていく様が展開されていったのです。
歓迎の微笑みをたたえた人形の顔が惨たらしく火で溶ける阿鼻叫喚図には、ただただ、圧倒され、渾身の拍手を送りたいと思ってしまいました。何故なら、そこには 「楽しさ」 とは表裏一体にある 「不幸」 という忌避すべきものがクローズアップされており、「光」 あるところに常に 「影」 が出来るように、「陽」 につきまとう 「陰」 の存在が提示されていたことに心を躍らせ、
笑顔 の すぐ隣 にある グロテスク な側面
に対して大きな映画的興奮を感じてしまったからなのです。
この楽しげな表層を持つ映画の裏にはどんなグロテスクなものが隠されているのであろうか? そんな謎を追いかけることを楽しみに、この映画を観続けたのでした。
しかし、そんな2項目の行方を楽しんでいたところに、大人げなくも
[ ③ チャーリー の 「DO NOT」 の 姿勢 ]
には苛立ちを覚えてしまったのです。
何故なら、工場を訪れてからのチャーリーは呆れるくらいに何もしないで、傍観者の立場を貫き通し、しかもそんな状態でありながら予測通りにチャーリーが特別賞を獲得してしまうからなのです。
自らは何ら努力することなく、ライバル達の自滅という形で賞にありつく有様に、この映画の大きな鑑賞目的としていた “特別賞の受賞” というプロセスがないがしろにされたようで大きな不満を感じてしまったのです。チャーリーは家政婦ならぬ、 (ただ) 見ていた (だけ) だったのですから。
他の子供達が 「DO」 (行う) という積極性を発揮する中、チャーリーは率先してウィリー・ウォンカに挨拶をするワケでもなく、様々な局面において自己主張ができるはずもなく、ただ、流れに追随しているだけに見えてしまったのです。
しかし、ご都合のよろしいことに賞獲りレースのライバル達が、常軌を逸した身勝手さを発揮して賞獲りレースから勝手に脱落していってくれたのです。
そんなトホホな展開の中、チャーリーは相変わらずの非積極的な
「DO NOT」 の ベクトル
で皮肉にも生き残っているだけだったのです。
ゴールデンチケットを獲得するために、チャーリーの極貧家族の心通った涙ぐましい努力とチャーリーの強い願いにほだされて、彼と彼の家族の味方についた観客の気持ちをないがしろにする展開に終盤まで疑問を持ってしまったのでした。
何はともあれ、チャーリーが特別賞を受賞するわけですが、特別賞獲得 → 工場の所有 → 莫大な富を現実のものにするために突きつけられた条件、 「家族を捨ててウィリー・ウォンカと工場に住み着く」 までもを彼はキッパリと断ってしまうのです。この局面においてもチャーリーは 「DO NOT」 という 「工場にこもらない」 否定の姿勢で、またもや 「ないない主義」 を貫き通してしまったのです。
と思ったのですが、今作を鑑賞し続けていくと、この局面においての彼の 「ない」 という返答は、実は、自分の強い意志を宣言していたのだということに気付いたのです。
それは、家族を捨て 「ない」 で、家族と一緒に 「いる!」 という
「DO」 の 確固 たる 意思表明
だったのです。
久々に見せたチャーリーの肯定の意志が、この物語を加速度的に展開させていきます。
それは、極貧ではあるが家族の愛に育まれたチャリーと、大富豪ではあるが家族の愛に恵まれなかったウィリー・ウォンカとの関係性において、チャーリーが
ウィリー・ウォンカ の この トラウマ
を払拭してあげるという結末に直結していくのです。
家族の愛から見放されたと誤解し、家族という存在を否定的にしか思えなかったウィリー・ウォンカの心の闇にチャーリーが明かりを灯してあげることによって、この映画は大団円を迎えることができたのです。
そしてこの 「ウィリー・ウォンカのトラウマ」 という言葉が導き出された瞬間に、冒頭で大きな映画的興奮を感じた [ ② 「人形劇大炎上」の謎 ] もスーと解けてきたのです。
歓迎の人形劇が、火あぶりにあう、
「楽しさ」 と 表裏一体 の すぐそば にある 「暗い影」
とは、この「チャーリーとチョコレート工場」という映画の「構造」を予見したものとばかり思っていたのですが、本当は、
ウィーリー・ウォンカ という 人間の「構造」
を表現していたのです。
チョコレートという甘く 「楽しい」 表層とは裏腹に、その内面には 「愛されなかった」 という辛くて苦い 「暗い影」 を抱えて、ねじれにねじれたウィリー・ウォンカという「構造」を表していたと感じたのです。
あの人形劇はウィリーという人間の内面世界をありのままに顕在化させたものであり、笑顔の直後の炎上による人形劇の崩壊は、家族不信というトラウマに侵された彼の病んだ精神そのものであったのです。
そんな自己告白の矢先に、子供達が 「強欲」 「傲慢」 という家族のしつけの悪さを元凶として工場から退場させらてしまうのですが、この事実はウィリー・ウォンカが妄信している 「家族不要論」 を強く後押しするものとなっていたのです。しかし、だ、そこにチャーリーという異端分子が突如として自己主張をしだしたのです。
今までおとなしく従っていたのに、家族の絆に対して強い意志を持つ、チャーリーの
家族 「YES!」 「LOVE!」
という自己主張がこの物語を急展開させていったのです。
そうなのです。この家族に対する強い思いを際立たせるために、工場内での彼にはことごとく非積極的な 態度をわざととらせていたのです。この終盤にきて やっと [ ③ チャーリーの「DO NOT」の姿勢 ] の必然性に気づくことができたのです。
ただのキレイで楽しい映画に陥りやすい題材を、ここまで普遍的な「家族」という問題までに昇華させてくるあたりは、さすがにティム・バートン! と何だかうれしくなってしまいました。
そして、これまた冒頭で印象深かった [① チョコレート工場とチャーリーの家] に対比される 「シンデレラ城」 と 「トゥーン・タウン」 の関係 という個人的なこだわりにも、何と、ティム・バートンは決着を付けていてくれたのです。
それは、雪降るラスト・シーンにチャーリーのあばら家が再び登場してくるのですが、実は、この建物は工場内に再現、もしくは移設させてきたものであり、しかも降りしきる雪までもが人口的に降らした舞台効果だったという、
うれしい ネタばらし
があったのです。このラスト・シーンでの建物に対する意匠や降雪という舞台演出がなされているところから、ここにおいてチャーリーのあばら家が、生活苦とは無縁の位置にある楽しさ一杯の 「トゥーン・タウン」 へと、生まれ変わったことを実感したのです。
結果的にチョコレート工場は 「シンデレラ城」 という一つの建物に収まり切れずに、「東京ディズニーランド」 という巨大な広がりになっていたのですが、そのテーマパークに 「貧困」 ではなく、「遊び心」 にのみに、その存在理由を持つチャーリーの家が配置され、まさしく 「トゥーン・タウン」 としての “楽しい我が家” へと劇的な変貌を遂げていたのです。自分が直感した 「トゥーン・タウン」 という言葉が図らずも、このラスト・シーンにおいて結実されており、
制作者 と 同じシンパシー
を持ち得ていたことに大きな満足を感じたのでした。
主人公達 (4組の “不幸” な工場見学者は除く) も、そしてこのような個人的な興味をも終結させることができた僕自身も、とても大きな満足を得た幸せな映画であったと結んでおきます。


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