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完成! 「フラガール」
2008-06-07 Sat 11:15

フラガール




まず、映画自体の感想を述べる前に、東北の寒村に ハワイ を作ってしまった当時の経営陣に心から敬意を表したいと思う。
炭鉱の閉山によって突きつけられた事業の変革に対して、豊富な温泉資源を活用しての 「常磐温泉センター」 という発想ならたやすくつくだろう。しかし、彼らは常人では思いもつかない付加価値を創出して、恐らく、日本で始めてのテーマパークを作り上げてしまったのです。


     それが 「常磐ハワイアンセンター」 。


 「東京デイズニーランド」 や 「志摩スペイン村」 「ハウステンボス」 なんてものは存在するはずもなく、テーマパークという言葉すらなかった昭和40年に、ハワイを創り上げてしまった彼らのプロデュース能力に大いに感心をしたのです。

ボクはこの一大事業のたったの一側面でしかない 「フラガール」 という限定された世界よりも、事業全体を経営的な観点から語っていく 「プロジェクトX」 にこそ興味を引かれていったのです。
正直に言うと、今作の題名ともなっている 「フラガール」 という一部分から、 「常磐ハワイアンセンター」 の事業全体を感じ取れる瞬間が少しでもあれば良いなと、いわば不純な気持ちで鑑賞を始めていたのです。



しかし、今作を鑑賞していく中で




      「内」        「外」     対比 と、
 
    「第1次産業」  「第3次産業」  という相違 】




   ダンスのけが雄弁る、物語進行上における法則性 】



                  という2つの側面がボクの興味を刺激していきました。





しょっぱなから、カワイイ女の子たちが福島弁丸出しで自分達のことを 「オレ」 と言うあたりにこの映画の狙いが見えてきました。福島の寒村に住む地元の少女たちと、彼女らをハワイアンダンサーに仕立てるために東京からやって来るダンス教師との ギャップ を、どうやら際立たせたい意向のようです。
「東京」 という記号に対して正反対の存在である、純朴で飾り気のない彼女達の存在が必要だったのでしょう。

ここから顕在化していった 「対比」 という予感は、松雪泰子演じるダンス教師が登場するシーンに象徴的に提示されていきました。
彼女は酒酔いと乗り物酔いによって 「橋」 の上で停滞を演じていくのですが、その場所が境界線を彷彿とさせる川の上であったのです。

 「内 ⇔ 外」 という 「対比」 の関係性で考えると、川の向こう側である 「外」 から ダンス教師はやって来て、川のこちら側の 「内」 で生まれ育った 「オレ」 達 と出会うわけです。 
このように 「内」 なるものと 「外」 なるものの 「対比」 の構図が、 「川」 という記号を軸にして提示されており、以降もこの表現方法は活用されていくことになります。

やがて、この 「内」 と 「外」 とのちょっとしたお約束的な軋轢があり、しかしながら、ダンス教師の踊りを目撃したことで、双方はあっと言う間に一つの方向に向かっていきました。




   “激しい動きの後に、膝を折り仰向けに倒れるように沈み込む。

    長い静寂の後、引き上げられるように膝を支点にして上半身をおこす




この軋轢を沈静化させた振り付けを、監督がバランスを崩さんばかりのクドさで描いてきたことに対して、ボクは大いに反応をしていきました。 きっと、この振り付けに託された 「思い」 が、物語を推進させる重要な要因となっていくのだろうと直感したのです。

この直感をパフォーマンス系映画にありきたりなストーリーパターンを用いて、独善的に今作の行方を推察すると、


『序盤に軽度な軋轢を敢えて創り、何かのキッカケで雪解けムードとしていく。 (たぶんこの振り付けを含むダンス教師の踊りがそのキッカケとなるのでしょう)
そのことによって、物語は一つの目的に向かって順風満帆に進行していくことになる。
しかしだ、うまくいくように思わせときながら第三者的な要因で今度はより大きな挫折をしかけていくことになる。
その結果、物語進行上の 手痛い停滞 が提示されるのだが、当然のことながら、その障壁も乗り越えていくことになる。
この 手痛い停滞 の克服と、物語上のクライマックス ( おそらく、「常磐ハワイアンセンター」 での初パフォーマンス大成功! となるはずです ) を続けざまに投入してくることによって、 結果的には、より大きな幸福感に包まれた大団円を迎えることになるのだ。』


と、今作はこのように類型的な 「挫折の後の歓喜」 型ストーリーを残念ながらなぞってしまうものと、ボクは早々と断言をしてしまったのです。
そして先ほどの振り付けがこの 「挫折の後の歓喜」 型ストーリーに対して、象徴的な反復運動になるであろうことも、これ見よがしな演出から読み取ってしまったのです。



具体的に言うと、



 「挫折歓喜」   という物語を進行させるキーポイントに

 「静止再始動」 という 「思い」 を感じ取ることができるこの振り付けを
                       象徴的に活用してくるはず。 と思ったのです。



「内」 と 「外」 とのちょっとした軋轢を解消したこのシークエンスにおいて、前述の

  【 ダンスけが雄弁る、物語進行上における法則性 】

                                     の萌芽を見たのです。



一方、 「対比」 を発展させた、もう1つの鑑賞テーマである、



      「内」        「外」     対比 と、
 
    「第1次産業」  「第3次産業」  という相違 】 



を推進するキーマンがダンス練習場に乱入してきました。それが蒼井優演じる紀美子の母親だったのです。

  「裸踊りでラクして稼ぎたいのなら、てめぇ一人でやれ !」 
  
                               とダンス教師に啖呵を切り、

  「ヘラヘラ笑いながら男衆に媚びて、ケツ振ったり、足おっぴろげるもんでねぇ !」

                                とのセリフを浴びかけるのです。

まさにこの局面にきて、 「内」 と 「外」 の本格的な軋轢となる予感を振り撒いてくれたのです。

そしてこの 「昔気質の炭鉱の女」 による発言で、 「内」 ⇔ 「外」 の対比というものが  「東京」 ⇔ 「福島」 という単なる地域の対比の枠を超えて、前述の 「プロジェクトX」 的な視野で考えるならば、


      「産業構造変革」 の問題

                        に拡大されていったことがわかるのです。


農林魚業と同じく自然相手の生産業である炭鉱の仕事も 第1次産業 に分類されるわけで、
一方の 「常磐ハワイアンセンター」 はサービス業の 第3次産業 となるのです。
しかも 「オレ」 達が目指すハワイアンダンサーは サービス業の中でも高度に専門家したエンタテインメントの領域に突入していくことになるのです。
汗水垂らしてコツコツと稼ぐ方法しか知らない 第1次産業 育ちの母親にしてみれば、 第3次産業 の仕事なんぞは (特に エンタテインメント業は) 軽薄で、人に媚びる恥ずべきものであると感じたに違いありません。だからこそ前述のセリフが発せられたのでしょう。

時は昭和40年。アメリカの大規模農場や東南アジアからの安価な木材の流入などがあって 第1次産業 が衰退し、製造業である 第2次産業 やサービス業である 第3次産業 に産業構造が本格的に移行した時代。勿論、炭鉱も中東からの石油という原材料の攻勢にあって、没落の代表選手となってしまったのです。

こんな時代背景を持つ今作の 「内」 ⇔ 「外」 という関係性は、
前述のように 「東京」 ⇔ 「福島」 という単純な地域格差だけではなく、



      「外」 から侵入してきた 「第三次産業」 と

       崩壊していく 「内」 なる 「第一次産業」 



という問題に拡大され、夫々の人生観や価値観の相違へと波紋は広がっていったのです。



中盤、4人しかいなかったメンバーが急増していきます。
炭鉱の縮小による大量解雇がその原因で、収入が無くなったことで新しい食い扶持を求めた娘たちが フラガール に応募してきたのでした。
同じパフォーマンス系映画つながりで胸の内で比較してきた 「ウォーターボーイズ」 と今作とは、ここにきて決定的な違いをみせてきたのです。
「ウォーターボーイズ」 においてもメンバーの増員があるのですが、それはTVのニュースで男のシンクロが扱われたことによるPR効果のたまもので、あくまでも積極的な参加意欲によって増員されたものでした。
それに対して今作は、父親のリストラによって、娘たちが


    きる手段として


 フラガール を選ばざるを得なかったところに、両者の差異が際立ってきたのです。
昨今におけるパフォーマンス系映画 「ウオーターボーイ」 「スウィングガール」、TV番組でありますが 「のだめカンタービレ」 と比べて今作が圧倒的な深みを持ちえた点が、


    生活をしなくてはならない 
                    
という側面なのです。



また、リストラの影響で、逆にメンバーの減少も発生することになりました。
紀美子の親友である早苗が父親の転籍でこの町を離れていくことになるのです。その離別のシーンにおいても序盤に感じた 「内」 ⇔ 「外」 の関係性が反復訴求されていったのです。
早苗を乗せたトラックが走り去って行く場所、それがどこあろう... 「橋」 であったのです。 「内」 なる存在であった早苗は



    「橋」 ってくことで 「外」 なるとなり、


この地からも、そして映画世界からも姿を消していくことになるのです。


早苗離脱 のくだりは同じく序盤、紀美子の母親の存在で感じた 産業構造の変化 についても考察の種を提供してくれました。
早苗の父親はリストラされた腹立ちにまかせて、第三次産業に従事しようとする娘の晴れ姿に攻撃を加えてしまったのです。 第三次産業の機運を拒絶し、第一次産業に固執していった男が流れ着く先は...  夕張。
その後の夕張炭鉱の閉山、そして自治体の財政破綻を知る者からすると、時代の大流を無視し、反発し、消え去っていく者の哀しさ、憐れさを感じずにはいられませんでした。


さて、いよいよ「常磐ハワイアンセンター」 の開園を目前にして、フラガールたちのキャラバンが始まりました。
公民館などで踊りの実地訓練を行うのと同時に、フラガール達に 「常磐ハワインアンセンター」 の宣伝をさせてくるあたるは流石、日本初の テーマパーク を作り上げた経営陣。


    ナイスなプロモーションです。


コンテンツのブラッシュアップとプロジェクトのPRを同時に叶えていくプロデュース能力の高さに、再び感服致しました。
やっぱり フラガール という一側面だけではなく、 「常磐ハワイアンセンター」 をリリースしていくもっと巨視的なドキュメンタリー映画を観たいものだと再確認をしたのでした。

と感じた直後、不思議なことに、気が付くと個人の感情の問題にボクは目を向けていたのです。
それはキャラバンの楽屋で父親の落盤事故を聞かされる、静ちゃん演じる小百合への演出に見られました。自分をターゲットとしている告知者の視線から逃げるかのように、ただひたすら手鏡で自分の顔を凝視し、その事実を避けようとする彼女の行動に迂闊にも心が動いてしまったのです。
ちょっと冷静に考えるとこの表現は少女マンガに出てきそうなありがちなものなんですけどね.....。
そう言えば、先の早苗離脱のくだりにおいても 「内」 ⇔ 「外」 の関係性に意識が向かいながらも、ふと気づくと、ただ単純に早苗に同情している自分がいたのです。

「プロジェクトX」 的なビジネスの現場や映画製作者の構造的なルールに思いを転じた途端に、ふと気づくと、正反対とも言える情緒的なエンタメ映画の真っ只中にいる。


    案外、これは興味深映画

                         だなと思い始めたのです。


さあ、話を映画製作者のルールについて述べることにしましょう。
父親の危篤に際しても公演を続行し、 「バカみたいに笑顔を振りまく」  第三次産業の厳しさにもまれてプロに近づいていった彼女たちと、
 第一次産業 の土着的で保守的な人間関係を強要してくる 生粋の 「内」 なる者と、
娘たちを違う領域に連れ去ってしまうかもしれない、ドライな 「外」 なるダンス教師。
この三者の間に、落盤事故をきっかけとして噴出する人生観や価値観の違いによって、大きな軋轢が創出されはずだとボクは確信をしているわけですが、その根拠は


『フラガール という目的に対して順風満帆に物語を進行させておきながら、第三者的な要因によって大きな挫折  ( おそらく、落盤事故を発端とする 「内」 と 「外」 の大きな軋轢がこれにあたるはず )  をしかけていくことになる。
その結果、物語進行上の 手痛い停滞 が提示されるのだが、当然のことながら、その障壁も乗り越えていくことになる。
この 手痛い停滞 の克服と、物語上のクライマックス  ( おそらく、「常磐ハワイアンセンター」 での初パフォーマンス大成功! となるはずです ) を続けざまに投入してくることによって、 結果的には、より大きな幸福感に包まれた大団円を迎えることになるのだ。』


という類型的な 「挫折の後の歓喜」 を今作が形成するものと頑なに信じているからなのです。 

で、元はと言うと



    “激しい動きの後に、膝を折り仰向けに倒れるように沈み込む。

    長い静寂の後、引き上げられるように膝を支点にして上半身をおこす” 



この振り付けの表現方法の稚拙さから、これが単発で終わるはずもなく、映画製作者のエゴを丸出ししながらも再び反復訴求されるはずと直感し、


 
 【 ダンスけが雄弁る、物語進行上における法則性 】 

                     なんて言葉を持ち出して監視をしていたのです。




終盤。

手痛い停滞 は予測通りやって来ました。

「外」 なる、そして 第三次産業 の化身たるダンス教師は、そのドライなプロ意識ゆえに 第一次産業 の保守的なムラ社会から疎外されて フラガール から離脱をしていくことになります。
しかし、この停滞はそう長くは続かないことに程なく気づきました。
何故なら、今作は



    「挫折歓喜」 ストーリーをたどる



はずであるからであり、そして何よりも、 第一次産業 の代弁者たる紀美子の母親が、紀美子のダンスシーンを目撃してしまったからなのです。その時、目撃する振り付けが勿論、あの


 

   “激しい動きの後に、膝を折り仰向けに倒れるように沈み込む。

    長い静寂 ( わかりやすく言い換えると 「停滞」 ) 

    の後に引き上げられるように膝を支点にして上半身をおこす”




振り付けだったからなのです。それはまさしく序盤にかけて ダンス教師と 「オレ」 達のちょっとした軋轢を予定調和的に解決してくれた振り付けだったのです。 

仰向けに倒れ込んだ肉体の 「停滞」 を経た後、再びの命を吹き込まれたように動きを再開していくこの振り付けには


     「再始動」 や 「復活」 


を感じ取ることができ、この踊りを媒介としてしまったからには、
そして、今作においてボクが感じた


     「映画のルール を妄信


していけば、この母娘関係に再生がなされるのは時間の問題だと確信したのです。そして、ダンス教師離脱という 手痛い停滞 をも同時に解決してくれるはずと、確信をしたのです。
この独善的な確信はストーブ騒動時の、母親のセリフにその確証を見つけることができました。

「今まで仕事っつうのは、暗い穴ん中で歯食いしばって、死ぬか生きるかでやるもんだと思ってた。 でも、あんな風に踊って、人様に喜んでもらう仕事があってもいいんでねえか?」

と、新しい生き方である 第三次産業 を認める発言がなされたのです。そして、そんな彼女を出発点としてコミュニティ全体に急速にこの思いは波及していくことになります。
寒い地方での家族団欒の中心にいたストーブが、所有者の善意のもと 「橋」 を渡って 「外」 なる 「常磐ハワイアンセンター」 に移動していくシーンにその思いは象徴的に表されていたのです。

「内」 なる土着的な結びつきを拠り所とする 第1次産業的 生活と、「外」 なる 第3次産業的 新しい生き方が 「橋」 を媒介として繋がったのです。
今までは、両者を区分けする関所であった 「橋」 が、2つの世界を繋ぐホットラインと化していったのです。


こうなると物語はどうしょうもなく 手痛い停滞 の解決に向かい、大いなる大団円に向かって疾走していくことになります。

この町を出て行こうとするダンス教師を引き留める為に 「オレ」 達は駅に終結します。彼女たちがダンス教師に対して行った引き留め工作とは、


   父親世代のように 腕力 によるものであるはずもなく、
   ましてや 言葉に 頼ることもせず、

   ただ、 ダンス という行為によってのみ、訴えかけたものだったのです。


ダンスが内包している 「思い」 に託して、ダンス教師に自分たちの 「願い」 をぶつけていったのです。




手痛い停滞 はこのように解消されていきました。


結局、今作は類型的なストーリーパターンを脱することはありませんでした。
しかし、興味深いことに、映画の構造に注意を向けた途端にボクは再びの情感の世界に引きずり込まれていったのです。それは当然のごとく、 手痛い停滞 を払拭していった、ダンス教師引き留めのシークエンスに集約されていきました。

ダンスの力によってダンス教師という人の心を振るわせていった彼女達は、初公演を踏む前の、誰一人として観客がいないこの夜のプラットフォームにおいて、真の ハワイアン・ダンサー へと変身していったのです。
それはまさしく、第1次産業 の片田舎にいた 「オレ」 達が、第3次産業 の中でも高度に専門化した 「エンタテイナー」 に昇華した瞬間だったのです。
この動きは事業全体という問題とは程遠いパーソナルな瞬間ではありましたが、ボクは敬虔な気持ちで、そして一種の畏怖の念を持ちながら彼女達の成長を微笑んで見守っておりました。


後はわざわざ言及するまでもありませんが、手痛い停滞 という障壁を乗り切った勢いのまま、彼女らの初パフォーマンスは歓喜の中で大成功を収めていきました。

そして、当然のことながら紀美子母娘の和解もこの幸福な大団円のその中で成就することができたのです。




昭和30年~40年代の回顧的な作品として比較される 「ALWAYS 三丁目の夕日」 が昭和30年代の高度経済成長の機運を、東京という特別な一地方の部分でしか語れなかったのに対して、
今作はその7年後の昭和40年。 高度経済成長が引き連れた 産業構造の変革 という大問題を、全国民の1/10しか住まない東京という特別な舞台ではなく、圧倒的多数の国民が生活基盤とする普遍的な一地方から語ってきた点を評価したいと思いました。

序盤に感じた、「常磐ハワイアンセンター」 の経営的側面を残念ながらかいま見ることはできませんでした。しかし、一事業のレベルを遥かに超えた、圧倒的多数の国民が直面していった国家レベルの問題である 
産業構造の変革 
について 、 「フラガール」 というたった一つの側面から考察できたことを高く評価します。

しかし、今作は予測通りの紋切り型のストーリーをそのまま突っ走り、意外性のかけらもなかったことについては、返す返す残念でなりませんでした。
とは言っても、映画制作者の術中に自らはまり、ベタな心地よさに身をまかせた久々の鑑賞となったのは事実でした。

表層はコテコテのエンタメ映画の王道を歩きながらも、その行間にある制作者のコダワリやエゴを秘めた 「裏ルール」 を紐解く楽しさをも感じた鑑賞であったのです。


  「表層的エンタメ映画」
  「隠れたルール。 


   この同時錯綜していく2つのベクトルを楽しめた、 言うなれば


   
パラレルきを堪能した

                         鑑賞となったのでした。




フラガール2

フラガール3

 

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別窓 | DVD車内鑑賞レビュー | コメント:4 | トラックバック:10
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この記事のコメント
ハワイアン
TBありがとう。
この作品は、最初の脚本では、まさに「プロジェクトX」的な、経営チャンジの苦闘物語であったらしいですね。それを、女の子たちの自立=サクセス物語にチェンジしたようです。

あと、僕もふれていませんが、寒い土地にハワイの暖かさをということもありますが、フラダンスというものがもつ、ルーツ性を探っていっても、面白いものがあります。
制作サイドは、ほんとうはあまりそこまでは、考えていないでしょうけど(笑)
2008-07-17 Thu 20:40 | URL | kimion20002000 #fOhGkyB.[ 内容変更]
kimion20002000さん
コメントありがとうございます。
トラックバックという技術を初めてやらせて頂きました。
今後ともよろしくお願い致します。

プロジェクトX的なものでなくて、結果的にこのようなベタな世界だったからこそ、多くの人たちが観て、大きな波になったのでしょうね。売れるが勝ちですね。

2008-07-18 Fri 00:32 | URL | マーク・レスター #-[ 内容変更]
トラバ、コメント、ありがとうございました
私も、あんな寒い所に「ハワイアン」を作ると言う
当時の人の発想には驚かされましたし、時代を
考えれば物凄い苦労の後の成功であっただろうと、
この映画を見て初めて思った次第です。

町おこしでありながら、保守派の反対派がいる、と言う
境遇の中で、それでも頑張ってきた彼女たちのラストの
舞台姿に心から拍手を送っていました。

良い映画でしたね。
2008-10-23 Thu 00:57 | URL | くう #-[ 内容変更]
くう さん
くう さん コメントありがとうございます。

成功 がああも気持ちよく映し出された映画も珍しいですよね。
こんなにも劇的な 成功 を作ったのは、 「保守派の反対派」 の存在であったのでしょう。マイナス要件がしっかりと描けていたからこそ、それを払いのけて到達した 成功 の価値が高まっていったのでしょね。
2008-10-24 Fri 21:17 | URL | マーク・レスター #-[ 内容変更]
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