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2010-07-12 Mon 23:50
今作は
「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」
↓
「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」
というプロセスを推移していく、2つの事例を織り交ぜながら 表面的なストーリー展開と並行する、この
「制作者の文脈」 を推理する楽しさ に満ちた鑑賞となりました。
そして、川島雄三 という天才が、
日陰者の視線から 日本の近代化と経済成長の 「予見」 を
語っていたことに対して 、
社会学的な価値を見い出せた作品。 と、評価します。
序盤早々、今作の主人公が登場するファーストカットに
ボクの映画的興味は
強く惹き寄せられていきました。
それは、 “一人の女がタバコ屋で一箱のタバコを買う” という、 ありきたりなカットなのですが、 そのタバコは自分の為ではなく、男の為に買った物であり、 無けなしのお金で買ったことがわかってくるのです。
この後に続く隅田川の橋の上での会話から、この男は
生活力の無い ダメな 男
であることがわかり、
タバコを買った女は、器量と度量を持ち合わせていながらも、
この ダメな男 と離れられることができない 女
であることもわかってきます。
このズルズルとした関係性が、先の、 「無けなしのお金を使って、男の為にタバコを買ってあげてしまう女」 の姿に
見事に集約されていた と、感心してしまったのです。
一文無しとなった二人は、洲崎に流れて来ます、 「洲崎」 とは、かつて深川にあった 赤線地帯 で、そのエリアに入って行く門が
「 洲 パラダイス 崎 」 という
電飾看板となっており、 その看板コピーが今作の題名となっているのです。
しかし、二人は 「 洲 パラダイス 崎 」 の門をくぐる直前に、その手前にある 一杯飲み屋 の厄介となることになります。 ここでも、先の 「タバコを買い与える」 シーンのように、
「関係性」 や 「今後の展開」 を 暗示する
シークエンスが用意されていたのです。
女はその 一杯飲み屋 で働けることになったが、男の働くあてがない、という状況下で、 所在無く 一杯飲み屋 の居間で、お店が引けるのを待っている男ですが、 お店の二人の息子達にメンコ遊びの邪魔だと邪険にされ、布団を敷く作業によって、追い出されるように居間から出て行く、というシークエンスがありました。 これによって、ダメな男 の居場所のない状況が
ここ、洲崎直前のエリアにおいても展開 していくことが、
推測できるのです。
「タバコを買い与える」 ショットや、この 「男の居場所が無い」 シークエンスにおいて、 「関係性」 や 「今後の展開」 をインプットしてきたことに対して、ボクは今作の構造の確かさを認識したのです。
この 一杯飲み屋 において今作のストーリーを左右する重要な人物が登場してきました。 それが、この 一杯飲み屋 を一人で切り盛りしている おかみサン だったのです。 男の居場所が無い様を訴求した、二人の男の子の母親である彼女ですが、この家には夫の存在がありません。 しかし、苦労しながらも、キチンと子育てしている姿が偲ばれてくるのです。何故なら、メンコ遊びに興じていた兄弟が、自発的に布団を敷き寝支度をする様に、親子の健全たる姿が伺い知れたのです。 また、翌朝には 弁天様に日常的にお参りしている姿を映し出し、男の働き口を探し出すなどの行いから、「洲 パラダイス 崎」 の門をくぐる直前の 「最後の良心」 とも言える存在感なのです。
中盤には、洲崎赤線に囚われている女たちの悲哀と、それに群がる男たちの滑稽さが訴求されていきました。 しかし、このシークエンスにおいて、最も興味を惹かれたのは 一杯飲み屋の おかみサン の、旦那が、 「洲崎パラダイス」 の女と失踪してしまった、という事実でした。 弁天様を毎日拝む、品行方正な振る舞いの おかみサン ですが、 「洲崎パラダイス」 の影響からは無関係でいられなかったのです。
おかみサン の意外な現状とともに、ストーリーにおいても、
意外な展開
が始まっていきました。
離れられない女 が ダメ男 を捨てて、お店で知り合った羽振りの良い中年男と、この地から抜け出して行ったのです。
ダメ男 はあくまでも ダメ男 のままで、 離れられない女 は愚直なまでにも 離れられない女 であって 「なけなしのお金でタバコを買い与える」 女 であるのだろうな、と
勝手に思い込んでしまったものですから、この展開に、唖然としてしまったのです。 しかし、この展開に一番驚いたのは当然のことながら ダメ男 であり、 これに対する ダメ男 の反応の中にボクは
大きな映画的興奮を 感じることができたのです。
女が店の客 (中年男) と外出してしまったことに 腹を立てた ダメ男 が 一杯飲み屋 のコップを投げつけ、割ってしまう、というシーンがあります。 そのタイミングで おかみサン の息子が寝ボケながらオシッコに起きてくるのですが、その一連に、
「ガラスの破片を跨いでゆく子供の足」 のアップカット
が唐突に挿入されてきたのです。
この挿入カットが 、それまでの演出リズムとは違うことから、
「関係性」 や 「今後の展開」 を 暗示する映像 として
印象深くボクの心に刻まれていったのです。
そして画面は、外で用を足す我が子が雨に濡れないように、割烹着の裾で頭を保護してあげる おかみサン、という、 これも印象的なカットに繋がっていったのです。
そんなシークエンスを観ている内に、ボクは突然、
悪い胸騒ぎ
を覚えてしまったのです。
逆上した ダメ男の 怒りが、この子供たちに向けられ、 その被害を おかみサン が被るという
「予見」
をこの一連で感じてしまったのです。
そんな思いを抱えながら成り行きを見ていたら、夜の街をパトカーが 一杯飲み屋 に急行したのです。 まさか、と思いながら注目していたら、おかみサン がパトカーから降りて来るではないですか。
ダメ男 が警察沙汰を起こして、おかみサン が悲劇に見舞われてしまったのか? 子供は無事か!
なんて思いが矢継ぎ早に浮かぶ中、肝心のオカミさんは何故か ひょうひょう とお店に向かって歩いていくのです。 何てことは無い、お店で発生した無銭飲食の事情聴収で警察署から送ってもらっただけ、だったのです。 (脱力)
ボクはこのシークエンスにおける、川島雄三監督の悪戯に一人でほくそ笑んでしまったのです。 「割れたガラス破片の上を跨ぐ、危なっかしい子供の足」 のアップを唐突に抜いてくることによって、ダメ男 による
悲劇が起こることを 「予見」 させ、
結局はパトカー騒ぎまで捻出して、鑑賞者の気持ちをもて遊んだわけですからね。
しかし、この一連はそんな表面上のおもしろさに留まらない、構造上の重大要素に気付くキッカケとなったのです。 何故なら、次の瞬間、思い出したのです、
このように 「予見」 を振りまくアップ画面が
もう一つ仕掛けられていたぞ!
って。
それは、主人公の初登場シーン
「無けなしのお金でタバコを買う女の手」
のアップ映像だったのです。
ボクはこのアップ映像を見て ダメ男 と 離れられない女 の
「関係性」 や 「今後の展開」 を 暗示する = 「予見」 させる
カットであると思い込み、それを根拠にレビューを書いてきましたが、
この 「タバコを買う手」 も 「割れたガラスを跨ぐ足」 のアップ映像と同じ、川島雄三監督による悪戯、否、映画を構成する上で
効果的な手法である 「 トラップ (罠) 」
であったのだと気付いたのです。
象徴的で唐突なアップ映像を提示して、観客に一つの 「予見」 を植え付ける。そして、あるタイミングでその 「予見」 を裏切っていく.....。
暴力沙汰が起こるように 「予見」 をさせといて、観客を煙に撒く。 ズルズルの関係が続くと 「予見」 をさせといて、キッパリとそれを絶つ。
このように、「トラップ (罠) 」 の効果によって、明確な方向転回が成されていたのです。
「トラップ (罠)」 というと、サスペンス や ミステリー に使われやすい手法ですが、 この様に、人間を描く作品に多重的に採用されていることに対して、とてもうれしく感じたのです。
( 作品全体のコンセプトが 「トラップ(罠)」 そのもである 「シックス・センス」 や 「エンゼル・ハート」 という作品を思い出しました。 そして当然のことながら、これらの作品の拠りどころになっている大傑作。 ヒッチの 「サイコ」 を懐かしく 思い出したのです。)
サスペンスやミステリーのそれは、「予見」 を振りまきながら、最後にはその 「予見」 をキッパリと裏切る 「 トラップ (罠) 」 によって、ショッキングな結末を突きつけてきたわけですが、今作の場合は山椒のように小粒でピリッと、ストーリーにアクセントを効かせてきたのです。
離れられない女 の寝返り
(この動きが、「予見」 を裏切って、「 トラップ (罠) 」 の役割を演じたことから 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 と 名付けることにします )
によって 「ダメ男 と その男から離れられない女」 のズルズルとした構図は今作から消えていったかのように思えました。 しかし、
その関係性を引き継ぐ者 が現れてきたのです。
驚くことなかれ、それは、
品行方正な おかみサン だったのです。
「洲崎パラダイス」 の女と蒸発したという おかみサン の旦那が帰って来たのです。 しょぼくれて 一杯飲み屋 の店先に立つ姿は、それこそ ダメ男 そのものでした。 最初は店の鍵を閉めて ダメ旦那 を締め出してはみたものの、 情けなく店先に立つ姿に根負けして、ダメ旦那を 受け入れる おかみサン なのでした。
そして 元祖ダメ男 はそば屋の 出前持ち として働き、オカミさん は戻ってきた旦那と円満な家庭を築き、めでたしめでたし...。
なのか?
まさか、このままおとなしく終わるはずも無いと思っていまいたら、
戻って来たのです、
「ダメ男から離れられない女」 が........。
“ 「なけなしのお金でタバコを買与えてしまう」 シークエンスで、 「予見の提示」 がなされた二人の関係性も、 中年男への寝返りという 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 によって、驚きを創出しながら消滅して いった。 ”
とボクは理解をしていたのですが、女が再びこの地に戻り、結局は 「ダメ男 から離れられない女」 に再び戻っていくとするのなら、 この 「 予見の 裏切り (トラップ) 」 という映像テクニックは、今作が終結するまで維持することなく、効力の中途失効とも言うべき、
「 トラップ の途中放棄 」
というカタチをとり、
再び180°Uターンして、「予見」 の方向性に戻っていくことになるようです。
( 「予見」 が様々な経緯を経て実現していく様を 「 予見 の 具現化 」 と名付けることにします。)
それによって、二人は 「予見」 通りに ズルズルの関係 を引き摺っていくことになるようなのです。
この動きを、理解しやすいように、 左に 「予見」 。 右に 「トラップ」 を配置して図式化すると、冒頭の図式が登場してきます。 これを見ると今作は急激なUターンを描いていることがわかります。
「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」
↓
「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」
このような構造上の大きな転回が、 再び 「予見」 されてきたのですが、結局はどう展開するのか? 「予断」 を許さない状況となっていきました。
この、ちょっとした混沌状態に来て、ボクの映画的興奮はマックスになっていったのです。 何故なら、ボクが推測した
“ 仕掛けられた 「 予見 の裏切り (トラップ )」 において、効力失効である 「 トラップ の途中放棄 」 が成されることによって、結局は 「予見」 通りに事が進む 「 予見 の 具現化 」 に行き着く ” という構造を、本当に、今作が取っていくとするならば、
先の 「割れたガラスの上を跨ぐ足 → 子供を庇い雨に濡れる おかみサン 」 で 「 予見 の提示 」 がされた 「予見」
「ダメ男 による暴力」 「子供の被害」 「おかみサン の悲嘆」 のいずれかが
実現されるはずだと、確信したからなのです。
その根拠を、「タバコを買う手」 「ガラスを跨ぐ足」 の2つのケースによって進行していく 先程のプロセス (過程・経緯) を整理して、またまた図表にして説明してみることにします。 一番左の列に 本構造におけるプロセスを表記。 真ん中の列に 序盤から 「 予見 の提示 」 をしてきた 「タバコを買う手」 のケース。 一番右の列が この構造上のプロセスを認識させてきた 「ガラスを跨ぐ足」 のケースを置いて、具体的にどのようなことが行われたかを俯瞰してみます。 そして、 出来事の発生時間順に通し番号をつけて整理してみます。
【 プロセス 】 【 ケース A 】 【 ケース B 】
「 予見 の提示 」 1. タバコを買う手 3.ガラスを跨ぐ足
ダメ男 による暴力か 予見 ズルズルの関係 子供の被害か おかみサンの悲嘆 ↓ ↓ ↓
「予見の裏切り(トラップ)」 2. 女の寝返り 4.無銭飲食 ズルズルの関係の 暴力、被害、悲嘆 消滅 は実行されない
↓ ↓ ↓
「トラップ の途中放棄」 5.女の復帰 6. 「 ? 」
男 と 女 の再会
↓ ↓ ↓
7か8. 7か8. 「 予見 の 具現化 」 ズルズルの関係の ダメ男 による暴力か 確立 子供の被害か おかみサンの悲嘆 が現実のものとなる
この時点では ケースA の 「5.女の復帰」 がなされたに過ぎないのですが、表にして考察をすると、 次の 6番目の出来事は ケースB において 何らかの忌むべき事が発生し、最後のプロセスで ケースA 、ケースB ともに 予見が実現されて、今作は結末を迎えるのだろう。との予測がついたのです。
この予測と共に、ことの成り行きを観ていたら、おかみサン は ダメ男 と ダメ男から離れられない女 の関係が修復し、ズルズルの関係が継続しないように ダメ男 と ダメ男から離れられない女 の再会 を
阻もうとするのです。
と言うのはボクの勝手な観かたで、社会復帰を果たした ダメ男 が 離れられない女 と再会したら、真の ダメな男 に堕ちてしまうと 案じているから会わせないないようにしているのに、 ボクには、おかみサン が今作において、 「 予見 の具現化 」 が成されないように、 そして、その結果、ケースBの 「予見」 である 「ダメ男 による暴力」 「子供の被害」 「おかみサン の悲嘆」 のいずれかが現実化し、
自らに降りかかる災難
と、ならないように、
ダメ男 と 離れられない女 においての 「予見の具現化」 を
潰しに かかっている
と、思えて仕方がなかったのです。
と思っていたら、2度目のパトカーの登場です....。
おかみサン がお参りしている天神様で刺殺体が発見されました。 降りしきる雨の中、ヤジ馬と警官で騒然としている所に 悲壮感を滲ませた おかみサン が駆けつけました。 遺体に掛けられた覆いをどかして被害者の確認をする おかみサン 。 そこに横たわっているのは、「予見」 を感じさせせることとなった息子か? それとも、加害者と 「予見」 をさせられた ダメ男 か? と思うまでもなく
ボクは一つの推理に達していったのです。
それは、「タバコを買う手」 と 「割れたガラスの上を跨ぐ足」 の 2つのケースにおける
「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」 ↓ 「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」 の経緯を観察してきた身としては、当然の結論に至るのです。
殺害された被害者、それは...。
おかみサン の 戻ってきた旦那
に違いないのです。
何故なら
ボクは今作が 以下のルールによって動いていると確信しているからなのです。
「 予見 の提示 」 で、 ダメな男 と 離れられない女 のズルズルとした関係 を強固にインプットし、
「 予見 の裏切り (トラップ) 」 で、劇的な逆転状況を作り、予見は実行され ないものと確信させて、
「 トラップ の途中放棄 」 という、まさかの局面創出で、女がこの地に戻って 来ることによって、 結局は
「 予見 の具現化 」 がなされて、ズルズル とした関係が決定付けられる のだ。
というルール。 そんなルールの中で、何故、おかみサン の旦那が命を絶たれる運命にあったかと言うと、
ケースA において、 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 で 「ダメな男 と 離れられない女」 の関係が崩れた瞬間、
新たな、別の 「ダメな男 と 離れられない女」 の関係が
今作中に提示されていたからなのです。
それは 「洲崎パラダイス」 の女と蒸発してしまった おかみサン の旦那が ダメな男 で、
そんな旦那を受け入れてしまう おかみサン が 離れられない女 であったのです。
しばしの 新たな 「ダメな男 と 離れられない女」 の時間を訴求してくることで、 元々の 「ダメな男 と 離れられない女」 の関係は完全消滅し、 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 というものが
強固で揺るぎないものである かのような
印象をもたせてきたのです。
しかし、この 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 が、効力の途中失効とも言うべき 「 トラップ の途中放棄 」 によって、元々の 「 予見 の具現化 」 が成されていくことを考えると、 元々の 「ダメ男 と 離れられない女」 の関係は
復活していくことが、既成事実 であったのです。 こんな感じにね。 ↓ 「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」 タバコを買う手 女の寝返り ズルズルの関係 ズルズルの関係の消滅 ↓
「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」 男 と 女 の再会 女の復帰 ズルズルの関係の確立 ズルズルの関係の復活 の予感
そうなってくると、おかみサン夫婦による 新しい 「ダメ男 と 離れられない女」 は 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 の効き目を誇張してみせる という 道化役 が終わり、
その存在意義を急落させた 状態であったのです。 そんな折、もう一方の ケースB、 「ガラスを跨ぐ足」 の方は 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 を既に終了し、 次の段階の 「 トラップ の途中放棄 」 と 「 予見 の具現化 」 が 実行される番だったのです。 しつこいですが、こんな感じにです。 ↓
「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」 ガラスを跨ぐ足 無銭飲食
ダメ男の暴力 か 「予見」 は実行されない 子供の被害 か と安堵 おかみサンの悲嘆 か
↓
「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」 ダメ男の暴力 か 子供の被害 か 何らかの忌むべき出来事 おかみサンの悲嘆 か が現実のものとなる
予見された 「子供の被害」 「ダメ男による加害」 「オカミさんの悲嘆」 のうち、 どれが実行されるのかというと、今までの経緯を考慮すると、
お払い箱となってしまった 新しい 「ダメ男 と 離れられない女」 の 旦那が被害にあって、 おかみサン が悲嘆にくれる。
という流れが、ボクには一番素直に感じたのです。
そして、その不幸が契機となって、 ケースA においても、元々の 「ダメな男 と 離れられない女」 のズルズルした関係の 「 予見 の具現化」 がなされる。という 寓話的なストーリーを信じずにはいられなかったのです。
以上のことから、 被害に遭い、この映画世界から姿を消していくのが おかみサンの旦那 であるとの推理がボクの頭の中で形成されていったのです。
今まで、説明した事柄を、強引に1つの図表にまとめます。
「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」
【 ケース A 】 【 ケース A 】 1. タバコを買う手 → 2. 女の寝返り ズルズルの関係 ズルズルの関係 の消滅
【 ケース B 】 【 ケース B 】 3. ガラスを跨ぐ足 → 4. 無銭飲食 ダメ男の暴力 か 「予見」 は 子供の被害 か 実行されない。 おかみサンの悲嘆 か として安堵
↓ ↓
↓ ↓
「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」
【 ケース A 】 【 ケース A 】 8. 男 と 女 の再会 ← 5. 女の復帰 ズルズルの関係 ズルズルの関係の復活 の確立 の予感
【 ケース B 】 【 ケース B 】
7. おかみサンの悲嘆 ← 6.おかみサンの旦那 が現実のものとなる が刺殺される
(予測) (予測)
物語はボクが感じた通りに進んでいきました。
この洲崎周辺エリアは 旦那の他界 と 「ダメな男 と 離れられない女」 の他所への転出によって、物語りが始まる前と (登場人物の頭数という側面において) 同じ状態に戻っていきました。
「戻る」 という言葉を考えると今作のラスシーンは 主人公が初登場した 「タバコを買い与える」 シーンに戻っていきました。
タバコを買うカットこそありませんが、場面は全く同じ、墨田川に架かる橋の上。 会話の内容も見えない明日を嘆く内容であったのです。 彼らの初登場シーンの前にはどのような出来事があったかを知る由もありませんが、「洲崎パラダイス 赤信号」 と同じような経緯があって、今作冒頭の 「タバコを買い与える」 シーンに繋がったのだと推測することができます。 結局この二人は、どこに流れていっても、
「 予見 の提示 」 「 予見 の裏切り (トラップ) 」 「 トラップ の途中放棄 」 を繰り返して、
ズルズルとした関係を実行 ( 「 予見 の具現化 」 ) して来たのです。
でも、少しでも良い方向に進んでいることだけはわかります。 劇中、離れられない女 が以前、 「洲崎パラダイス」 にいたことが判明するのですが、今作の 「洲崎パラダイス 赤信号」 のエピソードにおいては 「洲崎パラダイス」 に一歩も踏み入れることがなかったわけですから、この二人の男女関係は
改善の方向に
向かっていることがわかります。
そして、次なる移動先においても、今回の関係よりも、もっと良い方向に向かっていくことを 「予見」 させていたのです。 今作のオープニング・シーンでの ダメ男 は 離れられない女 に振り回されるカタチで洲崎まで流れて来たのですが、 今回は 「どうにかなるさ」 と
女をリードしていく
意欲を見せていたのです。
ズルズルした関係を描きながらも、彼らなりの希望を持たせるストーリーを語ってきたところから、 「ALWAYS 三丁目の夕日」 を皮切りに 「フラガール」 等、一時期の邦画の流行りに 同調してしまうようで恐縮すが、 ボクにはどうしても、
経済成長の入り口に立った 日本の機運 が
感じられてきたのです。
赤線という前近代的なものがこの2年後の1958年、「売春防止法」 によって廃止され、経済成長が望めるこの時代特有の前向きな感情が、日陰者を主人公にした映画の中にも伺うことができたのです。
この特徴的で大きな成果の賜物は、
川島雄三監督 という美意識
以外の何物でもない。 と強く感じたのでした。
市井の底辺で、それでも懸命に生きている庶民を暖かくも、ちょっと客観的に観察している、川島の視線に心底やられた鑑賞となったのです。
まとめますと、
今作は
「 予見 の 提示 」 → 「 予見 の 裏切り (トラップ) 」
↓
「 予見 の 具現化 」 ← 「 トラップ の 途中放棄 」
というプロセスを推移していく、2つの事例を織り交ぜながら、表面的なストーリー展開と並行する、この
「制作者の文脈」 を推理する楽しさ に満ちた鑑賞となりました。
そして、川島雄三 という天才が、
日陰者の視線から 日本の近代化と経済成長の 「予見」 を
語っていたことに対して 、
社会学的な価値を見い出せた作品。 と、評価します。
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洲崎パラダイス解説の感想
最後の文章に 脱帽です すばらしい分析結果に感謝です
2016-07-24 Sun 17:19 | URL | 芝公園 #-[ 内容変更]
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