通勤時間に、ポータブルDVDを活用しての通勤快速内鑑賞を、ウインドウズタブレットで執筆を行っています。 鑑賞中の直感的な感想をツイッターで 「実況」 → 鑑賞後、作品を俯瞰して 「未完成レビュー」 → そして推敲して 「完成! レビュー」 へと3回の過程を経て完成させていく様をご覧くさい
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完成! 「おくりびと」 
2009-10-10 Sat 22:45

                    4527427643369_1L.jpg 

 

 

今作を

「フラガール」  や  「スウィングガール」 、
そして 「ウォーターボーイズ」  に  「Shall We ダンス? 」 。
同じ モックン 作品では  「 シコふんじゃった。 」  のように
 「納棺師」 という未知なる種目にチャレンジしていく



     「パフォーマンス系映画」 一種


                              のようなものだと早合点していました。



実際は、 「納棺師」 となったことによって父親という大きなトラウマを克服していく、


      「魂救済する」 物語        

                             であったのです。




でも、導入部は「パフォーマンス系映画」 の香りを強く漂わせていたのでした。
最初は軽いユーモアを挟み込みながら、しかし、モックン が初めて納棺を取り仕切る際には、


     儀式かさがあり


                          連綿と続いている伝統技能を
                          鑑賞している感覚となりました。



要所ではキリッとした表情を見せつつも、ユーモアを交えながら 「死」 というシビアなものを処理していくのかな? と気を許した瞬間に



      手厳しいシッペ返し

                           
                         が用意されていたのです。



そのシッペ返しとは、 “老婆の腐乱遺体を納棺する” という、「キレイゴト」 では済まされないグロテスクな側面だったのです。
そして、この強烈な出来事の直後に挿入されたエピソードが、ボクの映画的好奇心を大いに刺激していったのです。


    “腐乱死体処理をしたその日の夕食は鍋料理で、今朝締めたばかりの
     「おかしら付き 鶏肉」 が食卓に並びました。

     その皺くちゃの顔とむき出しの肉 を見たモックンは
     老婆の遺体を思い出し 胸を悪くしてもどしてしまうのです。

     驚いて介抱をする 妻役の広末涼子女史ですが、その流れの中で、
     突然にモックン は奥さんに性的交渉にかかっていきました。”


というシークエンスとなっているのですが、今作に対する受賞のニュースが契機となって、家族連れ立っての鑑賞となった方々には、先の腐乱遺体のくだりと同様に、このシークエンスは居心地の悪い時間帯であったろうなと思いながらも、以下のようにボクはこの展開を大いに楽しんでいったのです。


  傷(いた)んだ遺体  
       を処理させられたことによって、肉体と精神に大きなダメージを被り、

  新鮮な、でも死んだ肉体 
       が食卓に上り、傷(いた)んだ遺体を思い出したことによって、
       「死」 の虚無感に襲われ、

  新鮮で、生きた肉体  
       である、妻の広末涼子女史に、存在の 「確かさ」 を求め、
       肉体的な衝動の中に埋没していく

                         そんな モックン の赤裸々な心を感じたのです。



   傷(いた)んだ遺体         と 
   新鮮な、でも死んだ肉体 

           という 2つの肉体によって 精神的な不均衡に陥り、

   新鮮で、生きた肉体

           という確かな存在に、すがりついてしまう。
 
その究極的な境地として、本能的で官能的な側面に身を沈めていったモックン に、ボクは同調していったのです。




そして、ふと気付くと



       人間ってないな.........。


                             と溜息をもらしていたのです。


死んでしまえば、どんな人であろうとその肉体は朽ちていくし、
生きていくためには、他の命を奪ってその肉体を食らわなければならないし、
「生」 が揺らいでしまったら、目の前にある確固たる 「生」 に救いを求め、
究極的には、「性」 というものにすがりついていくわけですから.....。


     「思惟」 と 「本能」 のせめぎ合いの中で
     生きていく 「人間」 っていうものは、



               本当、切ないな.........。


                          と、 つくづく感じてしまった瞬間だったのです。




こんな溜息をもらした直後に配置された おくりびと の社長たる 山崎務氏 の堅実な仕事ぶりには、ボクのような、かつての映画少年も、そして、今作の受賞歴がキッカで家族鑑賞をした鑑賞者の方々にも、心を打つ納得のシークエンスとなっていったのです。


そのシークエンスは
病気や事故による 「死」 の結果としての



      「遺体」 という 非日常的物体     に対して、



おくりびとが、かつての故人の 「印象」 を加えていくことによって、
その取り扱いかねていた物体が、いつしか遺族の心の中で、
社会的役割を担っていた頃の



       一人存在へと

       つの人格回復していく  様が

                       
                               感動的であったのです。


その場にいる女子中学生の母親であったことを、そして、とげとげしかった男の妻であったことを、まざまざと思い知らせてきたのです。

この行為は 故人の死に至るまでの苦痛の跡を消し去り、遺族の心の中に生き続けている姿へと戻していく儀式であったのです。それは遺族の気持ちにわだかまっている 「遺体」 という距離感があるものから、その垣根を取っ払って、

 

       きていた

              「母親」 にし、 「妻」 にもしていく
                         


                        そんな、崇高なる行いに他ならかったのです...。





中盤。


「銭湯のおばさんが亡くなった。」

このモックンの言葉だけで、この後の展開を予測することができて、
ボクの胸は熱くなっていきました。
そして、これからエンディングに向けて、一気に終結していくことを確信したのです


序盤は、老婆の遺体処理によるダメージで、モックンが 「納棺師」 を諦めてしまうところを、山崎務社長の崇高なる技に触れたことによって、その危機を回避していきました。
これは モックン の


       「内的世界」 における 

             「納棺師」 という仕事の放棄と、その後の復活

                                   を描いてきたわけですが、


中盤は 「銭湯のおばさん」 の息子で、モックン とは幼馴染となる 杉本哲太氏からの、職業差別を受け、そして、妻の広末涼子女史からも 「納棺師」 という職業を否定された挙句、実家に帰えられてしまうなどの


       「外部圧力」 けていく


             その一方で仕事を覚え、その社会的貢献度の高さ故に
             意欲的に仕事に向き合っていく、言わば


       「内部拡充」 していく姿

                        オーバーラップされていったのです。


「銭湯のおばさん」 の死 がもたらされたのは、まさに、こんな 「納棺師」 という職業に対する、ジレンマを打ち出したタイミングであったわけですから、大方の鑑賞者は以下のような展開を予測することができるのです。


 これから行われる 「銭湯のおばさん」 の葬儀は、息子の杉本哲太氏が喪主となって
 取りはかられ、 「銭湯のおばさん」 と顔見知りになっていた 妻の広末涼子女史も列
 席し、「納棺師」 について否定的であった二人が、我らがモックンによる、



    熟練した伝統芸能師のごとき
                           技一部始終
                                           目撃。



 そして、その真摯な態度と崇高なる成果を目の当たりにした二人が、モックンの仕事の
 貴さを認めて、それまでの自分の態度を悔い改めていくことになるはずだ、 
                                                
                                                   と。


このストーリーは、ストイックに 「納棺師」 という仕事に向き合っている モックン と、一方的に理不尽とも言える職業差別を受けている モックン の両方を見せつけられてきた者としては、ベタではありますが、心情的には納得のいく展開となっており、ボクは単純にその流れに乗っかっていったのです。


このように終盤への展開を予測し、その成り行きを楽しみにすることができた今作の中盤ではありましたが、2~3の不手際が見受けられたのも事実ではありました。


モックン が社長の山崎務氏の部屋で食事を頂く際に、社長がふぐの白子を指して
  「これもご遺体だ」  
と言ってうまそうに食べるシークエンスがあるのですが、よりによって


  「生き物は生き物を食って生きてる (中略) 死ぬ気になれなきゃ食うしかない。」  


                         というセリフが、発っせられてしまったのです。



これは、序盤において


        傷(いた)んだ遺体  
             ↓
        新鮮な、でも死んだ肉体
             ↓
        新鮮で、生きた肉体



で大きな映画的興奮を創出してきた一連の中の
「生きていくために他の命を奪い、その肉体を食らわなければならない宿命」 を
再び訴求してきたことを示します。

しかしながら、この白子による単発の表現は、
序盤の一連にあったイマジネーション豊かな世界観には、残念ながら遠く及ぶことはなく、
 「思惟」 と 「本能」 の狭間で生きていく人間の切なさ など微塵もなく、
ただ単純に 「捕食」 についてのありきたりな言葉があっただけなのです。
既に訴求してあることを、今さらストレートなセリフだけで表現をしてきても、二番煎じの感じはどうしても否めなく、序盤、



        傷(いた)んだ遺体  
             ↓
        新鮮な、でも死んだ肉体
             ↓
        新鮮で、生きた肉体    の一連で





        「人間存在」  「哀しみ」  「可笑しみ




までもを感じ取ることができる奥深い空間を提示しておきながら、
低いレベルの再訴求を、この瞬間にかけてくる制作者に困惑してしまったのです。


このようなマイナス要素を抱えながらも
終盤にかけての展開はボクが期待した通りのストーリーを語ってくれました。
「銭湯のおばさん」 の葬儀の際に、妻の広末涼子女史と、 「銭湯のおばさん」 の息子である杉本哲太氏は、モックン の仕事を目の当たりにして、モックン を認めていきました。


      ここまでは予想通



と思っていたら、「銭湯のおばさん」 の火葬場において、


      「小さな」 
                       用意されていたのです。


銭湯の常連客でいい味を出していた 詰め将棋好きのおじさん が火葬場の職員として再登場してきたのです。 「銭湯のおばさん」 の死の場面で、寂しそうな後ろ姿を打ち出してはいたのですが、このような展開となるとは全くの意外で、ちょっと、うれしくなってしまいました。

その 火葬場のおじさん は、



        「死」  「門」 

                        のようなものであると言い、


        「死」  「終わり」 ではなく

                        一つの過程であり、
                        自分はその「門番」 である。


という考えを披露していきます。
これは今作に貫ら抜かれている死生観そのものであり、 モックン がそもそも 「納棺師」 となるキッカケとなった求人広告のコピー 「旅(立ち)のお手伝い」 にみられるように、



        「死」 = 「終焉」     ではなく、

        「死」 = 「旅立」   であるのです。



そして火葬場のおじさんの  「銭湯のおばさん」 への一言
 「また、会おうぞ」 
のセリフで、妙な妄想がボクの右脳に発生していったのです。


それは 「肉体」 というものはこの世を歩く為の、



     「有機的モバイルスーツ」 

   
                             のようだな..........。 
 

                             という、こんなSF的な妄想だったのです。



「有機的モバイルスーツ」 が劣化破損したので、それを脱ぎ捨てた。
その結果、この世に存在できる手段が無くしなってしまったのが 「死」 なのである。

という、思いに囚われていったのです。
「有機的モバイルスーツ」 なんて言葉は今作のテイストとはかけ離れたものですが、
「死」 は一つの過程に過ぎない、次なる段階に向けての 「旅立ち」 である。
という今作の世界観に触ることによって、このような言葉が思い浮かんだのです。


「小さな驚き」 をキッカケとしてこのような妄想を広げることができた今作ですが、
またまた、うれしいことにこの後には



      「大きな」      
                      が用意されていたのです。



この 「大きな驚き」 とは
 
“ モックン の失踪していた父親が亡くなり、それによって、初めて居場所が判明。
  モックンは大きな葛藤の末、父親の納棺を取り仕切る。”


という、今作においては一番実現しないであろうと思った妄想が、現実のものになったことでした。 



そもそもは、中盤、チェロ演奏を社長の前で披露した際に、 失踪した父親の安否に対して語られた モックン のセリフ

     「 さあ、 もう死んでいるんじゃないですか? 」

                                  で予感し、

「銭湯のおばさん」 の葬儀が終わって、唐突に父親とのエピソードである 「石文 (いしぶみ)」 のくだりを話す モックン に、 もしかして、これは 「父親の死」 の

       前フリをしているのかな? 
                                  と感じたのです。


しかし、「銭湯のおばさん」 が、モックン のいわれ無き 職業差別を払拭するために
(不遜な言い方をすると) 亡くなってくれて、そして次には、 モックン の 「納棺師」 としてのステップアップの為に、否、今作のエンディングの為に、タイミング良く 「父親の死」 がもたらせれていくなんて............。       




         できすぎでしょー!  


                           と、誰もが思ってしまうところでしょう。


しかし、鑑賞を続けていくと、そんなことなど、もうどうでも良いことのように思えてきたのです.。


何故なら、ボクはいつしか今作を

「フラガール」  や  「スウィングガール」 、
そして 「ウォーターボーイズ」  に  「 Shall We ダンス? 」 。
同じ モックン 作品では  「シコふんじゃった。」  のように
 「納棺師」 という未知なる種目にチャレンジしていく



     「パフォーマンス系映画」 一種


                              であると思えてきたからなのです。



“慣れない フラダンス や ジャズ音楽、そして 男のシンクロ や 社交ダンス、
 はたまた 学生相撲 という種目にチャレンジし、一旦は差し障り要件が発生して
 その上昇機運が停滞するけれど、最後には会心のパフォーマンスによって映画は
 最良のカタルシスの中でエンディングを迎える。”


そんな 「パフォーマンス系映画」 の王道を今作が突っ走ていたことに気づいてしまったのです。


今作は 「納棺」 という種目にチャレンジをし、一旦は職業差別という差しさわり要件が発生するけれど、父親の 「納棺」 という快心のパフォーマンスによって映画はカタルシスの中でエンディングを迎えるはずと、見切ってしまったからなのです。


「パフォーマンス系」 映画に
 


           自制めても、無駄!



                            なことは、経験上わかっていたことですし、


何よりも、 「納棺師」 というパフォーマンスを披露するためには、人に亡くなってもらわなければならないわけですし...。


                            と、半ば強引に割り切っていたのです。



そんな気分で鑑賞を続けていったら、またまた状勢が変わってきました。
幸いなことに、この 「パフォーマンス映画」 というキーワードを無理矢理に


          捻出するまでもなく


死んだ父親との再会の

                    
         必然性遭遇

                         することができたのです。



納棺を粛々と進める モックン。
父親の遺体の手のひらを開いたらそこには小さな石が握り締められていたのです。



      これをやらせたかったのか!



                 と、この瞬間にボクの映画的興奮は振り切れていったのです。



この石は、父親の納棺を モックン が取り仕切るはずだと予感をさせたシークエンスである



       「 石文 (いしぶみ) 」  において



              少年時代の モックン が父親に渡していた 「石」 だったのです。




「 石文 (いしぶみ) 」
  とは、


“大昔、自分の気持ちに似た石を探して相手に贈り、受け取った者は、その石の
 
感触や大きさから贈り主の心を読み解く。”



         というコミュニケーション方法であると紹介されていました。



子供時代にたった一度、モックン は父親とこの 「 石文 (いしぶみ )」 の交換をしており、父親の手に握られていたのが、その時にモックンから父親に渡された  「石文 (いしぶみ)」 だったのです。


死の瞬間に、少年時代の モックン の 「石文」 を父親が握り締めていた事に、



  家族を裏切ってしまった

         父親後悔贖罪

                           を感じて、心を動かされていったのです。



しかし、ここでは、そんな万人が感じる思いを強調したいのではなく、こんな思いと共に、全く違う感情がボクの気持ちを直撃していたことを、述べておきたいと思いました。


父親が持っていたのは少年時代の モックン の 「石文」 であることには間違いないのですが、 ボクにはその 「石文」 が、わけあり失踪をし、独り死んでいった 「父親」 の、




   死直前彼自身 「石文」 へと

                「変容」 
していった



                                    と思えてしまったのです。


失踪前の父親の 「石」 はとても立派で大きなものでした。
しかし、家族を裏切り、一緒に失踪した女性とも別れ、流れ着いた漁村の片隅で細々と生活していく中で、あんなにも



         尊大であった
                           父親 「石文」 とされて



         謙虚さを取り戻し、

         少年純粋さをした瞬間


                           父親 死んでいった



                                        と思えてしまったのです。

そしてその事実を 


 

          「有機的モバイルスーツ」 たる自分遺体して



                        息子である モックン に伝わることを願いながら
                        逝った......。



                            という思いに激しくこだわっていったのです。



「 石文 (いしぶみ) 」 
 を再度説明すると、


”大昔、自分の気持ちに似た石を探して相手に贈り、受け取った者は、その石の
 感触や大きさから贈り主の心を読み解くコミュニケーション” 


                                      とされておりましたが、



「おくりびと」 ならぬ、 「受け人 (うけびと)」 となった モックン は 父親の死の直前の 「石文 (いしぶみ)」 の感触や大きさから、



       父親 「変容」 

       父親 「謝罪気持」 かにった



                                      と思えたのです。






モックン は父親から送られたその 「石文」 を、しっかりと妻の手に握らせました。
そして次に、それを静かに身重の妻のお腹に重ねていったのです。
 「石文 (いしぶみ)」 の 「送り人 (おくりびと)」 となった モックン が、今度は、これから生まれて来る我が子に自分の気持ちを伝えていく............。 

こんな象徴的なカットで今作は終わりを告げていきました。





 「有機的モバイルスーツ」 に託された 「石文 (いしぶみ) 」 によってもたされた

 

           父親 「変容」 

                        モックン 「受容」。 



                                        この2つの変化によって、


モックン の気持ちの中に形成されていた


 
            歪んだ、 「父親」 という虚像氷解


それと同時に、次は


             らがその 「父親」 というものへとなっていく ...........。





「個」 の命はこの世から 「旅立って」 いきました。
しかし、新たにその存在を受け継ぐ者の誕生を目の当たりにすることによって、
そして、これから誕生する 「命」 の存在を認識させられたことによって、
「個」 の世界観をはるかに超えた、



        生命の 「転生」 や 「輪廻」 



                                    という大きなうねりを感じ、



        ただ、その芳醇な揺らぎの中に身を委ねた鑑賞となったのです。





ボクは今作を

「フラガール」  や  「スウィングガール」 、
そして 「ウォーターボーイズ」  に  「Shall We ダンス? 」 、
同じ モックン 作品では  「シコふんじゃった。」  のように
 「納棺師」 という未知なる種目にチャレンジしていく



     「パフォーマンス系映画」 一種



                       のようなものだと早合点していました。


しかし、実際は、

  「父親」 という大きなトラウマの前に 「頑なになっていた魂」  を
  「納棺師」 となったことで解き放ち、

  そして、自らが 「父親」 となる決意をする



       「連綿いていく命」 物語        



                            であったと結論付けたいと思います。





                おくりびと2 


                おくりびと3
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この記事のコメント
No title
こんばんは。
コメント&TBありがとうございました。
「門番」のおじさんが「また会おうぞ」と声をかけたシーンがとてもよかったです。
レビューを読んで映画のワンシーンが思い出されました。
こちらからもTB送らせていただきます。
2009-11-09 Mon 00:09 | URL | shake #-[ 内容変更]
はじめまして
TB&コメントありがとうございました

きめ細かい感想に圧倒されました

読みながら、いろいろなシーンが思い出されて
再鑑賞した感じになりました♪

私もTBさせていただきます♪
2009-11-09 Mon 10:18 | URL | D #k0GcsowQ[ 内容変更]
No title
こんにちは~♪
少々ベタな展開ではありましたが、なかなかいい映画だったと思います。
本木さんと山崎さんが役柄にハマっていて、とてもいい演技を見せてくれましたね~

これはアカデミー賞を受賞していますが、日本の作品が評価されたことは喜ばしいですね!
2009-11-09 Mon 15:08 | URL | 由香 #-[ 内容変更]
shake さん
コメントありがとうございます。

shakeさんのブログでも書かれていらっしゃいましたが、
笹野高史さんは良い味出してましたね。小さな驚きを演出してくれました。

トラックバックありがとうございます。また、よろしくお願い致します。
2009-11-09 Mon 23:15 | URL | マーク・レスター #-[ 内容変更]
Dさん
コメントありがとうございます。

拙ブログをご覧頂いて 
“再鑑賞をした感じ” を得て頂いたようで、
大変うれしく思いました。ありがとうございます。

そして、トラックバックをして頂きありがとうございます。

2009-11-10 Tue 00:38 | URL | マーク・レスター #-[ 内容変更]
由香さん
コメントありがとうございます。

由香さんのブログで連呼されています通り、
ベタでございましたね。

でも、そのベタな流れに心地よく身を投じた鑑賞だったのではないでしょうか?

トラックバックをして頂きまして、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。


2009-11-10 Tue 01:07 | URL | マーク・レスター #-[ 内容変更]
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監督:滝田洋二郎(あれ? 俺とっちゃたよ) 出演:本木雅弘(いいだしっぺ)広末涼子 山崎努(いぶし銀)余貴美子 笹野高史 峰岸徹  出演:吉行和子 杉本哲太 松田七星 宮田早苗 山田辰夫 石田太郎  「安らかな旅立ちのお手伝い」をする納棺師のお仕 …
2009-11-08 Sun 17:43 おそらく見聞録
□作品オフィシャルサイト 「おくりびと」□監督 滝田洋二郎 □脚本 小山薫堂 □キャスト 本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、杉本哲太、吉行和子、笹野高史、峰岸徹、山田辰夫 ■鑑賞日 9月14日(日)■劇場 チネチッタ■cyazの満足度 ★★★★☆(5★ …
2009-11-08 Sun 20:14 京の昼寝~♪
&nbsp;  9/22の『おくりびと』の記事で、 僕の拙い言葉で全てを説明できないけれど、なかなか星を4つ半つけない僕がつけたということで、是非cyazに騙されたと思って劇場に足を運んでいただきたい。 人生の視点が少し変わるかもしれない、そんな映画です。 と結 …
2009-11-08 Sun 20:15 京の昼寝~♪
管理人の承認後に表示されます…
2009-11-08 Sun 20:17
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2009-11-08 Sun 20:17
この作品が公開された当時は、近親者を亡くしたばかりでとても観る気持ちになれなかった。 …
2009-11-09 Mon 00:10 シェイクで乾杯!
おくりびと [DVD] ¥2,846 Amazon.co.jp 日本 2008年 本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、吉行和子、杉本哲太、笹野高史、峰岸徹、山田辰夫、橘ユキコ 監督:滝田洋二郎 『壬生義士伝』、『バッテリー』 脚本:小山薫堂 『世にも奇妙な物語』 音... …
2009-11-09 Mon 10:15 映画を観よう
いのち芽吹く物語。   …
2009-11-09 Mon 11:51 Akira's VOICE
TVで鑑賞―【story】楽団の解散でチェロ奏者の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は、好条件の求人広告を見つける。面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用されるが、業務内容は遺体を棺に収める仕事。当初は戸惑っていた大悟だったが、さまざ …
求人広告を手にNKエージェントを訪れた大悟は、社長の佐々木から思いもよらない業務内容を告げられる。それは“納棺”、遺体を棺に納める仕事だった。戸惑いながらも、妻の美香には冠婚葬祭関係=結婚式場の仕事と偽り、納棺師の見習いとして働き出す大悟。美人だと思ったら …
【コメント】★★★★★★★★★☆ 静謐(せいひつ)という言葉がある。一般的には、おだやかで、しずかで、物音がしない様子をいうが、心の静けさ、気持ちの安定、落ち着き、穏やかさ、心地よさといった心の平安を意味する言葉でもある。それに「謐」には静かに語るとい …
2010-02-28 Sun 00:28 シネマテーク
| ポータブルDVDによる 車内鑑賞レビュー |
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