2006-08-03 Thu 00:33
通勤時間を活用して、ポータブルDVDプレイヤーを使っての地下鉄内鑑賞にいそしんでいます。 第3回目 7月6日(水)
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弊記事までTB&コメント有難うございました。
お久しぶりです。
TBは相変わらずできませんので、URLにひそませておきました。 最初から最後まで、映画文法を無視して作っているところに一貫性がありました。 途中の観念映画的な部分は文法無視を映画の中で自ら宣言していると解釈できますね。 そう理解して観ると、意外と解り易い映画。 多分鈴木監督は2,3年早かったんでしょうね。 この後日本映画界を席巻するATGブームの洗礼を受けた観客なら、この映画を難解とも思わないでしょうし、会社の首脳陣も別の反応をしたでしょう。 スターシステムが崩壊しつつあった時代なので、放逐は必然でもあったのですが、変な“烙印”を押されてしまったので、その後暫く映画界での活動を封じられたのは鈴木監督の不運ですね。 あの匍匐前進はしびれました。映画的興奮とは、正にこれですね。 コメントありがとうござました!
拙ブログにコメントいただいておりありがとうございました。こちらのレビューを興味深くよませていただきました。
もうずいぶん前に観たのですが,埠頭のシーンなど鮮明に蘇ってきました。こういう映画って,どれだけ心を開いて受け入れられるかで変わってきますよね。ストーリーを追うのを諦めるのは難しいんですけど。 キネマじゅんぽうというブログは,もう更新を止めておりまして,覚書程度に残しています。それでもよろしければTBをいただくのは大歓迎です! オカピーさん
オカピーさん。こちらこそ、お久しぶりです。
“多分鈴木監督は2,3年早かったんでしょうね。 この後日本映画界を席巻するATGブームの洗礼を受けた観客なら、この映画を難解とも思わないでしょうし、会社の首脳陣も別の反応をしたでしょう。 ” おー! そうですよね! 非常に合意です!! ボクも途中で “ATGの観念映画っぽく ” なんて書いてますけど、上映時点の1967にはまだATGは観念っぽい映画を製作していなかったのですよね。翌年の1968年になってやっと「絞死刑」を上映するわけなのですから、 そういった意味では、唯一無二の映画を鈴木清順監督は創作していたということなのですね。 だから首脳陣は 「わけわかんねー」 ということになったのでしょうね。 納得です。 オカピーさんのレビューはこちらです ↓ http://okapi.at.webry.info/200706/article_3.html ジューベさん
ジューベさん いらっしゃいませ。
ジューベさんのレビューにある言葉 ”イメージの連鎖として,感覚的に観ることが大切になるのでしょう。” に合意でございます。前コメントのオカピーさんの内容にもあるように、 ATGを事前に経験していたボクらには、いくらか、イメージの連鎖や残像を紡ぎ合わせて、物語を感じ取ることができたのかもしれませんが、前時代の人々にとっては心を開けないものだったのでしょうね。 貴ブログは更新をしていらっしゃらないとのこと、 残念です。アーカイブを楽しませて頂きます。 ↓ ジューベさんのレビューはこちらです http://jouvet.cocolog-nifty.com/cinema/2007/05/post_f1fc.html
2009-04-27 Mon 22:19 | URL | マーク・レスター #-[ 内容変更]
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