
惜しい、 実に 惜しい 。
これが今作を鑑賞し終えたボクの率直な感想でした。
■ 「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏では台風を引き起こすこともある 」
このカオス理論にインスパイヤーされた今作のプロットは良い。
■ オープニング・タイトルもイマジネーション豊かで秀逸な出来だ。
■ エンディングも情感に訴える素晴らしいものであった。
が、しかしだ、この素晴らしい要素を結びつけるべきディティールの数々が、残念ながらボクの期待をことごとく裏切っていったのです。
今作の出だしは非常に素晴らしく、今後の展開を大いに期待させるものではあったのです。
主人公である エヴァン が追っ手から逃れる緊迫感あふれるシーンから始まり、オープニング・タイトルに至っては
「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏側では台風を起こすこともある 」
というカオス理論から発想を得た秀逸な内容となっていたのです。
「蝶の羽ばたき」 が、やがて 「右脳と左脳」 の非対称のいびつな収縮運動にリンクしてきたことによって
「脳の機能に大きな関係が生じてくる」
ことを予感させる秀逸なタイトルでありました。
そして矢継ぎ早に今作は、このオープニング・タイトルから一転して、カラッとしたアメリカの典型的な住宅街に場面が急展開をしていったのです。
追っ手から逃れる緊迫のオープニング・ショットから始まって、 「蝶」 と 「脳」 をフューチャーした秀逸のオープニング・タイトルにかけて、 「渋い色彩」 が続いたところに突然、ヌケの良い景色が登場したワケですから、ボクの心の中は
ハッとするような開放感に
溢れていったのです。
向こうからスーッと伸びてきている坂道がこちら側に迫ってきて、その坂の上からMTBに乗った2人の少年が疾走してきました。
どちらかと言えば 「陰」 な映像が続いていたところに、一転しての晴れやかで心躍る映像が提示されてきたことに、 対比の妙 を感じ、今作に対する期待はますます高まっていったのです。
2台のMTBがドンドン近づいてきます。爽やかなスピード感に乗って、しばらくは 「夢の世界」 が提示されるんだ、
と確信した瞬間、MTBはあっと言う間にボクの視界を通り過ぎ、フレームの外へフッ飛んで行ってしまったのです。
んっ !! どうしたんだ ?
信じられないことに、カメラは勝手にMTBへのパンニングを止めてしまったのです。
残念ながら、今作の興味はパンニングの途中にいる今作の主人公、7歳時のエヴァン が庭先で愛犬と戯れているシーンに移っていってしまったようなのです.........。
惜しい。
実に、 惜しい。
心の底からそう思いました。
緊迫のオープニング、抽象的なタイトル・バックと続き、それらを 軽やかなスピード が引き継いで本編が開始されていくはずと、期待が大きく膨らんだ矢先に、 MTBを放棄し、 スピード という高揚感をあっさりと捨ててしまった今作の制作陣の選択に疑念を持ってしまったのです。
庭で愛犬と停滞している主人公の映画なんかではなく、MTBで疾走していく二人の少年の映画を観てみたい衝動に駆られたのです。 「停滞」 と 「疾走」 どちらかをチョイスできるとしたら、ボクは迷わず
晴れやかなスピード
を選んだことでしょう。
今作は、序盤においては非常に素晴らしい印象をボクに与えていきました。しかし、本題が始まると、 いや、このように本題が始まる一瞬前から、ボクの期待と大きなズレを生じていったのです。
そして、このズレを脳内で修正していくことが、今作を鑑賞する上での一番大きな作業となっていったのです。
気を取り直して鑑賞を続けていくと
「記憶喪失」 というキーワード
が登場してきました。
「バタフライ・エフェクト」 というカオス理論からの題名と 「蝶」 の羽ばたき、そして 「脳」 の収縮 というパーツが本格的に連携し始めてきたのです。
「記憶」 をめぐる映画 ですから、「記憶喪失」 というキーポイントを時間軸に沿ってしっかりと理解していかなければ、
制作者のメッセージ
を受け止めることができない、
と直感したのです。
そう思っているうちに、今作には
20歳 という 現在 と、
7歳 という 子供時代。 そして
13歳 という 思春期。
この3つの異なる時間が関与し始めていきました。
混乱しないように、主人公が直面する 「記憶喪失ポイント」 を時間軸に沿って整理してみることにします。
7歳時に発生した 「記憶喪失ポイント」 は
《 1番目 ・ 殺人の絵 》
授業中に発生。
「ナイフで人を刺し殺した絵」 を無意識のうちに書いていた
《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
自宅で発生。
キッチンで包丁を (殺意ありげに) 持っていた
《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
幼馴染の 妹ケイリー、兄トミー の家の中で、彼らの父親に
いかがわしいビデオ撮影をされる際に発生
《 4番目 ・ 精神障害の父親からの殺意 》
精神病院へ父親を面会した際に発生。
気が付くと父に首を絞められていた
という以上の4点。
そして、それから6年後。13歳の思春期を迎えた時間には
7歳時にも登場した、幼馴染の 妹ケイリー 、兄トミーが重要な役割を演じていきます。
《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》
粗雑な 兄トミー 主導で他人の家の郵便受けを
ダイナマイトで吹き飛ばす甚大なるいたずらの最中に発生。
《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》
主人公エヴァン と 妹ケイリー のキスに激高した
粗雑な 兄トミーが、エヴァン の愛犬を焼き殺す場面で発生。
このように、7歳時の4点と、13歳時の2点。 計6点の 「記憶喪失ポイント」 が提示されていったのです。 そして次には、この 「記憶喪失ポイント」 を核として 今作を推進していく
「映画のルール」
が提示されていきました。
それは
“自分の日記 ( 「記憶喪失」 発生時ににその状況を書き留めておいた )
を読み返すと、その 「記憶喪失ポイント」 に時空を超えてタイムリープを
することができる。”
というものでした。
今作の映画世界は、この 「映画のルール」 によって完全支配されることになるのですが、その側面から今作の展開を推察していくと、
20歳の心を持った エヴァン が
7歳時に起こった 「記憶喪失ポイント」
《 1番目 ・ 殺人の絵 》
《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
《 4番目 ・ 精神障害の父からの殺意 》 に加え、
13歳時の
《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》
《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》
という6個の 「記憶喪失ポイント」 にタイムリープをして、失われた記憶を埋めていくというものになるようです。
やがて、今作の映画世界を推進していくための 「映画のルール」 が提示された次には、この 「映画のルール」 を駆使して成し得るべき、映画の到達目標点とも言える、
「主人公の目的」
が提示されていきました。
エヴァン は、失われた記憶を確認すめるために、13歳時にサイドミラー越しの別れを演じた幼馴染の ケイリー と7年ぶりに再会をしました。 ケイリー の父親によってなされた
7歳時の
《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
幼馴染の 妹ケイリー、兄トミーの家の中で、彼らの父親に
いかがわしいビデオ撮影をされる際に発生
の事実を確認したところ、彼女の封印していた悲しい記憶を呼び覚ましてしまったのでしょう。 結果的に彼女を自殺に追い込んでしまったのです。
ここで、 「記憶喪失ポイント」 の種まきに終始していた今作に、成し得るべき到達点である 「主人公の目的」 が提示されていったのです。
それは、タイムリープという 「映画のルール」 を活用して過去に戻り、その過去を変えていくことで、命を落としてしまった
ケイリー を救うこと
だったのです。
当然のことながら エヴァン は ケイリー を自殺に追い詰めるほどの大きなトラウマを焼き付けた、7歳時の
《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
という 「記憶喪失ポイント」 に 戻って行くのです。そして、いかがわしい撮影をしようとする ケイリー の父親を一喝し、その行為を封印させたのです。
過去を変えた瞬間に、7歳時のその時点から エヴァン と ケイリー の今までとは違った人生が走馬灯のように提示され、夢から覚めたように、全く異なった20歳の エヴァン が始まっていたのです。
過去に戻ってトラウマを払拭させたことによって、幼馴染の ケイリー は、前回の人生での冴えないウエィトレスなんかではなく、華やかな女子大生としての人生を謳歌していたのです。 ここでオープニングに提示された
「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏では台風を引き起こすこともある 」
の意味を実感することができるのです。
7歳の時に ケイリー の父親を一蹴し、いかがわしい撮影をさせなかった という
「小さな蝶のはばたき」 で、 ケイリー はキャピキャピの女子大生となり、エヴァン とナイスカップルというバラ色の人生へと、プラス方向の 「台風」 が吹き荒れてたのです。
しかし、今作はここで 「めでたし、めでたし」 の大団円を迎えるわけもなく、マイナス要件としての
もう一つの 「映画のルール」
を突きつけてきたのです。
それは、「何度も過去を変えて不幸を取り除こうとしても、結局は誰かしら不幸に陥ってしまう」 という、興味深いストーリー展開だったのです。
先に紹介した、ストーリーをグイグイと前に進めていく 「タイムリープ」 を
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】
とするならば、
今回新たに提示された、誰かしら不幸に陥ってしまうという 「映画のルール」 は
【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】
と言うことができるでしょう
タイムリープをして、過去を変えていく
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 と
積み上げた物語をリセットする方向に持っていく
【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が絡み合い、
そこに、7歳時と13歳時の 「記憶喪失ポイント」 が関与をしだして、 なんとも典雅な3重奏の調べを奏でるのです。
とボクはこの時点ではそんな映画体験ができることを真剣に期待をしていたのです......。
前述のように、ところどころに素晴らしい要素が散りばめられた今作ではありますが、それらを結びつけるディティールの数々が、ボクの期待をバッサリと裏切っていったのです。 この思いは、7歳時の
《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》
を阻止しただけで、エヴァン と ケイリー のバラ色の 「第2の人生」 が始まっていくくだりから既に感じ始めていたのです。
何故なら、 《 いかがわしい撮影 》 という マイナスポイントを是正しても、時制的にその後にくる
《 4番目 ・ 精神障害の父親からの殺意 》
を始め、何よりも13歳時に遭遇した 重大な出来事、
《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》
粗雑な 兄トミー 主導で、他人の家の郵便受けを
ダイナマイトで吹き飛ばす甚大なるいたずらの最中に発生。
《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》
主人公 エヴァン と 妹ケイリー のキスに激高した
粗雑な 兄トミー が、エヴァン の愛犬を焼き殺す場面で発生。
という、2つの大きな傷跡を残した 「記憶喪失ポイント」 までもが、軽くスルーされていったことに、大きな違和感を感じてしまったからなのです。
ボクは 「時」 というものを
一瞬一瞬が絶え間なく積み上げられて、
緻密な関係性を築いた結果が
「今」 へと結実している、
連続的なもの
と思っているのですが、今作においては
7歳時の 《 3番目 》 とい1点 と20歳時の 「今」 。
この2点しか制作者の配慮がなされていない、
非常に薄っぺらい印象を持ってしまったのです。
7歳時のエヴァンの 「小さな蝶のはばたき」 が、13歳時のとてつもなく大きな2つの不幸までもをカバーする 「台風」 になったと言うのでしょうか?
少なくともボクには、そんな大きな効果が実感できる是正とは思えませんでした。
そしてボクの今作に対する期待が、残念ながら空振りに終わってしまうことを確信したのが、 「第2の人生」 において
【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】
によって、エヴァン が犯罪人として投獄されてしまい、
その窮地から逃れるための
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】
を行使する方法にあったのです。
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を司る 日記帳 を奪われた、スリリングな奪還劇の中で、迫り来る攻撃者を瞬時でかわしながらの タイムリープ は大いにスリリングで、その展開を楽しみはしました。
でも、
「時間」 という概念を、
一つ一つの 「瞬間」 が、時間軸に沿って積み上げられた膨大な
「積み木構造」 である
と思い込み、 「記憶喪失ポイント」 の順列を意識してきた者としては、今回の移行がドサクサ紛れの無計画なタイムリープであったことに苛立ちを覚え、しかも、行き着いた先が、よりによって最後の 「記憶喪失ポイント」 となる
13歳時 《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》 であったことに、
大いに失望してしまったのです。
《 6番目 》 へと一気に移行してしまったということは、スルーされていった
《 4番目 ・ 精神障害の父親からの殺意 》 と
《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》 の
「記憶喪失ポイント」 に、 エヴァン は必ずこの後タイムリープをし、何らかの是正処置を行うことが容易に予測がついてきます。
そして 「時制的に新しい」 《 6番目 》 は、 「積み木構造」 の土台となるこの 《 4番目 》 や 《 5番目 》 で行われる是正によって、その様相を大きく変えてしまうことが予見できてしまっているのです。
ですから、そんな脆弱な 《 6番目 》 を、こんな早い順番に提示しても、
誰が真剣に観るというのだろうか !?
という疑問に苛まされてしまったのです。
やっぱり今作の制作陣は、 当該 「記憶喪失ポイント」 と 「現在」 という2つの 「時制」 にしか注意を払っていないようなのです。 少なくとも、
「時間」 という概念を、
一つ一つの 「瞬間」 が、時間軸に沿って積み上げられた膨大な
「積み木構造」
だなんて思ってないことだけは、確かなようです。
ボクは今作に対してもう少し
「時制」 を考慮した理論的な展開
を期待していたのです。
例えば、
《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》 という 「記憶喪失ポイント」 から
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を開始して 「ケイリー の自殺」
を回避したのなら、
そのアドバンテージを保持したまま、 新たに発生した 「エヴァン の投獄」 を削除
するために、次の 「記憶喪失ポイント」 となる
《 4番目 ・ 精神障害の父親からの殺意 》 に移行。何らかの是正処置によ
って、 「エヴァン の投獄」 を削除し、少しづつ 「主人公の目的」 (ケイリーや
身近な者を救う) に近づけていくという展開を期待していたのです。
そして当然のことながら、ここでも、どうしても生じてしまう
【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 によって、時制的に次なる
《 5番目 ・ ダイナマイトによる甚大なるいたずら 》 に移行して
「ケイリー の自殺」 や 「エヴァン の投獄」 のリスクを制御しながら、新たな元凶
を削除する。 しかしそれでもまた、「主人公の目的」 は遂行できずにやっと最後
である次の
《 6番目 ・ 愛犬の焼き殺し 》 でほぼ 「主人公の目的」 は達成する
という構造を期待をしたのです。
ついでに言うと、タイムリープは 《 3番目 》 という順番から始めていきましたので、まだタイムリープをしていない、そして 《 3番目 》 より 「古い時制」 で、 「積み木構造」 の土台となる
《 1番目 ・ 殺人の絵 》
授業中に発生。
「ナイフで人を刺し殺した絵」 を無意識のうちに書いていた
《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
自宅で発生。
キッチンで包丁を (殺意ありげに) 持っていた
への是正によって、今まで築き上げてきた 「新しい時制」 である
《 3番目 》 ~ 《 6番目 》 で得られた成果が揺らぎながら、
思いもよらないラストが待ち受けているはず。
と 「是正の集積」 と 「突然の転調」 による珠玉の結末までを、密かに夢見ていたのです。
妄想を告白したついでに、最後までボクの満たされるはずも無かった 「妄想」 に付き合って頂きましょう。
わかりやすく極端な言い方をすると、こんな構成を夢見ていたのです。
20歳現在 「ケイリー の自殺」 に対して
↓
元凶となっていた 7歳時 《 3番目 ・ いかがわしい撮影 》 に
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用して タイムリープ。
「ケイリー の自殺」 の元凶を排除
↓
「第2の人生」 が始まる。
「主人公の目的」 (ケイリー や身近な者を救う) が達成できたと思いきや、
【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が発生。
エヴァン が投獄されてしまう。
(ここからボクの勝手な妄想が始まります)
↓
「ケイリーの自殺」 を回避したまま、「エヴァン の投獄」 を削除する為
次の4番目の時制 7歳時 《 4番目 ・ 精神障害の父からの殺意 》 に
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用してタイムリープ。
「エヴァン の投獄」 を回避する。
↓
「第3の人生」 が始まる。
「主人公の目的」 (ケイリーや身近な者を救う) が 達成できたと思いきや 、
【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が発生。
何らかの不幸が発生する。
↓
「ケイリーの自殺」 と 「エヴァンの投獄」 を回避したままその元凶を削除する為
次の5番目の時制 13歳時 《 5番目 ・ ダイナマイトによるいたずら 》 に
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用してタイムリープ。
何らかの不幸を回避する。
↓
「第4の人生」 が始まる。
「主人公の目的」 が達成できたと思いきや
【 振り出しに戻れ型 「映画のルール」 】 が発生。
またもや何らかの不幸が発生する。
↓
今までのリスクを全て押え込みながら、その元凶を削除する為
次の時制で最後となる 13歳時 《 6晩目 ・ 愛犬の焼き殺し 》 に
【 ストーリー推進型 「映画のルール」 】 を活用してタイムリープ。
最後の不幸を回避する
↓
「第5の人生」 が始まる。
やっと 「主人公の目的」 を達成し理想の形になる。
しかし、だ。 まだ活用されていなく、「古い時制」 である、
「積み木構造」 の土台となっている 「記憶喪失ポイント」 、
7歳時 《 1番目 ・ 殺人の絵 》
授業中に発生。
「ナイフで人を刺し殺した絵」 を無意識のうちに書いていた
と
7歳時 《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》
自宅で発生。
キッチンで包丁を (殺意ありそうに)持っていた
の存在によって
↓
急転直下な終盤が展開される !!
といいな.......。
と 極論を言うと、このような 「積み上げ修正型」 の理論整然とした謎解きを夢見てしまったのです。
でも、今作は、緊密で有機的な時間の絡み合いを放棄をし、タイムリープの先々でやらかした失敗のフォーローに終始。ちっとも前に進んでいかないのです。
無計画な行き当たりばったりのタイムリープを繰り返していくうち、映画自体も無配慮で薄っぺらなものになっていってしまいました。
この非常に残念な思いを持ちながらの鑑賞となったのですが、その後に続く杜撰な構成にはほとほと呆れ返ってしまいました。 ちゃぶ台返し的な特権を与えることができる、
7歳時の 《 1番目 ・ 殺人の絵 》 と
《 2番目 ・ キッチンでの包丁 》 が
オープニング早々に視聴者の興味を持続させるだけのツールでしかなく、ストーリーを語る上で全く活用されていない愚行に亞然としてしまったのです。
この行為は誠実に鑑賞をしてきた者に対しての
「裏切り」 としてボクは受け取りました。
タイムリープを扱うのであれば、その推進役となった 「記憶喪失ポイント」 を無駄に消費するのではなく、もっと真摯に向き合うべきだと強く主張をしたいと思います。
でも、今作にこのような姿勢を求めても全く無駄のようでした。
何故なら、前述のようにうまく活用されていない 「記憶喪失ポイント」 が放置されたままであったり、逆に、 《 第3番目 ・ いかがわしい撮影 》 に対しては 違う目的で2回に渡って戻り、いじり回した挙句、2回目の是正措置は オマヌケな失敗 (苦) で終わってしまうし.....。
最後の 《 初めての出会い 》 に至っては 今まで秩序としてきた 日記 とか 「記憶喪失ポイント」 はどこかに忘れ去られて、言わば、ご都合主義的な タイム・リープ によって、絶対絶命の境遇からまんまと脱出をして行ったのです
ガッカリだな.......。
構造的な落ち度の数々の次には、感情的な面についての不足分を指摘していきます。
今作の 「目的」 は不幸な人生を送り、自ら命を絶ってしまった 幼馴染のケイリー を救うことでした。
しかし、7歳時と13歳時に濃密なエピソードを共有し、サイドミラー越しの 悲しい別れを提示しておきながら、その ケイリー と20歳時になるまで音信不通であったという設定には、ボクは強い拒否反応を起こしてしまいました。
7歳時と13歳時の種まきが、20歳時の今に有機的に反映されていないことに、またもや強い違和感を感じてしまったのです。
そもそもはその程度の思い入れしか ケイリー に対して持っていなかったくせに、自殺という局面に一転して、急に ケイリー を救わなければいけないと思い立ち 【 推進型 「映画のルール」 】 を駆使しだす。
そんな行き当たりばったりの薄っぺらい動機が見えてしまったのです。
せめて、ケイリー を大切に思っていたが、何らかの理由によって会えなかった、もしくは会うのを差し控えていた。という、配慮が欲しかったと思います。そうすればラストの エヴァン の哀しみがもっと増幅して心を打ったことでしょうに.......。
また、極私的な印象としては 「幼児ポルノ」 や 「刑務所での暴力・男色」 というダークな側面は避けて欲しかったと思います。また、暴力的な描写や性描写を意図的に持ってきた点についても同様の思いです。
結局は、今作の終結方法は、「初恋の人を守るために自分の存在を消す」 という純粋なペシミズムの世界に昇華していくわけですから、暗黒面の提示はメリハリを作りはしたが、ストレートな感情発露の大きな邪魔になったとしか思えてなりませんでした。
残念ながらボクは今作に対して
構成的な面でもっと知的で緻密なパズルにして欲しかった
感情の面で エヴァン と ケイリー の絆を丹念に描いて欲しかった
純粋な世界観を照れずにストレートに打ち出して欲しかった。
と率直に思わずにはいられなかったのでした。
もしボクが今作の序盤にタイムリープすることができるとしたら、今作のカメラオペレーターの腕を引っぱって、坂道を疾走してくるMTBの少年に強引にパンニングをさせたことでしょう。
ボクのこの 「小さな羽ばたき」 が
構成面での緻密なパズルを描き、
感情の醸成を実現し、
爽やかな印象のまま、あの心に響くエンディングに行き着く
という 「大きな台風」 となってくれるなら、
喜んでトライしたことでしょう。
もう一度言おう。
■ 「 小さな蝶の羽ばたきが、地球の裏では台風を引き起こすこともある 」
このカオス理論の言葉にインスパイヤーされた今作のプロットは良い。
■ オープニングのタイトルもイマジネーション豊かで秀逸な出来だと思う。
■ エンディングも非常に情感に訴えるものがあった。
しかしだ、この素晴らしい要素を結びつけるディティールの数々が、ボクの期待をことごとく裏切っていってしまったのです。
実に、 実に 惜しい映画でした。


スポンサーサイト