通勤時間に、ポータブルDVDを活用しての通勤快速内鑑賞を、ウインドウズタブレットで執筆を行っています。 鑑賞中の直感的な感想をツイッターで 「実況」 → 鑑賞後、作品を俯瞰して 「未完成レビュー」 → そして推敲して 「完成! レビュー」 へと3回の過程を経て完成させていく様をご覧くさい
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完成! 「ゴッドファーザー PARTⅡ」 
2010-12-12 Sun 14:11
          ゴッドファーザーPART2                  








2代目・マイケル の “その後” と、 父親・ヴィトー の “若かりし日” が 交錯し、
この二つの時代を横断する



       「感情似 ― 似ている点」  と 
        「環境違 ― 違点」



   が絡み合いながら、“成長と成功” を堪能できるもの、 と期待していました。



しかし、


     「感情相似 ― 似ている点」  は跡形も無く消え去り、
     「環境相違 ― 違点」     のみが強調され、
     れなほどの格差          に苛まされることになります。




第一作目からの感情を断ち切るような 「2代目・マイケルを過酷さ」 と、
2つの世代を縦横無尽に行き来する見事な 「2つの時制ラビリンス」 が、    

    

  今作が第一作目とともにアカデミー作品賞に輝いた要因だ、と断言します。


     

           に、残酷芳醇逸品だったのです。








前作 第1作目の 「ゴッドファーザー」 において、2代目を継いだ 

        マイケル の その物語” と、



一代で ”ファミリー” を立ち上げた マイケルの父親

        ヴィトー の “若かりし物語” がリンクする、




          非常に意欲的な構造を今作は成しています




そんな今作のファーストカットは、トランペットの哀愁を帯びたメロディと共に、ゴッドファーザーとしての役割を “物憂い” 表情で行っている 二代目・マイケル を映し出してきたのです。

この時点で、ボクは

          今作性向察知

                         するべきだったのです。


ファーストカットからして、 マイケル は


          “物憂 表情  という、


                        判りやすい態度でいてくれたわけですから。





【 父親・ヴィトー の大帝国を引き継いだ 三男・マイケルの “その後の物語”
 
           と

  父親・ヴィトー の “若かりし日々” がリンクしてくる。 】 




そんな今作のプロットから推測して、ボクは、二つの時代に展開していく “成長と成功” を体感できるものと、
 

           きな勘違

                       をしてしまったのです。




  一方は、“成長と成功” を獲得していくが
 
                      他方は真逆の悲惨な状況に陥っていく。    
 


                                   
            今作はそんな、過酷な展開をしていったのです。





この皮肉なストーリーを今作は、ある “象徴的なモノ” に託してタイトルバックに
結実させていたのです。


             “象徴的モノ”   それは、


マイケル が座っていた


             書斎の 重厚椅子



その年季の入り具合から、先代・ヴィトー の時代から使われ続けている物だと推察することができます。

先代・ヴィトー の様々な局面を身近に見守ってきて、これからの 2代目・マイケル の諸行を目撃していくこの椅子こそが、


          2世代物語俯瞰していく


                今作のタイトルバックに、最適な被写体であったのです。



しかも、椅子というモノが暗示する事柄を考えると、その想いはひときわ重くなるのです。


   椅子が暗示するもの 


               それは、 「地位」 。 
 



  若かりし ヴィトー  が如何にしてこの 「地位」 を築き、
  若き   マイケル が如何にしてその 「地位」 を保つために、悲惨な人生に
              堕ちていくのか。


そんな今作の世界観を象徴するこのタイトルバックに、
                  ボク は早々に映画的興味を駆き立てられたのです。




この素晴らしいオープニングショットの後、
映画は ヴィトー 9歳時の過酷な運命を語ってきました。

辛い経緯の後、シシリー島を追われるように彼は、9歳の身で単身アメリカに逃れてくるのです。



   移民船がニューヨークに近づき、デッキの移民たちが無言で一つの方向を
   見つめている。

   勿論、幼きヴィトーもいる。

   その視線の行き着く先に、 自由の女神 が静かに姿を見せてきたのです。



この映像を、郷愁を湛えた音楽が包み込んでいきました。 
「不安と夢」 が混ざったこの船上に、自分の命を守る為に9歳の男の子がいることに、


        いしれない しさ

                        を感じたのです。



検閲官に名前を聞かれ、ヴィトー が英語を話せないでいると、
 “コルレオーネ村の ヴィトー・アンドリーニ”  という名札を誤解され、
台帳に ヴィトー・コルレオーネ と記入されてしまいます。これが彼の本名となっていきました。


それだけ、この9歳児は アメリカ大陸においては 


                       
          “何もできない存在” だったのです。
 

 
 

今作は、天然痘の疑いでエリス島に隔離された収容所の窓越しに、 ヴィトー 
が自由の女神 を虚ろに眺めている 


1901年  から   オーバラップ ” という技法を用いて、  もう一つの時制、
 
1958年  2代目・マイケル の時代に、移行 していきました。




“ オーバーラップ ”
  という技法は
               「 A 」 → 「 B 」 と場面が移行する際、
 

       先行する   【 カット 「 A 」 】  が徐々に薄くなるや、

       次なる      【 カット 「 B 」 】  が現れ始めて、



                   2つのカットが重なりあいながら
                   ゆったりと場面移行をしていく表現手法を指します。  


この手法を今作は、


      「 A 」 でじた 感情 を 持続 させながら、 
            
      「 B 」 という   状況 に 移行 するに、


                              効果的に活用しているのです。



9歳時の ヴィトー からの “オーバラップ” 先 は 同じ年頃の アンソニー・ヴィトー・コルレオーネ のキリスト教儀式の場でした。 名前に ヴィトー の文字がある通り、彼は ヴィトー の孫、マイケルの息子にあたる少年なのです。


  英語が話せず、孤独で不安、粗末ないでたちの ヴィトー と、
                          キレイに着飾った孫の アンソニー

  その後の、盛大な聖餐会をしてもらえる アンソニー と 
                          一人寂しく隔離されている ヴィトー 


このように、

    年頃  ではあるが、
    う環境   にいる     二人の、


            57年間の 大きな隔たりを繋ぐ “オーバーラップ” の見事さに
            感動したのです。



この “オーバーラップ” の素晴らしさに触れて、ボクは、早くも今作の ”映画のルール” を見つけた思いになったのです。  それは



   【 父親・ヴィトー と 2代目・マイケル の時代は、
    
     二つの時代に共通する要素を 「ブリッジ」 にして、 
                    
                          “オーバーラップ” で繋いでいく 】


                                         
                                       というものでした。




そして、このような “ルール” で活用されていく “オーバーラップ” という
表現手法は、 2つの時代に共存している


      似」  ―   かよっている       
      違」 点 ―   いがハッキリしている  の

  
                     コントラスト をしっかりと描いていくはず。
 


                    とこの時点のボクは 大きな期待を持ったのでした。





2代目・マイケル の時代に今作のストーリーを推進していく事件が勃発しました。
あろうことか、マイケル の自宅にマシンガン攻撃がなされたのです。 
驚愕する マイケル 、騒然とする “ファミリー” の面々 。 平静を装って子供を寝かし付ける彼の横顔に


         “オーバーラップ” してくる

                          青年の姿がありました。



時は 1917年   ヴィトー 25歳。  

今作は1児の父親となっていた ヴィトー の時制へと “オーバーラップ” していったのです。

9歳の時、自分の名前を主張できずに ヴィトー・コルレオーネ という名前になってしまった、あの何もできなかった孤独な少年が ロバート・デ・ニーロ に成長していたのです。


今回の時制移行が、それ以降の “オーバーラップ” 表現の指針となったわけですが、
この、2代目・マイケル と デ・ニーロ 演じる若かりし日の 父親・ヴィトー の2つの時制を結ぶものが
 

   寝室を銃撃された直後、マイケル が息子を気遣いながら寝かし付ける

         「父親の顔」  と 


   デ・ニーロ 演じる ヴィトー の、ベビーベッドにいる 長男 を見守る

         「父親の顔」  への

      
              “オーバーラップ”   となっていたのです。 



時代は違えど、子供を気遣う 普遍的な感情 を見て、心が暖かくなっていきました。
これがボクの言う


     ―  かよっている  を


                          象徴するカットだったのです。




  しかも、 “似通っている点” の中でも、 “人の想い” に注目していることから、
  今作は


    
  【 「感情の相点」 - 時代は違えど、共通する 人の想い -  を

     「ブリッジ」 にして2つの時制を  “オーバーラップ” で繋いでいく 】



          という、映画のルール によって進行するものと、思い込んだのです。





2代目・マイケル の時代に 今後の展開を占う、重要な人物が登場してきました。 父親・ヴィトー の世代から取引がある マイアミの大物 ロス という人物で、マイケル はこの ロス なる人物が


          自分達わさせたのでは、


                           と疑い始めていきます。


しかし、マイケル は、その ロス と、キューバのハバナにカジノを設立するという大きな事業を始めていたのです。そんな疑念を胸に抑え、ハバナで ロス と行動を共にする マイケル ですが、その中で ロス に利用されている人物がファミリー内にいることを察知するのです。

その内通者が誰あろう、


             自分の フレド
 

                           であったのです。


フレド は ヴィトー の次男で
 
  ( 長男の ソニー は第一前目 「ゴッドファーザー」 で射殺され、
    マイケル は三男 )

およそ、コルレオーネ家の者とは思えない おマヌケ、ダメ男キャラなのです。


この事実に対して マイケル は、老練の ロス と実兄の フレド に対してどのような処置を行うのかを見守っていたら、何と、唐突に


           キューバ革命勃発  したのです  

                  (すごい展開)



動乱の中で ロス  の殺害に失敗をし、
混乱の中で フレド は マイケル を恐れて逃亡。

                  という散々な結果になったのです。



しかも、アメリカに戻ってきた マイケル に次なる不幸が襲い掛かります。
ハバナに留守中の間、奥さんが流産をしてしまったのです。



命を得ることができなかった自分の子供を思い、落胆の表情をうかべている マイケル から、どうやら “オーバラップ” されて、 デ・ニーロ 演じる ヴィトー の世界へと移行していくようです。

と、その時、気付いたのです。 


ボクは今作の主人公であるところの、


     二代目・マイケル のストーリーよりも、
     若き日の父親・ヴィトー の物語を



                         っしていたことを。



マイケル のストーリーを追いつつも、心のどこかで、 
早く “オーバーラップ” が始まって ヴィトー の世界に移行することを願っている自分を発見したのです。
何故だろう?  この問いかけを胸に、中盤以降の鑑賞を続けていったのです。




マイケルの、生まれ出ることがなかった子供を思う落胆の表情から
“オーバーラップ”
 されていく ヴィトー の表情も、 


    「感情の相似」 ―  かよっている    のルールの通り、


                          マイケルと同じく、沈みがちなものでした。



今回の ヴィトー の表情は 次男・フレド が原因となっていました。
前回は子供が、長男・ソニー 一人きりでしたから、今回の ヴィトー の世界への “オーバーラップ” は、前回の時制から数年経過したことがわかるのです。

そんな時間の経過を表すとともに、この1920年代の 赤ちゃんの フレド は、1958年現在の 次兄・フレド が、家長たる 三男・マイケル の不興を買って 微妙な “困ったちゃん” 状態だったことを思い出させてきたのです。  そこには

  肺炎にかかり民間療法を嫌がり泣く姿が提示されてきたのです。

フレド は赤ちゃんの頃から脆弱で厄介な存在であったようなのです。
そして、そんな憐れな次男を、耐え切れない表情で見守る ヴィトー がいるのです。

その瞬間、気が付いたのです。   そうなのです。  これなのですよ。
ボクが 今作の主人公 二代目・マイケル よりも、若き父親・ヴィトー に気持ちが惹かれてしまうのは、 


彼の
       人間味溢れる側面
                          に魅了されていたからなのです。



前回の ヴィトー のシーンにおいても、盗品カーペットの上に、赤ちゃんのソニー を立たせて、ささやかな幸せを喜ぶことができる ヴィトー をボクは微笑ましく見ていたのです。

そして、

  9歳時の、何もできなかったあの子供が、
  親の愛情に触れることがなかった憐れな少年が、

          やがて結婚をし、子供を慈しむ大人に成長していたのが
 


             しかったのです。





しかし、ヴィトー の世界を見守るボクの気持ちの中には、もっと複雑な感情が芽生えたことも事実ではあったのです。

それは、第1作目の 「ゴッドファーザー」 において、老年となった ヴィトー が


       農園えたことをめ、 


                目撃

                            していたことが原因となっています。



ボクは、ヴィトー 9歳の初登場シーンの時点において、彼の死を どうしても意識してしまっていたのです。
そして、立派になった ヴィトー の 成長を喜んでも、彼の終焉の光景が ついて回っていたのです。


ましてや、そんな ヴィトー を嬉しがらせた、生まれたばかりの ソニー に至っては、
第1作目 「ゴッドファーザー」 において抗争の果てに惨殺され、老年となったヴィトー がその死を悼み


       しみにちひしがれる姿


                  目撃

                            してしまっているのです。



全ての人に訪れ、逃れることができない 「死」 、 そんなものが、ヴィトー の物語に特別な感情を付加していたのです。

9歳時の哀れな ヴィトー  と 、 農地で息を引き取った彼の最期。 

この両面を見てしまった者としては、青年・マイケル が 第1作目 「ゴッドファーザー」 の経緯を経て、二代目の1959年の今を生きる姿より、 どうしても、デ・ニーロ ヴィトー の


         人生深遠さに

                        関心が移ってしまったのです。






そんな デ・ニーロ ヴィトー が登場して、第2回目となる今シークエンスにおいて、
彼の人生に


         きな転機  が訪れます。



裏稼業の障壁である地元のマフィア、 ファヌッチ という人物を殺害することになるのです。
そして、コトを終えて帰宅した彼を迎えたのが “3人の息子” だったことに、ボクは大きな意味を感じたのです。



  何故なら、裏稼業に立ちはだかる きな障壁排除した この時点で、
  三男の マイケル が         まれていた        ことによって、




若き父親・ヴィトー と 1959年の 2代目・マイケル の間に、


        違」 ―  いがハッキリしている 


                    が生じてきたことに気付いてしまったからなのです。



「相違」 ― 違い  は 2つ発生していたのです。まずは1つ目

    2代目・マイケル が流産によって子供を失っていた一方で、 
    若き父・ヴィトー には 次男・フレド、そして、自分を継ぐことになる
    三男・マイケル が誕生しているのです。

そして、2つ目

    若き父・ヴィトー は障壁となっていた 地元のマフィア ファヌッチ の殺害に
    成功するが、
    2代目・マイケル は 自らを襲撃した マイアミの ロス の殺害に失敗して
    しまうのです。




この2つの 違」 ―  いがハッキリしている  が、


     父・ヴィトー と 子・マイケル の間に横たわる、


            きな 違」 の
 

                         始まりとなっていったのです。







終盤、自宅襲撃、ハバナでの混乱、流産 と、不運続きの マイケル に新たな災難が振りかかります。
暗殺し損ねた マイアミの ロス の反撃にあって、


    “政府の公聴会” という場において
 
               マフィアボスであることの追及

                               が行われたのです。


この局面において、家族 を、そして “ファミリー” を引きいていくことの憂いを滲ませた マイケル の横顔 から、念願の ヴィトー の時代に “オーバーラップ” していったのです。



      「 子宝に  ―   まれる  ⇔  まれない  
      「 障壁を  ―   排除した  ⇔  排除できない  




という2つの時代の  違」 ―  いがハッキリしている   が提示された直後の今回の時制移行は、



    【 2つの時代に 普遍的 にある

      感情の相 ― かよっている 人の

      を 「ブリッジ」 にして “オーバーラップ” によって
移行する 】 
 


               と思い込んでいた今作の “ルール” が崩れていったのです




何故なら、憂いた マイケル の表情から “オーバーラップ” されていった ヴィトー は、いたって普通の表情でいたのです。 


この表情の違いを観てボクは、父・ヴィトー と 子・マイケル が共有していた、


     していた感情」 ―  かよっている  は

                    消滅 
をし、



    逆に ヴィトー と マイケル を取り巻く “環境” に大きな差異が生じ 始め


     する環境」  ―    いがハッキリしている  が  


                          クローズアップされる
                          予感 を持ったのです。



そんな予感を振りまいた今回の ヴィトー のシークエンス終わりは、彼の初めての会社を立ち上げて、“ファミリー” の基盤を築いた充足感に満ちた場面だったのです。
この象徴的なシーンから マイケル の時代に “オーバーラップ” していくのですが、

もはや
 

    「感情の相似」 ―  ている   消滅し、
    「環境の相違」 ―  いが       強調されていく予感の  

                                       今作において 



   初代・ヴィトー のように、 “成長 と 成功 ” に満ちた表情で、
   2代目・マイケル に “オーバーラップ” していくことはない。

   と思いながら観察していくと、 次なる マイケル が置かれた舞台は 


     非常にシリアスな場面。


                政府による、公聴会の現場 であったのです。






公聴会という危機を脱する過程において マイケル は実兄の フレド を排斥し、
妻の ケイ には家から去られてしまいます。
決定的だったのは、ハバナの動乱中に流産した子供が、実は妻の ケイ によって堕胎されていたという事実でした。

「あなたの子を この世に生みたくなかった」  と言われて激高するマイケル。
兄弟という関係の解消、 妻からの憎悪 という、

彼を支えていた

         「絆」 が急激

                       崩壊 し始めていったのです。



この決定的に 負 の方向に陥っていく マイケル の人生とは対照的に、今作は待望の ヴィトー の時代に “オーバーラップ” し始めるのです。 
 

いや、います。


          “オーバーラップ”

              
      しなかった のです。
 

 
“ オーバーラップ ”  という技法は
     「 A 」 → 「 B 」 と場面が移行する際、
  

     「 A 」 という “感情”  継続 させながら、 
     「 B 」 という ”状況”  移行 していく


                     今作においては、効果的に使われているのですが、


この局面に至って今作は 


2代目・マイケル の (陰鬱  “感情” を継続させながら、
初代・ヴィトー   の (成功  “状況” のには移行することが


                     
                      ない。
 


                                      という宣言を、



         制作者文脈においてなされた。

                                      と理解したのです。




今回は “オーバーラップ” が活用されなかったのですが、それに代わってどのような表現手法になったかと言うと、  単純明快な “カット繋ぎ” となっていたのです。


  「マイケル の時代と ヴィトー の時代には関連性など全くありません。」 
 

                                 と態度を急変させるように、



  何の加工処理も施されない、単純明快な “カット繋ぎ” に代わっていたのです。

 
( 注  2つの時代間の移行方法は全て “オーバーラップ” によるものではなく、
     1 部において “カット繋ぎ” が採用されていました。
     しかし、今回の “カット繋ぎ” だけは他のものとは違い、上記のような
     特別な狙いを感じたので、それを強調するような文章表現となっています。
     また、 これ以降にも “オーバーラップ”  が再び登場してはきますが、
     もはやその時点においては 映画のルール の効力を失っていたのです。 
     しかし、この 映画のルール は、エンディング間近に非常に大きな効果を
     発揮してきたのです。  )




陰鬱な マイケル の世界をスパッと断ち切るように、ヴィトー は太陽算燦々の生まれ故郷である シチリア に、錦を飾りにやって来たのです。


  ヴィトー の一時帰郷は、ある一つの目的に集約されていたのでした。

  思い出しました。彼が9歳の時、

  何故、 生まれ故郷を後にしなければならなかったのか、  を。



           それも、たった一人で ............。




地元のマフィアに家族全員を殺害され、彼自身も命を狙われたからこそ、逃げるようにしてアメリカ移民の船に潜り込んだのです。

  彼は復讐の為にシシリーの地にやって来たのです。




過酷な運命を強いてきた地元のシシリーマフィアを殺害する ヴィトー ですが、それは、

      殺された家族、そして、
      自分への仕打ちに対する復讐

                          には違いないのですが、


第1作目の 「ゴッドファーザー」 と、続編となるこの 「ゴッドファーザー PART2」 を鑑賞してきたボクの頭の中には、



           大きな妄想 


                      
展開されていったのです。



この ヴィトー の復讐は、彼をシシリーから追い出し、その結果、彼をアメリカのマフィアにならしめ。
それ故、第1作目 「ゴッドファーザー」 においては 長男・ソニー が抗争によって殺害され、、
この続編 「ゴッドファーザー PART2」 に至っては、1959年、2代目・マイケル が
その地位を維持するために、人間として大切な一切を失ってしまう悲劇
までをも含めて、


    コルレオーネ・ファミリー という マフィア であるが故に直面する


    ての “不幸” にする
     
               根源的復讐  だったのだ



                              という思いに駆られたのです。



ヴィトー の復讐劇は、長男・ソニー や 三男・マイケル はまだ子供でしかない1920年代の出来事なので、未来の1950年代に対する復讐、なんていう妄想は現実味があるはずもありません。
しかし、今作のように、時制が縦横無尽に行き来する構造の作品においては、


        えて、「時制カオス」 の

                       んでみる主義  ですので、



       どうしょうもなく、こんな不条理な感覚を得ることができたのです。



この
   「瞑想ラビリンス」 は            
                     久しぶりに味あうことができた極上の境地であり、

ボクは個人的に
         きな満足感


                     得ることができたのです。




積年の思いを果たした ヴィトー は列車の上で 三男・マイケル を抱いて、見送りにきた人々に手を振ります。およそ20年前、惨めに故郷を後にしなければならなっかた


       自分姿復権させた

                       らしさにちた表情で。 




こうして ヴィトー の 物語は “自らのオトシマエ” を付けて終わりを告げていきました。 今は裏家業においての小さな存在ではありますが、


        過去呪縛った

                        この出来事をキッカケにして、


一大コルレオーネ・ファミリーを育て上げるサクセスストーリーが展開していくのでしょう。



片や、2代目・マイケル のラストのシークエンスは、疑心暗鬼の末、ダークな面に身をやつすことになるのです。 
公聴会で反旗を翻した裏切り者や、敵対していたマイアミの ロス を殺害し、粛清の嵐を巻き起こしていったのです。その動きに加え ロス に利用されていた実兄の フレド を マイケル は、あろうことか、



          射 殺 
                      (えッ  !!...     ?)  




危険な予感がする全てのモノを排除し、自分の立場を維持するために自らの兄貴まで殺す。   そんな マイケル の姿を見て、


   常軌を逸した 孤立感 に苛まされて、
                          
          彼の精神が 「崩壊」 をきたしていたことを



                               初めて知ったのです。



凄まじいほどの虚無感に包まれた マイケル の佇まいから 今作は最後の
 “オーバーラップ” を企てていくようです。


 “ オーバーラップ ”  という技法は
       「 A 」 → 「 B 」 と場面が移行する際、
  

       「 A 」 という “感情” を 継続 させながら、 
       「 B 」 という ”状況” に 移行 していく



                今作においては、 効果的に活用されていた技法ですが、




今作がこのような  プチ 「地獄黙示録」”  とも言うべき
 

        モラルの倒錯、 精神崩壊


                           の異常局面にあって、


コッポラは一体全体

           この “感情” を 

           どの “状況” に

                          いでいくなんだ ?! 



と混乱気味に事の成り行きを伺っていたら、
                 何と、 今作は極上の時制に飛んでいってくたのです。



いきなり 今は亡き 長男・ソニー に繋いできたのです。  


  

      ビックリ しました。





このシーンはどうやら 第1作目 「ゴッドファーザー」 の数年前 というところでしょう。
ヴィトー の誕生日を祝うファミリーパーティの為、家族全員で ヴィトー の帰宅を待っている場面になります。

長男・ソニー は陽気で喧嘩っぱやく、この家族の若きリーダーとして振舞っている。
三男・マイケル はまだ大学生で 第2時世界大戦に志願したことを家族に告げている。
ソニー が マイケル の入隊志願に立腹し、それに対して意固地な態度を取る マイケル は、 今日のこの日、父親の 誕生日を祝う雰囲気をブチ壊し にしているのです。

そんなタイミングで誕生日の主人公 ヴィトー の帰宅の気配。

長男・ソニー、次男・フレド、妹・コニー、母親、顧問弁護士のトム 等、ファミリー の全員が 父親・ヴィトー を出迎えるためにダイニングを出て玄関に向かって行きました。

唯一人、マイケル を残して。


賑やかだったけど、今は寂しい食卓に、ポツン一人で座っている マイケル。
ちょっと離れた玄関では、ヴィトー の誕生日を祝う歓声が上がっている。



    しかし マイケル はただ独りで 座っているしかないのだ.......。 





このシークエンスは 多くの感情を訴えてきたのです。


長男・ソニー

陽気で人情家の親分肌。かなり血の気が多いけど心底、父親・ヴィトー を慕っていることがわかります。 2代目を彼が継いだら、父親の経験値を生かして、きっと良いリーダーになったことだろうな、と思わせてきました。


次男・フレド 

海軍へ志願した マイケル に向かって 「偉いよ、おめでとう」 と握手を求め、
唯一人、彼の志を評価している。
そうなのだ、 この男は ダメキャラではあるけど、人の気持ちがわかる、優しい兄 だったことが、ここでわかるのだ。
そして、このシークエンスは 長兄・ソニー の良き “じゃれ合い仲間” として描かれており、ソニー が2代目を継いだ時の、組織の良き “緩衝役” になれそうな思いも持ったのです。


三男・マイケル 

長男・ソニー がリーダーとなって 父親・ヴィトー を祝う場面に去ってしまい、彼の近くには誰も残っていない、この光景は、



        父親・ヴィトー  の  “人ける力”  と,
        長兄・ソニー   の  “人っていく力” 。
   そして、  三男・マイケル の  “人けない資質” 



                            の 露呈 に他ならなかったのです。



       これは、


              残酷すぎる現実  


                           
だったのです。


 

2代目・マイケル は彼なりに 組織を維持することに腐心し、家族を愛していたはずなのに、 第1作目 「ゴッドファーザー」 よりも前のこの時制において、 既に2代目としての資質が無かったことが提示されていたのです。

ダイニングで一人でいる孤独な様が、この十数年後の 「ゴッドファーザー PART2」 における、惨めな現在の彼の姿とリンクしてきたのです。 大切な一切を無くしてしてしまい、

居所を無くしてしまった彼の 魂 が戻っていける唯一の場所が 

 

       する感情」  に包まれた


                      このダイニングでのシーンだったのでしょう........。



長男・ソニー は銃殺され、母親 も他界。 妹・コリー とは彼女の男関係で対立し、顧問弁護士のトム はマイケルの専横ぶりに気持ちが乖離。そして、次兄・フレド はマイケル本人が殺させた........。

組織を背負い、その重圧で精神に異常をきたし、大切な一切のモノを失う男の末路を、
遥か前の時制において、そして、全く違うスチュエーションに託して多面的に訴求。
そして、“資質” という、本人には如何ともし難い要因を突きつけてきたところに、



       しみをえた、

       れみ            を感じ、


                   


          ボクの感情は大きく揺さぶられてしまったのです....。







2代目・マイケル の “その後” と、 父親・ヴィトー の “若かりし日” が 交錯し、
この二つの時代を横断する



       「感情似 ― 似ている点」  と 
        「環境違 ― 違点」



   が絡み合いながら、“成長と成功” を堪能できるもの、 と期待していました。



しかし、


     「感情相似 ― 似ている点」  は跡形も無く消え去り、
     「環境相違 ― 違点」     のみが強調され、
     れなほどの格差          に苛まされることになります。




第一作目からの感情を断ち切るような 「2代目・マイケルを過酷さ」 と、
2つの世代を縦横無尽に行き来する見事な 「2つの時制ラビリンス」 が、    

    

  今作が第一作目とともにアカデミー作品賞に輝いた要因だ、と断言します。


     

           に、残酷芳醇逸品だったのです。









          ゴッド2 




          
          ゴッド3
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